ゾンビ橋(百歩蛇)

とりたてて何がある訳でもなかった俺の町に、ある日ゾンビが大量に出現した。吊り橋がかかる渓谷の下でゾンビは発見された。数は百体ほどで、橋から眺めることができる。全国版のニュースで連日とりあげられたことにより、多くの観光客が町に集まった。行政は町おこしの起爆剤として、ゾンビを観光業に活用しようと躍起になり、土産物やツアーを大々的に宣伝して、それが成功した。何もなかった町にはゾンビをモチーフにした垂れ幕やポスターで溢れかえり、俺の知っている町の風景はどんどんと変わっていった。 

「こんなんでいいのかねぇ」

 龍太は煙草を咥えて展望台から渓谷の様子を見降ろした。久しぶりに会ったら髪が茶色くなっていた。 

「いいんじゃないの? 実際俺の家は景気がいいけど」 

「ああ、お前んちは饅頭屋だからなぁ」 

「親父は卒業したら店を継げってうるさいけどね」 

「まぁさ、なんもない町だからっていうのが俺らのアイデンティティで、なんもないからここを出るつもりだったのにさ、なんだか俺は嫌だよ、この風景は」 

「龍太はここ出るんだよな?」 

「まぁ、たぶん。達也は饅頭屋継いだ方がいいよ」 

「でも俺は進学したいよ。都会に行きたい」 

「じゃあ都会の奴ら連れて来いよ。『おいでませゾンビの住む町に』って」 「ハハハ」 

「店継ぐことあったら饅頭買いに行くよ」 

「そうだな。そん時は待ってるわ」 

龍太は煙草を地面に擦りつけて、

「じゃあそろそろ授業行くわ。サボり過ぎた」

とバス停へ向かった。俺も後についていった。バスが来るまでまだ三十分もある。 

「なんかゾンビの餌って人肉らしいよ」

龍太が言った。 

「そうなの?」 

「うん。この辺で死んだ奴らを回収して、加工してるんだってさ」 

「火葬場の煙、前見えたけど」 

「そうか。まぁ、噂だからあんまり信用しない方がいいかもな」 

「ゾンビの正体って炭鉱で死んだ朝鮮人労働者らしいよ」 

「それ、前に聞いたことある。あれでしょ、日本人にこき使われて死んでいったみたいな」 

「うん」 

「嫌だなぁ。なんでそういう歴史的背景とか隠すんだろうね、この町は。ゾンビ饅頭とか作ってさ」 

「まあ、そうだよな。町が潤うことしか考えてねぇもんな」 

「今日の夜、ゾンビ橋行ってみねぇか? 本当に朝鮮人労働者なのか確かめようよ」 

「まぁ、いいけど」

 「じゃあ十時にここ集合な」

 八時頃、入院していたじいちゃんが危篤だと病院から電話があり、隣町まで向かっていた。龍太に断りのメールを送った。じいちゃんは十一時頃死んだ。一旦家に戻った俺は、龍太からの返信を確認した。 

「とれちゃったわ」 

たったそれだけだった。意味が分からなかったので、

「どういう意味?」と送った。

返信はいつまで経っても帰って来なかった。次の日、龍太の捜索願が出された。 町の外れにある火葬場まで向かった。蝉が何匹もぐるぐる円を描くように鳴いていてうるさかった。金色の釘で棺を閉じ、じいちゃんは火葬炉の中に吸い込まれていった。参列者にお辞儀をして回り、じいちゃんの話を聞いた。まだ若い頃、じいちゃんは炭鉱で働いていたらしい。もっと詳しく聞きたかったが、酒が入った老人たちについていけず、俺は黙っていた。火葬炉から出てきたじいちゃんは、からからの骨になっていた。骨を納めている時、床に骨の欠片が落ちた。俺は形見にと思ってこっそりそれを制服のポケットにしまった。

 龍太がゾンビになったと聞いたのは、じいちゃんの四十九日法要の時だった。噂では橋の下のゾンビに噛まれて、そのまま渓谷で暮らしているのだという。俺は法要が終わった後、ゾンビ橋に行ってみた。観光客が「こわーい」と覗き込んでいる渓谷の下をじっと睨んだ。黒紫色に滲む視界の中に一体だけ茶髪のゾンビがいた。 

「龍太! 龍太!」

 俺は叫んだが、龍太は反応しない。ただ餌を求めて両手をあげているだけだ。ここに来ようと約束したあの日、龍太に一体何があったのか。

「とれちゃったわ」とは何だったのか。

俺は渓谷に向かって叫んだ。 

「この町から出るんじゃなかったのかよ! 人肉の餌食ってる場合じゃねぇだろうよ! 俺の饅頭食うんじゃなかったのかよ! 何とか言えよ! このままじゃ何にも分からねぇだろ!」 

観光客の視線とどよめきを浴びながら、俺はポケットからじいちゃんの骨の欠片をとりだして食べた。

 「こんなん美味いわけねぇだろ……」

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