引用#6

何かを書くこと何でもいいから書くことという中間項を経て、ただ単に書くことへ。(239)
書物に対立する、あるいは書物にたいして範列的なーーすなわち選択の必要性を生み出すーー形式、それはアルバムである。→これは「事物の本性の上に成り立つ構造」としての書物に対立する。(311)
『失われた時を求めて』は、じっさい断章の織物ではあるけれども、そこには(音楽的な意味での)建築的構成があって、それは計画のレベルにあるのではなく、回帰の取り木法のレベルにある:つまりプルーストによって予見された回帰である(「建築的構成をもち、あらかじめ熟考された書物」)。(313)
プルースト:膨大な書簡があるが、継続的なものではない;ストロース夫人から管理人たちに至るまで、彼が交わした「切れ切れの」対話(313)
ところで、アルバムがメモ書きの上に成り立つものであるならば(日記の場合)、それはパロールとエクリチュールのあいだの、すぐに期待を裏切ってしまう仲介物ということになる:メモ書きはすでにエクリチュールであり、なおパロールでもあるからだ(314)
エクリチュールの実践は、基本的にさまざまな不決断から織りなされている(それゆえ、書物/アルバムという不決断を乗り越えようではないか)。(320)


→インスピレーション


ロラン・バルト『ロラン・バルト講義集成3 小説の準備』(石井洋二郎訳、筑摩書房、2006年)

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