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夢をくれた父の術後

父の手術の日、私は保育科に通っていて
幼稚園実習の真っ最中。気が気じゃなかった。
実習を終えてすぐ病院へ向かうとまだ
手術の最中だった。
祖母と母が待っている待合室に向かった。
私も1時間くらい待った16:30ごろだった
だろうか。先生が見えた。
手術を終えて胃を全摘した父の初めて喋った言葉は『焼酎飲むぞ!!!』だった。
父から手術前に俺の胃を写真撮っててくれ。と
頼まれていた弟だったが、腰が抜けていた。
頼りないな〜と思っていたが、今考えると
無理もない。中3のまだ子どもに衝撃的な光景だ。私も初めてみる内蔵に内心驚いたが何事もないように振る舞った。

父の居酒屋は、アテのない自由な旅に出ます。と言う理由で閉店した。
父の中では長期の臨時休業のつもりだっただろう。
退院の日、家族と彼氏(今の旦那)とご飯を
食べに行った。父は焼酎を飲んで喜んでいた。
家族もみんな父の退院にほっとしていた。

ここから1年は何事もなくすぎる。

しかし、その1年後に父は1ヶ月の定期検診で
再発したことを医師に知らされたのだ。

でも父は家族に隠し通した。
一人で隠して癌と戦っていたのだ。
私たちはそんな事も知らず幸せに過ごしていた。

9月から1ヶ月に1回体調を崩すようになった。
そこで私たちは再発を知った。

毎回10日ほどで退院していたが、
父は入院していても、欠かさず弟のラグビーの
試合は外出許可を無理矢理取って顔を出した。
担当医の先生はとてもいい先生だった。

12月のクリスマス私の彼氏が家に来た。
体調悪いかも〜と熱を測ると37.3℃だった。
その横で彼を心配する父。
その父も震えていた。熱を測ると40度ある。
インフルエンザなのか。検査は陰性。
なんでこんなに高いのか不安になった。
父は気づいていたのだろう。
原因は胆嚢の詰まりだった。

年越しも入院となってしまった。
私は父にネクタイのプレゼントをした。
初めて父に書いた手紙と共に

そしていよいよ容態が悪くなっていくのだが、
畳に寝たいと言っていた父は家に帰ることが
できる。在宅訪問を希望した父はもう、1ヶ月しか生きれない事はまだこの時誰が予想していただろう。

この1ヶ月が非常に濃い。
また次の記事に書いてこうと思う。

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