二人だけの時間。薄暗い部屋で、常夜灯を頼りに見つめる、一生懸命に乳を飲むほっぺた。お腹いっぱいになって、少し苦しそうに唸る声。縮こまって震える手足。そして安心したように脱力したときのその重さ。生まれた頃より確実に重くなったことに気づく、その喜び。こんな日はむしむしと汗ばんでしまう、もっちりと熱い体温。離れたくとも手放せない、身じろぎたいけれど鼻も掻けない。そんな母を知ってか知らずか、にやりと上がる片方の口角に、つられてふっと口元が緩む。 一人だけの時間。夜中の寝室の片隅で、
春の鳥、と聞いて多くの人がイメージするのは、おそらくウグイスだ。ほー、ほけきょ。春を告げる、うぐいす色の鳥⋯⋯。そう思い浮かべたとき、鮮やかな黄緑色の羽の、小さな丸い鳥を描いた人は、恐らく勘違いをしている。 それは、メジロである。 黄緑色の羽に、目の周りが白い、愛らしいその鳥は、ウグイスではなくメジロ。虫や木の実を食べるウグイスとは異なり、花の密を好む野鳥だ。 先ほど、メジロを拾った。「拾った」というのは、それが「落ちていた」からだ。職場のベランダに落ちていたそ
休日らしく午前10時過ぎにのそのそと起き上がり、平日の忙しさの犠牲を払わされている部屋の枯れかけたシクラメンに水をやる。借りていた期限ギリギリのDVDを返して、近所のリーズナブルなパスタ屋で、ゆっくりフリードリンクを啜る。 恥ずかしながら事件の詳細も、この本が話題になっていたことも全く知らずに、昼食のついでに立ち寄った本屋でなんとなく手に取った。最近、と言ってもここ数年来、活字を追うことへのどうしようもない欲求というものを、感じられずにいた。「本もまともに読めなくなった
『クルミわりとネズミの王さま』 この上なく名著だった。 夕暮れの窓辺とともに 故郷に帰るような読書体験をした。 小学生のころ、放課後の校庭で遊ぶ前、芝や砂利の上にランドセルを置き、赤い曲面の上に黄色い通学帽、そしてその間に、図書室の本を一冊挟んでおく子どもだった。桜の木から樹液を集めたり、男の子が捕まえて遊んで殺してしまったトンボにお墓をつくってあげたりして気の済むまで遊び、帰りのバスに乗ると、片手に携えていた本を読んだ。小学生の昼間は忙しい。勉強があるし、友達ともたくさん
クリスチャンには宗教cを象徴させているのだろうなと思う。以下、無知ゆえの宗教に対する勝手な解釈、偏見をお許しいただきたい。 宗教cでは、信じなさい、そうしたら最後には救われるのだから、と言われている気がする。あなたを許します、愛しているから、という思想も。 クリスチャンは冒頭、ダニの電話に「きっと大丈夫だよ」という返し方をする。ダニ自身も求めていたというその言葉は、いわば「慰め」である。しかしその結果はとてもクリスチャンに責任を負えるようなものではなかった。クリスチャンは
世間がどんどん潔癖化している気がしている。 清潔な環境、くらいならわかる。病気になりたくないし、汚いより綺麗なほうが嬉しい。 でも最近、清潔な人、が求められることがあまりに多い気がしている。 「犯罪はダメ!」「不倫はダメ!」「タバコはダメ!」「泥酔ダメ!」 まだまだダメがたくさんある。大概、それらは本当に「ダメ」なことに違いないのだ。人をダメにする、堕落させる、腐らせる行為。他人に大変迷惑な、あるいは不快な、苦痛を与える行為。だからすべきではないし、やってしまえば「罰」な
ヱヴァンゲリヲンが好きである。好きなキャラクターがいるわけではない。強いて言えば初号機が好きだが、エヴァに魅力を感じる理由は他にある。 それは、何を隠そう、プラグスーツだ。 これだけハッキリ宣言するとさすがに気持ちが悪いのだが、事実なので如何ともし難い。 プラグスーツはエヴァのパイロットが身につける戦闘用のスーツで、ぴたっと身体のラインに合った造形が特徴的である。これが最高に好きで、プラグスーツ姿のキャラクターであれば舐めるように眺め回していられる。 さて、なぜ突然に変
何度か笑われてきた。それで 「確かにねえ。」 と笑いながら、絶対にやってやるものかと心中では毒づいていた。自己満足の拙い作文をさらして、他人の目に触れさせて、わざわざ不愉快なレスポンスを得たいとは思えない。それからこの私のことだから、たいして長続きはしない。半端な日記ほど手に負えないものはない。みっともない。総合的に考えて、どうせろくなことにならない。 要はビビっていたわけだ。自分語りをひけらかすことに。それが中途半端に終わったり、「クソつまんねぇなこいつ」という酷評を