家事雑誌の存在意義って?

3年ほど前、オーストラリアに旅行したとき、10年以上前にニュージーランドでホームステイをしたときのホストマザーに再会した。

ホストマザーといっても、私と年齢は6、7歳ぐらいしか変わらない。インテリアデザイナーで、楽しいことが大好きで、若くして子どもを産んでもう成人した息子と娘がいて、ウェーブのかかった金髪の美人。
独立した子どもたちと、生まれたばかりの孫の住む街に、一人で暮らしている。

ホテルまで私たち夫婦を迎えにきてくれた彼女は、車で彼女の住む街に連れて行ってくれた。行きつけのカフェに立ち寄り、コーヒーを1杯。
カウンターの前にはおいしそうなキッシュやパイが並び、「ここは私のキッチンよ」と紹介してくれる。

再び車に乗って、予約してくれたレストランに向かいながら、「チェーン展開しているような大きなお店より、私はああいう街の小さなお店を応援したいの」と話す。

ニュージーランド時代は何人ものホームステイを受け入れていた彼女。10年ぶりに会う私についての情報は、かなり忘れているみたいだった。
「ハウスワークに関する雑誌に、記事を書いている」
と仕事について説明したら、彼女は怪訝そうな顔をした。

「ハウスワークの雑誌…? そんなのここにはないわ。料理の雑誌やインテリアの雑誌、ファッションの雑誌ならあるけれど。そんな雑誌があるなんて、女性が家事をやるべきだっていう差別意識の表れじゃないかしら」

予想外のことを言われて、私は言葉を失ってしまった。

オーストラリアに家事雑誌が本当にないかどうかは別として(私が毎月仕事をしている雑誌の創刊のきっかけとなったアメリカの雑誌「Good House Keeping」は、アメリカ版、イギリス版ともに、今も発行されている)、家事雑誌って、必要のないものなのかしら…。ぐるぐると考えが巡った。

女性であれ、男性であれ、日々暮らしていくのに、食事の支度をしたり、身の回りを清潔に保ったり、家計を管理したりといった家事は、必要なことだ。

仕事が忙しくて時間がなければ、お金を支払って外注するというのも一つの方法だし、うまく活用したらよいと思っているけど、それをすべての人に当てはめようとするのは、「お金」「仕事」至上主義とも言えて、違和感がある。

とはいえ、私が仕事をしているのは主に主婦(女性)向けの家事雑誌なのであって、「家事は女性がやるもの」とう意識のもとにあることも、事実ではあるのだ。男性向け家事雑誌も創刊されたことがあるが、長続きしなかった。

今、主婦向けの家事雑誌の特集記事は、ひたすら「時短」に向かっている。共働き家庭が増えたからだ。

夫と家事をシェアするといった内容も一時はよく特集されていたけれど、評判があまりよくないらしい。夫を教育し直すような余裕は、時間的にも、精神的にも、ないというのだ。それより、自分でやってしまった方が早いというのが、多くの主婦の本音なのだろうか。

家事は生きる力だ。大切であることには、違いないのだけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?