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体調をくずしてはじめてわかること、そして1月の振り返り

2019年初のnoteの投稿。

先月(2019年1月)の半ばに体調を崩した。
いわゆるインフルエンザだ。
それに伴い元々腫れやすい扁桃腺に菌が入り咽頭炎になった。

以前にもなったことはあるが今回は咳が止まらなかったので話ができない。
なので仕事もストップ。ただ寝ているだけになった。

少しパソコンで作業をしたりもしたが長くはできない。

そこでゆっくりと天井を見ながら考えた。
今の仕事をリリースして1ヶ月。

ありがたいことに多くのお客様の話を聞くことができた。
その中には僕との話の感想をいただいた方もいらっしゃったりと周りへの感謝をとても感じた。

これらをまとめて新しい仕事ページを1月の半ばにはリリースする予定でもあった。
でも体調を崩したこともあり全ての作業が止まった。

僕自身ここまで1ヶ月、作業とヒアリングを繰り返し、いろんなことを学んだ。
しかし仕事だから学んでばかりもいられない。
お客様の考える手助けをすることが仕事だ。

もちろん日々の業務の中でうまくいかないこともある。
あーすれば、こーすれば、ああ伝えれば、こんな表現や例えもあったなと。
そんなことの繰り返しだった。

ベットの中で熱もあったからちゃんと思考できていたかもわからないけれど、無力さと焦りを感じていた。
フリーランスとして活動する以上、自分が止まれば全ての仕事は止まる。

日々が止まっていくことへの焦り。
SNSを通じて入ってくる周囲の成功の話。
自分の生活や体調の管理ができていなかったことへの反省。

周囲には自分を大切にすることを話す僕がそれをできていなかった。
でもこれも自分が他者と己を見つめたからできたことなのだ。

だんだんと体調は回復していく。それでも何か無力さを感じていた。

そんな形で1月を終えた。

仕事も溜まったままなんとなく終わった。

そして今日。

久しぶりに幸せだなと実感できることがあった。

きっかけはテレビだった。
基本的に最近はテレビを見ない。
YouTubeで好きなお笑いを見る程度。

そんな僕がTwitterを通じて「糸井重里と芦田愛菜」の対談を知った。

すごくよかった。シンプルに。

僕より40歳上の糸井重里。
僕より16歳下の芦田愛菜。

僕は糸井重里のファンだ。
その人があの芦田愛菜と話すとどんな化学反応が起きるのかとても気になった。

本当に素晴らしかった。

芦田愛菜は対談中一度も背中を椅子の背につけずに姿勢良く話を聞いていた。

糸井重里も14歳の女の子と同じ目線で、心から芦田愛菜に興味を持っているように見えた。

読書好きで知られる芦田愛菜の行間の読み方や空気を読む文化についての見識。

そして泣くという行為について。

「結局泣くんだから、今泣くんです。」

すごい言葉だと思った。

対談の中で「見栄」についても語られていたが、そんな「見栄」について語った後に今泣くという話。

ステキだなと思えた。

人は見栄を張る。負けず嫌いだ。

当たり前だ。誰でも負けたくて勝負しない。

そういう時に人は見栄を張る。

でも、良いんだ。それで普通だと思う。

見栄を張るならそれで良いと思う。

「虚栄」ではなく「見栄」

■「見栄」・・・見た目の姿を意識して、実際以上によく見せようとする態度。

そんなもんだと思った。人は見られてることを意識する。

その上で自分が納得することが大事だと思う。

芦田愛菜からの最後の質問。「青春ってなんですか?」

僕の抱いた印象で正確な発言とは異なるが、糸井さんはシンプルに「大人もおもしろいよ」と言っていた。

僕は嬉しくなった。

大人をつまらないというのは嫌いだ。
嘘だと思う。「楽しまない」か「楽しめない」だけだ。

そんな時に僕の好きな糸井さんが一言「大人もおもしろいよ」と言っていた。

大人も。って子供に向かって簡単には言えない。

なぜなら大人にも見栄があるから。

僕が信じていた「大人」というものが壊れていったときにそれを知った。

僕の中の大人はいつも疲れていた。否定的で子供を子供としてみる。

僕は子供というだけで人権はないと思っていた。

でも違うんだということにあるとき気づいた。

そうか。ダメな大人だけじゃないんだ。素晴らしい大人もいるんだって。

僕は世界が広くなった気がした。

ふっと空が開けて、身体中に酸素が駆け巡るようなそんな感覚。

新鮮な空気が体に充満する。

そう、僕が子供の時から嫌いだった大人は勝手に自分の限界を決めた人たち。

でももちろんそんな人ばかりではない。伸びやかに健やかに生きている人たちもたくさんいる。

14歳の女の子と70歳の大先輩の話を聞いて僕はそんな当たり前に気づくことができた。

だから今日は幸福な気分になれた。

大人は楽しい。そして大人も変わる。成長する。だから「なのかな」っていう。

70歳の糸井重里が「なのかな」なんだ。

「〜だ!」と決めつけられる人がどれだけいるだろう?

それでいい。

「なのかな」を人と組み上げていこう。

そしたらまた新しい「なのかな」に出会えるから。

そんな当たり前を噛み締めてこの2月を生きていこうと思えた。


そんな日。



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