コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(29)

お久しぶりです。約2週間ぶりの投稿になります。

なぜここまで間隔があいたかというと、先月中旬に一度投稿できずに寝てしまったからです。それを取り戻すために翌日に2記事書いたのですが、2月19日にもう一度途絶えてしまいました。

何とか気力を振り絞って22日にダーツの記事を書くのですが、一度連続投稿が途絶えてしまうと記事を書く気力が失われてしまいました。

今回久々に時間ができたので、ふたたび自分史を書こうと思います。

これまでの記事で、高校時代までを深堀りしていきました。今回は中学時代にスポットを当てます。

高校受験で理数科を選んだ理由

進路選択で理数科を選んだ1番の理由は中2の時に数学にハマったことです。微分積分や虚数といった学問内容だけでなく、数学の歴史にも興味を持ちました。

しかし、理数科を選んだ理由は数学が好きだったという理由だけではありません。

進路選択の根底には普通が嫌だという考えがありました。

普通科とは、将来のことを何も考えてない人が何となく選ぶ選択肢だと思っていたのです。

とりあえず入った陸上部

中学入学とともに、陸上部に入りました。陸上が好きだったわけではなく、何かしら部活に入らなくてはいけないと思い、自分にもできそうな陸上部に入部しました。

種目は走り幅跳びを選択しました。長距離が大の苦手だったことと走り幅跳びを専門にしている1年生が少なかったことが理由です。1年生は3人しかおらず、市総体の走り幅跳びの出場枠は2枠あったので1年の夏から大会に出ることができました。

自分らしさを求めた中学時代

中学時代、取りつかれたかのように自分らしさを追い求めていました。当時私は尾崎豊の曲を聴きまくっていましたが、個性を追求する形容しがたい想いが心の奥底にあったからこそ尾崎にハマったのだと思います。

私が自分らしさを意識し始めたのは中2の頃からです。中1までは、他人となじめないことに不安とか焦りに似た感情を感じていました。

おそらく、他人との違いが気にならなくなったきっかけは数学に熱中したことだと思います。数学の問題に取り組むことで、周りの人間関係がどうでもよく思えてきました。それからますます数学に取りつかれていき、将来は数学の未解決問題を解決したいと高い志を持つようになります。

今回は、中学時代の話を薄く触れていきました。次回は陸上部での経験について少し突っ込んだ話を書きたいと思います。

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