放蕩息子(百歩蛇)

 すごく安くて、傍につく女の子たちも可愛くて、飲み放題かつ食べ放題の店があるとの情報を、居酒屋の隣の席に座った茂から聞いた私は、レシートの裏に書かれた地図を頼りにスナック街を歩いていた。私はすでに酩酊状態にあり、看板が七色の糸を放つ発光体のように見えた。胃は溶鉱炉のように熱く、今にも内容物を吐き出しそうになっていた。終電はもうとっくに過ぎ、タクシーも姿を見せない。私の履いているサンダルの音しかしない静かな夜だ。街灯が途中で途切れ、真っ暗な中足を進めた。夜目に見えるものは、すっかり灯りが消え、眠りに就く家々で、初めて見るその集落に私はふと道に迷っているのではないかと思い始めた。地図によればこの辺りのはずなのだが、どこかで道を間違えたようだ。引き返そうにもどこから来たのか判然とせず、とりあえず何か見たことのある風景を探そうと、私は歩き続けた。進めども進めども辺りは変わらず家々が並んでいるばかりで、街灯どころか月明かりすらない。ただ歩いているという感覚しかない。汗が噴き出て、目の中に入り視界がぼやける。ただでさえ虚ろな風景が霞んでいく。だんだん入り組んだ路地に入っていく。四角く刈られたサワラの生垣が両側に見える。その針葉樹特有のつんとしたにおいが鼻腔をつく。家々はまるで私を阻害するかのように閉じられてみえ、暗闇でひっそりと視線を浴びせてくる。馬鹿がいる。馬鹿がいる。そんな声が音もなく近づいてくる。もうスナックはいい。早く家に帰りたい。帰ってゆっくりと寝たい。胃はその内容物を食道にまで押し上げてきて、今にも体外へ飛び出そうだ。しかしここで吐いてしまったら、何をされるか分かったものではない。私は歩き続けた。 

 しばらくして丸い灯りがいくつも見えた。家々の門の前にそれはあって、霞む視界にはひどく懐かしいものに映った。灯りは曇りガラスでできていた。みな同式のものだった。何かこの地域の儀式めいたものを感じた私はここにいてはいけないような気がして足早に去っていった。

  また灯りがなくなり、夜目を頼りに進んだ。道はいよいよ袋小路へと私をいざなった。サワラの木が眼前にあり、さすがにこっちではないなと思ったときに、ふと声が聞こえてきた。

 じゅんぺい、じゅんぺい、まんじょっこだぁ。じゅんぺい、じゅんぺい、まんじょっこだぁ。 

 それはサワラの生垣の向こう側から聞こえてきた。中年の女性の声だった。生垣の隙間から微かに灯りが見える。私は家と家との間を奥へ進んだ。声を頼りにサワラの生垣を沿うようにして門の前まで来た。薄明りの下に全裸の女が股を開いて座っていた。白髪の混じったぱさぱさの髪を無理やり輪ゴムで束ね、目は血走り、両手で女性器を押し開いている。 

「すみません。ここはどこですか? 家に帰りたいのですが……」 

「私は純子です。息子の純平が家を出て行って早一年。私は雨の日も雪の日も帰りを待っていましたが、純平は帰って来ません。警察にも行きました。駅前でビラも配りました。しかし未だ手掛かりはありません。純平は難産でしたから、産まれた時は本当に嬉しかったです。夫と死別してから苦労はさせまいと、私は身を粉にして働きました。でもあまり構ってやれなかったせいでしょうか、純平は非行の道を歩んでしまったのです。ロックンロールを聴き、改造バイクを乗り回し、違法薬物に手を染め、気がついたら純平は家に帰って来なくなりました。私は責任を痛切に感じ、なんとか純平を非行の道から足を洗ってほしいという一心でこうして待っているのです。純平は小さい頃、私のまんじょっこを見るのが好きでした。一種の憧憬でしょうね。純平はまんじょっこから産まれたのですから。難産だったのはまんじょっこに未練があった証です。あの頃の純平がすこしでも残っているなら、きっとここに帰ってくるはずなのです」

 女は私に懐中電灯を渡し、「見てください」と股間を指さした。照らしてみると、まんじょっこの上にQRコードのタトゥーが刻まれていた。私はスマホをかざしてみた。熟女専門の動画サイトにアクセスされた。私は慌ててスマホを閉じた。 

 「この道を曲がれば国道に出ますよ」 

 女の脇に大量の小銭が置かれているのを私ははっきりと見た。この女はきっと集落の信仰対象として崇められているのだ。背中に無数の冷徹な視線を感じた。女の言う通りに進むと、見知った国道に出た。私はそのまま自宅アパートまで歩いた。既に東の空から太陽が顔を出していた。

  私は夢を見た。巨大化した私の口からどろどろに溶けた金属が吐き出されている。ところどころから煙が上がり、液状の金属は鋳型に流し込まれていく。作業着を着た純平がそれを冷却していくと、無数の五百円玉が鋳造されていった。純子の声……「ただ狂っているふりをしているだけなのにね」

  昼頃目を覚ますと、案の定布団は吐瀉物にまみれていた。スマホを開くと、「ごめん。あれ嘘」という茂のメールと、「会員登録完了。ご登録ありがとうございます。48時間以内に98940円を指定の口座にお支払いください」というメールが来ていた。私はトイレで舌の奥に指を突っ込んだ。いくら吐いても五百円玉は出てこなかった。 

 馬鹿がいる。馬鹿がいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?