きゅうり

私は子供の頃からきゅうりが食べられない。
給食は残すのは悪、の教えだったので食べられないきゅうりが残ったお皿と一緒に5時間目の授業を受けたこともある。
(これ今なら完全アウトなモラハラ)

少し大きくなり、きゅうりの栄養素について調べた。水分97%か…。
なぜあの先生は食べる事を強要したのだろうか?わからん。
水を飲めば問題ないだろう。

以来、料理に入っているのならば、きゅうりは大きめを願う。除きやすいから。
ただ水分系の場合はアウト。やつらの液が漏れ姿は見えなくとも、きゅうり入ってた?と分かるし、身体が受け付けず戻してしまうから。

大人になるにつれ、
私きゅうり嫌いなんだよね。みんな食べるから言えないけど…仲間に会う事が増えた。
分かります、同じです!嬉しいです!!

そんな私の大人になってからの悲劇。
母と創作寿司のお店に行った時、ちょっと洒落たお寿司やインパクト強目のお寿司が出てきた。席はカウンター。

「こぼれいくらです」と当時流行っていた?
ご飯が見えないいくらのお寿司が皿に乗ってやってきた。

すごーい!と一口で頬張り一噛みした瞬間、
(あ、これ、きゅうりが入っている)
と思った。
でも口はいっぱいだから飲み込むしかない!と思ったら、
喉が腫れ明らかに気道が狭くなって、飲み込めるスペースなんてない。
涙がポロポロ流れるし苦しい。
早く出さないと!と思うもカウンターで目の前に板前さんがいる。
口を押さえてお店を飛び出し、とりあえず口の中のものを出した。
トイレがすぐに見つからなかった事は覚えているし、
呼吸が出来ないと死ぬ、と思った事も覚えている。鏡を見たら顔は真っ赤だった。
口をゆすいで、しばらく外で深呼吸してから店に戻った。とにかく辛かった。

カウンターにいた母は板前さんと楽しく談笑し、
「あ、戻って来た。きゅうり入っていたでしょう〜あはは。」と笑っていた。

(アレルギーの子供を○す親、ってこんな軽い感じなんだろうな)と思った。
もう大人だし、自分の身は自分で守らないといけない。母親には、一切悪気はないのですがこう言う性格です。思慮浅いと言うのかな?だから私とは合わない。

それ以来、きゅうりは
「アナフィラキシーが出るので抜いて下さい。」
と堂々と断るようにしている。
抜けなければそのメニューは諦めて違うものに変える。
正式にはアレルギーではないかもしれないが、粘膜が腫れ、呼吸が困難になるのはアナフィラキシーの症状だし、二度とあんな目に遭いたくない。

先日、ランチに鉄板焼きのお店に行った時、友達のサラダにきゅうりを見つけた。
「あれ?きゅうり入ってる…?」と聞くと、
「そうなの。この間はなかったけど、今日は入っているんだよね。きゅうりダメだったよね?私の器に入れて。気をつけてね」と言ってくれた。(なんて心優しい友達! いつも有難う)

でもまぁおっちょこちょいなので除き切れなかったやつを食べてしまった、悲。
でも脳がきゅうりと分からなければ良いのでは?と考えた私は脳に
(今除き切れなかったきゅうりを食べたけど大丈夫、たったの1切れだから。)
と指令を送った。アナフィラキシーは出なかった。

好き嫌いを否定する人もいるが、何でもかんでも食べられない、残す、と言う人以外は問題無いと思う。
全部食べるからそれが何なの?とも。
嫌いなものが1つ2つあっても問題ないし、
それよりもアレルギーを軽く見るなと思っている。

二度とあんな目には遭いたくない。
きゅうりと戦うのではなく、静かに奴を除く冷戦は今後も続く。

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