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お悔やみの手紙①

こんにちは。
noteを開いていただき、ありがとうございます。
日毎に読んでくださる方が増えて、
大変嬉しく思っています。

今回は
私が大人の手紙を学び始めたきっかけ、
『お悔やみの手紙』についてです。

以前に
知り合いの女性のご主人の他界を
彼女のfacebook投稿で知りました。

彼女とは年齢差もあり、
直接連絡が来る程の間柄ではなく、
その投稿も
御不幸から随分日が経ってからのものでした。

悩みましたが、
30代、猪突猛進な私を広い心で受け止めてくれた彼女が、
そんな悲しみの中にいた事を思うと、
連絡を取らずにはいられませんでした。

花の写真の葉書に
お友達手紙の延長の様な文を綴りました。

そんな大きな悲しみを沢山経験もしていない
私にとって、
目上の方に敬意を払いながら、
ほん少しでも
その痛みを和らげる言葉を
見つけることは
難しすぎました。

でも、
今思えば
私が持っていなかったは
大きすぎる悲しみの経験の数ではなく、
その場その場に適した言葉の数。

恥ずかしい気持ちを押し殺して
投函してしまった手紙。

私の想いを汲んでくださるお人柄と
分かってはいても、
今では思い出せない、
思い出したくないほどに恥ずかしい手紙でした。

あの時、
きちんとした文を書きたい、
書ける様な人になりたい。
と強く思ったのです。

あれから、
年齢を重ね、
お悔やみの一文を書く機会も増えました。

今思うのは
人生で本当に哀しい時
多くの言葉はいらないのかもしれません。

シンプルだからこそ
筆を取った想いが伝わる。

その言葉を今も探しています。

次回はその一例を
お話しできたら、と思います。

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