タダより怖い情報はナシ
「さすが!理路整然!同感です」
「言いたいことがまとまらなかったことをさぁーっと、言葉にしてくれる」
とは、普段からクライエントや知人によく言われることだ。
わたしは、思いを言語化し、話し言葉や書き言葉にまとめて、表現することが得意だ。
小さな頃から、非言語による表現も得意。
絵を描いたり、スクラップしたり、編集作業も得意で、表彰されたり、文章を書いたり、新聞にも載ったことがある。
表現マニアだ。
だから、この特技を活かし、研究者として、文献を漁り、仮説を立て、データを取り、仮説検証する論文や著述でいかばくかの原稿料と印税をもらえるまでになれた。
心理士として、対話によって、クライエントの心理描写をするカウンセリング業務も生業になった。
「読んでいて楽しい」
「話していると、気持ちが整理されていく」
わたしの書いたものや話すことを評価してくださる方々もいる。
けれども、表現というのは、並大抵な労力を必要とすることを理解していない人も中にはいる。
それは、文章表現であろうと、身体表現、映像表現であろうと、同じだ。
見たもの、感じたものをそのままストレートに表現するわけではない。
五感を通して感知したもの(心理学で「知覚」という)を脳に情報としておくり、脳は先に貯めておいた情報とデータを突き合わせたり、
いるもの、いらないものを分ける。
これがインプットだ。
そして、必要なものだけを選んで、まとめ、外部へ「言葉」を使って表現する。
これがアウトプットだ。
人の脳は、左半球(左脳)と右半球(右脳)があり、どちらの脳を優先して使うか、大抵の人は決まっている。
左半球は論理、右半球はイメージ、とよく言われるが、そんなに単純な区分けではない。
だけど、左半球は、論理的な言語表現で、この左半球が優れている人程、現代では、評価される。
知能検査で、言語表現が高い方が社会的適応はよいし、知能指数(IQ)も高く評価される。
ここ、すごく語弊があるように、思われるデリケートなことだけど、本当なのだ。
言葉を制するものは、この社会を制するのだ。
だったら、左半球を磨けばよいのか?
いや、違う、左半球と右半球をうまくバランスよく、統合して使うのがよい。
大抵の人は、統合の仕方がわからないし、そもそも、自分は右なのか左なのかもわからないだろう。
そもそも、そんなことに興味もないだろう。
もし、これを読んで下さっているあなたが自己啓発、ゲロスピではなく、意識の科学ー心理学者の分析ーによって、ご自分の才能をスキルアップさせたいなら、インテグラルMAPをおすすめします。
また、こうもよく、言われる。
「わかりやすいので、お客様にもあなたのブログを見せて説明しています」
(え?情報商材として使ってるの?と、思って公開をやめた)
「勢いがあって、サッと読めるから、サッと書けるんでしょ」
(そうだったら、どんなに楽だろう)
いやいや、サッと読めるものがサッと書けるわけがない。
わたしは、多分に「注意欠如」傾向があるので、文章の誤字脱字なんてザラだ。
(大抵の研究者なんて、なんらかの脳の発達の偏りがあるものだ。でなければ、細部にこだわり、脅迫的なまでに集中して、ずっと考え続ける研究活動なんてできない。まわりもバランスの欠いた変態研究者ばかりだから、その中ではオカシイとは思わない。要は、数の問題であり、変態がマジョリティなのだ)
だけども、文章構成、論理ができていれば、文章の意味は通る。
誤字脱字のチェックは、編集の人がやってくれるし、パソコンのチェック機能を使えば、大したことはない。
それよりも、創造性の方がはるかに大事だと思う。
文献を読んでデータを集めたり、取材したり、実験したり、あの手この手で、情報を集める。
そして、頭の中のイマジネーションをどう、言語化し、わかりやすく表現するか、それに命を注いでいる。
なので、簡単に読めるものが簡単に創造できていると、誤解されるのは、甚だ心外である。
よって、無尽蔵に書き殴ってきた、ブログやnoteも、わたしが時間とお金をかけて学び、体験して来た経験値、クリエイティブをマネタイズすることにした。
要は、有料な情報として、提供するということ。
これは、すでに「カモネギ彷徨記」マガジンとして、展開していたが、マガジンの名前を変えてみた。
ライトなエッセイは、これまで通り無料記事カテゴリーに入れるけど、
ハウツー系記事、体験記などは、「カシ蜜」カテゴリーに入れてゆく予定です。
無料の情報は、やはり無料の限界があるし、有益な情報は、買って得るもの。
フリーライダーは、フリー止まり。
だから、新聞やテレビというマスコミの情報だって有料だし(民放テレビはコマーシャルを見る対価を払っている)、本だって、お金を払って買う。
あなたが図書館で借りてくる本だって、地方行政に税金を払って、サービスを受けているのだ。
タダより怖いものはない。
あなたが拾ってくる無料の情報も、本当のことなのか、真偽はわからない。
どうして、無料で読めたり、手に入れることができるのか、ソースの出どころの背景をよく考えるとよいと思う。
だから、情報学は、社会学につながるのですよ。
(わたしは、図書館司書の資格をとるために、司書課程も大学の時に履修して、図書館のなりたちを知って驚いた)
ということで、情報の一部有料化のお知らせでした。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。