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生き残りたい、まだ生きていたい

ども、か~まいんです。
阪神・淡路大震災からもう24年が経ちました。
24年も経つと東日本大震災は経験されていても、阪神・淡路を知らない(生まれていない)方も多いかもしれません。
アレですね、もう元号も新しくなることですし、私の世代の感覚で言えば、明治生まれのおじいちゃんが関東大震災の話をしている感じになっちゃうんでしょうね。

阪神・淡路大震災の時、現地にボランティアに行ったときの記録をmixiに書いていたのですが、どうやらlogが飛んでしまっているようなので(汗)そのあとに書いた防災コラムを加筆修正して再掲しておきたいと思います。
データが2008年時点なので、被害想定の数値は改定されていると思いますが、主旨は変わらないのでそのままでご容赦ください。
阪神淡路大震災後で東日本大震災前に書いた内容が今でもそのまま通用するあたりが災害の本当に怖いトコだと思います。

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実は私は過去に(今もですが)防災に深く関わる仕事をしていた関係もあって、災害について少しお話したいと思います。

といっても、非常持ち出し袋を用意しましょう、とか、水を3日分準備しましょう、とか言ったベタベタな話じゃなくて、もう少しシビアなお話です。

まず、最近被害続出の自然災害ですが、これの「発生」そのものは「防げません」。

当たり前ですね(汗)台風や地震の発生そのものを防ぐことは現時点では不可能ですし、隣国のようにヨウ化銀ミサイルで若干の雨はコントロールできるかもしれませんが、最近のゲリラ豪雨等そもそも予測が出来ないものはこういった技術でも防ぐことはできません。
また、仮に出来たとしてもその開発や運用が災害の被害総額より高い場合は、技術的に可能であってもその手法は採用されません(100万円の損害保険の掛金に200万を払う人はいませんから(笑))

そんなことから「防災」ではなく「減災」という発想で、避けられない災害に対してどれだけ被害を少なくするか、ということが今は災害対策の基本の考え方になっています。

ただ、これは被害を少なくするだけで、どんなに努力をしても必ず一定の損失が出ます。

これはあくまで例ですが、私の住んでいる三重県では、東海、東南海、南海地震が同時に発生した場合、どれだけ事前対応を万全に行ったと仮定しても、その時三重県内にいる人間の約0.09%が死亡する被害想定になっています。(※2008年時点の被害想定です。東日本大震災を受けてこの数値は見直されていると思います)

季節や発生する時間帯によって数字にブレはありますが、人数にすると三重県だけで約1,600人が死ぬ計算になりますね。

静岡、愛知など全国レベルではもっと大きな被害になりますし、東京都等の人口集積地区の都市直下型地震では、おそらく被害想定の率そのものがもっとシビアに設定されていると思います。

それじゃ0.09%の不幸な人はどうすればいいの?という話になるんですが、要は自分や自分の大切な人がその0.09%の中に極力入らないように「事前にできる準備」をするしか方法がありません。

家具を固定する、寝室に背の高い家具をいれない、そんな簡単な事だけで地震での生存率はてき面にUPします。
それさえ面倒という人は、家具と天井の間にアマゾンの空箱を詰めておくとか(笑)あと、ベッドの下にスリッパを1組常時おいておくとか、そんなのでもかまいません。

また、自宅とか職場(学校)の周囲、その経路上等の自分の生活エリアを通りながら、「もし豪雨がきたら、この川が氾濫するかも」とか、「ここは坂道になってるから雨がきたら滝になって歩けないなぁ」とかとか、「ここのブロック塀あぶなくね?」とかとかとか、一度でも「想像力」を働かせておく、これだけでもかなり生存率はあがります。

 もう1つ、大規模災害が発生した「直後」は、私がいうのもなんですが行政(消防、警察、役所等)はあてになりません。 阪神淡路の時、消防署では輪留めをしていたにも関わらず救急車と梯子車が車庫内で衝突していました。
また、幸い、通信や車両が無事だった消防署では通報が殺到して当日中にすべてに対応することは不可能でした。

最近のキーワードとして、「自助」「共助」「公助」というものがあります。

災害にあったら、まず自分の力で生き残る。

自分が生き残ったら、近所の人や近くの友人と力をあわせて助けられる人を助ける。

それでも解決できない問題(孤立地帯になってしまった、緊急搬送の必要なけが人がいるetc)は公の力を頼る。

というのが全体生存者を最大にする方法だと言われています。

阪神淡路では、倒壊家屋から助け出された人の8割弱は「近所の人」の力で助け出されています。
役所へ電話したけど助けがこない!!と延々ただ待っていたのでは助かる人も助かりません。
というか、行政は助けたくても限られたリソースの中ですべての人は「助けられない」んです。
仮に防災対策に無限の予算があったとして、0.09%を0.01%にすることができてもすべての人を助ける事は「不可能」ですし、普通の生活インフラに役にたたない防災(つまり保険)にどれだけコストをかけるかという話はどこの議会でも議論されていると思います。
(ぶっちゃけ来るか来ないかわからない災害の為に河川工事をするくらいなら、その工事代金を基金(貯金ですね)に貯めといて、災害後の復旧費用にしたほうがいいんじゃね?というような議論ですね(極端ですが))

まぁ、とにかく何が言いたいかというと、なにかあった時、まずみんな自分の力で生き残ってください。
そのため自分で打てる手があるなら、事前に最大限自力で打っといてください。頼みます。

私は自分の友人や知人にこの0.09%の中に入って欲しくないんですよ。

最初にこれを書いた時には、東日本大震災が来ることを誰も予想していませんでした。予想も出来なかった。
実際に想定外の被害が出て、それを検証し、次に備えて被害を減らそうと公共事業で災害対策を試み、その莫大な費用を前に各地方公共団体は頭をかかえて、防災どころか減災対策ですらその限界を感じている。

減災対策の中で、一番効果的なのはハードではなくソフト。
つまり個人の災害に対する意識を高めること。

読んでくれた人のうち、1人でも今夜自分ベッドの下にスリッパを置いてくれたら、このnoteの役目は果たされたと思います。

※写真は東日本大震災時の陸前高田松原踏切です

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