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子どものおけいこ考察

今月から5歳の子どもがピアノを始めた。

始めた、というより、親であるわたしが始めさせた、というのが正しい表現だろう。

この子どものきょうだいである長子も5歳からピアノを始めており、そろそろ5歳だし、やらせておくか~という、のんきなスタートだ。

長子が通う教室ではなく、地元のママがおススメしてくれたピアノ教室を見学に行って、こちらにお世話になることにした。

だって、幼稚園から通ってきている小学生男子がソナチネを弾いていたり、月光を弾いていたから。

先生曰く、幼稚園の4~5歳はグッと伸びるから、この時期にたくさんお稽古しておくと、高学年になるとこのレベルまでいけるから、ピアノを辞めたくなくなるらしいのだ。

翻って、我が家の長子のピアノはなかなか進まない。

ピアノは好きだけども練習が嫌いという体たらくで、親であるわたしも練習が好きでなかったから、強く言えないまま低空飛行のピアノだ。

長子のピアノ教室の選択も、親であるわたしが大手の教室のメソッドで習っていて、その教授法しか知らなかったので、そこに決めただけ。

わたしが習っていたピアノの先生にお願いしたかったけれど、引越してしまったので、通えるレベルの距離ではない。

ということで、とりあえず、行っておけばなんとかなるでしょ?と、子どもをぶっこんだのだけども、そうは問屋が卸さなかった。

入って1年目の先生はピアニストの傍らレッスンを行っている若い女性で、幼児教室の先生のように教えてくださった。ピアノを弾くというより、楽器に慣れて楽譜を読むようなおけいこなので、子どもも楽しかったようだ。

お子さんが産まれるとのことで1年経たずに、産休要員の先生が担当することになって、発表会に出ない選択をするゆるいおけいこは続いた。

産休明けに先生は復活することが叶わず、新しいベテランの先生が担当してくださることになって、4年目にして3人目の先生についた。

ベテラン先生は発表会に出ることを薦め、長子も説得されてやる気になり、発表会前は2倍のレッスンを入れて、練習もまあまあしていた。

だがしかし、発表会1か月半前に足を骨折し、車いすで過ごすことになった。

幸い、足なのでピアノは弾けたがお教室はエレベーターがなく、階段だったり、往復の送迎だけでも親子で大変だった。1ヵ月の猛レッスンで挑んだ初発表会は、いつものピアノと違うので、長子は1オクターブ間違えて引きはじめ、途中止まったりしたが、なんとか体裁を整えてやりきった。

クオリティはこの際どうでもよく、親子で発表会に挑めたことが嬉しく、子どもはそれ以降、2倍レッスンのままだ。練習も言われなくてもやることも増え、曲も3曲は仕上げている。それまでが遅すぎたのだけども。

そんなゆるい調子の長子のピアノ進度なので、長子のピアノ教室に入れるとまたこうなってしまう恐れがあるので、別のピアノ教室に5歳の子どもを入れることにしたのだ。

そして、長子も5歳の子どものレッスンに付き添わせ、自分も追いつかれてしまうだろうという危機感と先輩たちの高度な演奏に憧れてやる気を出してもらい、長子もこちらの教室に移る作戦だ。

教室を辞めたい意向を先生に告げるととても残念がってくださったが、ここは心を鬼にして、何が目的なのかを明確にすると、子どものピアノの上達である。先生が残念がってくださっても、それは商売だ(キッパリ)。わたしはもっと指導に情熱を注いでもらえる教室がいいのだ。

なぜこんなにお稽古を熱く語るのか?

別に子どもを何かの道のプロフェッショナルにさせたいわけではない。突出した専門的能力を持つプロフェッショナルになるには、子どもの才能はもちろん、親が先導してかなりのお金と時間をかけて育てねばなれない。

わたしはそんな専門的な何かのプロフェショナルになって欲しいとは考えていない。

同じプロフェッショナルならば、自分のプロフェショナルになって欲しいと思っている。誰かと比較するのではなく、自分のことを愛し、自分のことをよくわかっているプロフェッショナル。

自分のプロフェッショナルになるには、自信がなければなれない。つまり、自己肯定感が高くなければならない。

自信は何によってつくかと言えば、成功体験であることは、数々の心理学データから導き出されている。成功体験は、確固たる自信を生むが、成功体験が少なく、叱責ばかりを受けていると自己肯定感が弱まる。

自己肯定感を高めるには、褒められる体験を多くすることや達成感を味わってきたかも大きく作用する。

子どもに自信をつけさせたいならば、たくさんのことに挑戦させて触れさせる体験が必要なのだ。

子どもは勝手に育たない。親が水路づけをし、自力で歩けるまでサポートしなけばならない。それは、教育学を学んだ人ならば誰でも知っている古典、ジャン・ジャック・ルソーの「エミール」でも説かれている。ルソーはフランスの三権分立だけじゃないのだ。

ここで「エミール」まで持ち出して、大風呂敷を広げたわけだが,要は子どもにはたくさんの経験をさせる必要があり、それも勝手に経験をさせておけばいいわけではなく「導く」という役割が必要だということだ。

放っておいても勝手にピアノがうまくなっていた!なんて奇跡は起きず、相当、親が頑張らないといけないことは、このピアノをめぐる数年でよくわかった。軌道修正はまだ間に合うと信じて、このレポートは終わりたい。

ちなみに、絶対音感は3歳半からのおけいこで9割、4歳半からで7割、5歳半からで2割、と子どものピアノの教科書に書いてあった。

4歳から5歳の間に始めておくのがベストのようで、出遅れた感は否めないが、絶対音感はそんなに必要もないとも聞く。どっちなのだ?

親としてのピアノ教育の実験研究はまだまだ途上だ。自分の子どもをダシにしていろいろ実践研究できるのは親の醍醐味だ!と、開き直っている。

かの発達心理学者、スイスのピアジェが自身の3人の子どもの観察から優れた論文を書いた先例もあるのだから。と言ったら、指導教授に「自分の子を観察して論文にできるなんて考えてたら甘い」と、独身時代に言われたことを思い出した。

先生、おしゃる通りです。観察はできるけれど、論文には何一つまとめられません。ピアジェはやっぱり特別です。と、言いたくなる。

次は、子どもの内にやっておいた方がいいお稽古について書きたい。もちろん、そのうちの1つが楽器演奏なのだが。













論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。