見出し画像

「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」を詠んだ文豪とは

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句はあまりにも有名です。
これは、明治を代表する文学者・正岡子規の有名な句です。

この句のエピソードがとてもおもしろく、子規はどうやら法隆寺に足を運んで読んだ句ではないそうです。
東大寺の近くに泊っていて、この句を作ったそうです。

「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」
この句を始めて聞いた方も多いと思います。
先の、子規の句と瓜二つですよね。
実は、この俳句の方が、早く発表されていたのですが、子規の句ではありません。

この句、実は文豪・夏目漱石の句なんです。
夏目漱石と正岡子規は親友で、子規が夏目漱石の家に転がり込んで、同じ屋根の下で一致所に暮らしていたこともあるほどの親友です。

夏目漱石は、子規の影響もあって俳句を始め、そして詠んだ句の一つが「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

この2か月後に、子規が漱石の家を出て、東京に戻る途中に詠まれたのが「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
漱石への返礼をこめた句ともいわれ、子規と漱石の友情が生み出した傑作だと言われています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?