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狩りと採り5

8年振りに山に行く、そう考えただけで前の日は興奮して眠れなかった。予報では明日の天気は晴れ、山日和だった。抑えきれない興奮は酒で鎮めるしかなかった。頭の中には松茸がたくさん並んでいる光景が広がっていた。興奮と酔いの勝負の軍配が酔いに上がりなんとか寝付けたが次の日の朝4時半には目が覚めてしまった。早速身支度を整え2時間かけて山へと向かった。
山に着いた瞬間に違和感を感じた。車がやたらと多いのだ。いままでもキノコ採りに来た人の車を見かけることはあったがその日はあまりにも多かった。週末だからかな、と思いながらB尾根に入ると違和感は現実になっていった。松茸が出そうな場所は足跡だらけ、山道を歩いているとそこかしこから人の会話や熊鈴の音が聞こえる。いつの間にかこのB尾根は激戦区になっていたのだ。誰かがこの山は松茸が出ると吹聴したくさんの人が訪れるようになったのだろう。もしかするとオヤジかもしれない、ふとそう思った。オヤジには自分のことを誇張して自慢したがる癖がある。本人には確認してないが十分に可能性はあった。もちろんこの山は誰が入山しても構わないしキノコも採っていい山だ。厳密に言えば法律に違反してるらしいがそんなものは誰も咎めるものではない。それにしてもこれほどまでに人気スポットになっているとは、この8年後の変貌には諦観と悔しさしかなかった。
早々にB尾根を沢まで下りきりC尾根を登って行った。C尾根も同様だった。人の足跡、会話、熊鈴だらけ、この日は収穫もなく帰路に着いた。車の中で考えた。家では松茸を心待ちにしている妻がいる。いや、そういうことじゃない、これからどうすればいいのか。サラリーマンで週末に隣県から山に来る自分には地の利がなかった。いろいろと考えを巡らせているうちにふとある考えが浮かんだ。この山には通説があった。A尾根には松茸が出ない、松茸を探すならBかC尾根だ。B、C尾根の賑わい振りからみて実際にそうなのだろう。ただA尾根には松茸は出ないというのは、果たして本当なのだろうか。8年前の自分であればそんな考えは浮かばなかっただろう。B尾根を下りC尾根を登るルートは松茸の鉄板ルートだった。ただ今は松茸よりも人に会う方が多い。このまま松茸が採れなくなるくらいなら、そう思った自分は勝手知ったB、C尾根を捨ててA尾根に照準を定めた。
その4日後、A尾根に入った。A尾根の入り口はB尾根の入り口から林道をさらに150mほど登ったところにある。入るのは15年ぶりくらいだろうか。林道から山道に入ると200mくらい下りが続く。そこから300mほど軽いアップダウンのほぼ平らな道が続いたあと沢に向かって急な下りになる。急な下りを3分の2ほど下ると道がなくなる。そこからは山の斜面を斜めに進みながら少しずつ下っていくとB、C尾根に登ることができる沢の合流地点に辿り着くことができる。
A尾根からB、C尾根へと進むルートをとることもできたがそうはしなかった。A尾根を下までくだり、またA尾根を登ることで山を調べる時間を2倍にした。松茸が取れるシーズンはそれほど長くない。短い期間で山を知るにはじっくり時間を掛けて調べる必要があった。
手帳とペンを持ち、赤松の一本一本を調べて行った。松茸が出そうなポイントには○印をつけて次に訪れるたびに変化をつぶさに記録して行った。
この山に入って気付いたことがあった。人に荒らされてないということもあるだろうが松茸以外のキノコが豊富に取れるということだった。山に入り坂を下って道が平らになるとその道に沿って奥行きが30mくらいの平たく開けた場所が100mほど続く。そこにはアミタケとムラサキシメジが群生していた。どちらもおいしいキノコだ。アミタケを茹でておろしポン酢で食べた日にはもう酒は止まらない。そこにはシーズン半ばになると香茸も出る。違う場所ではサクラシメジや舞茸、ホウキタケやハナイクジ、ムキタケやナメコ、ショウゲンジなどなど食べると美味しいキノコが盛りだくさんだった。
もちろん有毒のキノコもたくさん生えている。ツキヨタケ、カキシメジ、ニガクリタケやハナホウキタケなどは誤食しやすいので注意が必要だ。なかでもイッポンシメジには気をつけてほしい。イッポンシメジは食べれるじゃないかと思われる方もいるかもしれないがイッポンシメジはれっきとした毒きのこだ。去年実際に食べた例があるのでそれは後ほど紹介する。
イッポンシメジと似ていて食用となるのはウラベニホテイシメジというキノコだ。このキノコをイッポンシメジと呼ぶ地方もあってややこしいがまったく別のキノコである。またウラベニホテイシメジとよく似た毒きのこにクサウラベニタケというものもある。クサウラの方が毒きのことしては有名だが、この3種類のキノコはまったくの別物である。またこのイッポンシメジは名前の通り1本だけで生えててくれればいいのだが4〜5本まとまって生えることもある。そうなるともうウラベニホテイシメジと区別するのは至難の業だ。また見た目もとても美味しそうときてるのでタチが悪い。とにかく一般的によく言われるように確実に食べられると判断できないキノコは取らないことだ。キノコは種類が豊富で似ているキノコもたくさんある。また生え始めや成長期、笠が開いた状態などで様相も変化するし、食用きのこの生えているなかに毒きのこが紛れているなんてこともある。少しでも違和感を感じたら取らないでおくことが懸命なのだ。
話が少し逸れたがA尾根に話を戻そう。こうしてA尾根だけに特化して2年目になったが松茸は一向に取れなかった。変化の兆しが見えたのは3年目のことだった。立て続けに松茸の出所(我々はでっしょと呼ぶ、一般的にはシロ)を3箇所も見つけたのだ。それもほとんど偶然だった。それまでなぜ見つけられなかったのか、いまならよくわかる。こんなところに松茸は出ないと最初から決めつけていたからだ。あるわけないと思って探したら松茸は絶対に見つからない。そりゃそうだ、ここには絶対松茸が出ると思って探したって見つからないのだから。
1箇所目は雑キノコを探していて偶然発見した。松茸が3本、キレイに並んで生えていた。2箇所目は歩っていて偶然松茸と目が合ったという感じだった。周りを見渡すと赤松の木からは15m以上離れている。松の根はこんな先まで伸びているのだ。もう1箇所は間もなく11月になるという10月の下旬に見つけることができた。どの場所も自分が思い描いていた松茸の出そうな場所と時期からは大きく外れていた。いままではここは松茸が出そうだという自分の想像のなかでしか探していなかったのかもしれない。そして何より松茸自身を見つけたことが大きかった。やっぱりA尾根は出ないのか、BやC尾根に戻るのが正解なのか、などと考えながら探していてもそれで松茸が簡単に見つかるほど甘くはないのだ。いま思えばこの年ほど自分のキャリアが成長した年はないと思っている。山に対する向き合い方、松茸への考え方、視野、そういうものが大きく変化した年だった。自分の松茸採りが松茸狩りに変わっていった瞬間だった。
A尾根に入り始めて5年が経った頃には変化は歴然となっていた。確実に出所は増え続け、松茸が採れる数も以前と変わらない程になった。そして40歳を過ぎた頃には自称ではあるが松茸狩りのプロに成長していた。


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