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読みたいnoteと読まれないnoterとパソコンになりたかった僕

最近、ひどくnoteのPVが落ちている。

ナポリタン効果も収束かなとか思っている。

原因は今月書いていた弱音だらけのnoteにあるのかなと思う。

気づけばフォローもかなり減っていた。

悲しくはあるがしょうがないかなと思う。

またゆっくり1記事ずつ更新していくしかない。

素直な言葉で。


今日所属するせいかつ編集サロンで先日行われたzoomの録画を見返していた。

サロンについてはこちらの記事をどうぞ。

毎月のzoomに僕はなるべく参加することにしている。

それは相手を真剣に考えることで自分の振り返りになるから。


これをnoteに置き換えてみた。

自分がスキするとか読んでいる記事ってどんな傾向があるのかなと思った。

共通するのは

「弱かったり認めたくない自分と真剣に向き合いながら、どこかに人間のにおいがする作品」

という事を見つけた。


わかりにくいので説明する。

僕は変わりたくて仕方がない人間だなと思う。

ただ変われているのかはわからない。

たまに他の人から「変わったね」と言っていただくこともあるが、主観ではわからない。

もちろん自分で、楽になった事を実感しているのである程度変わったのだとは思うが、目には見えないのでなかなか具体的にはならない。

上記の言葉で大事なのは、真剣にという事。

これはとても苦しい作業だ。




たまにnoteに見られる「弱いままでいい」を正直僕は好まない。

書く人を否定するつもりはない。

弱いままでいい。と書くことは勇気がいる。

その時点で弱くないのではないかと思う。


でも、それを文字にして書いた文章を僕は読みたくない。

何故なら僕が弱いままでは嫌だから。

僕は強いの意味が知りたい。

はじめの一歩という漫画にあるように「強いってどんな気持ちだろう」と真剣に思っている。

だから僕は変わりたい。

その結果強いの意味とか気持ちに触れてみたいと思う。




「ありのままの自分」

この言葉をずーっと考えている。

ありのままってなんだろう。

生まれたまま?

それとももっと長い時間軸での話なのだろうか。

僕はこの答えが出ていない。

今の自分を愛する。という意味なのかなという仮説はある。

素直に自分を受け入れること。

でもそれには「向き合う」が伴うと思う。

先ほどの「弱いままでいい」という言葉。

これにはこの「向き合う」が欠けている印象がある。

「でいい」という部分も、受動的な感じがしてあまり好まない。


このことから僕が読みたいのは冒頭に書いた、「弱かったり認めたくない自分と真剣に向き合いながら、どこかに人間のにおいがする作品」という言葉になる。


「人間のにおい」というのはそれでも人は甘えてしまうよねという事。

真剣に自分と向き合うのは疲れる。

無理せずで。

だから僕はこの言葉が好きだ。







中学の時に友人と「生まれ変わったら何になりたい?」という話をしたことがある。

僕は

「パソコン」

と答えた。


友達は引いていた。

理由は「人の言う事だけ聞いていればいいから。」


どんだけなのだろうと思う。


最初の話に戻る。

noteもサロンでのzoomも僕にとってはとても楽しい体験である。


話すことと聞くこと。

書くことと読むこと。


両方大切なのである。


それは自分や知らない価値観を自分の目や耳で受け止めること。


そしてそれは自分の考える糧になるから。


受け止めるて向き合うを続ける。


それはとても幸福な事だから。


もちろん無理せずね。

読んでいただきありがとうございます。もし気に入っていただけたらサポートをおねがいします。今後の感性を磨くための読書費や学びへの費用とさせていただきます。