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1ヶ月

今日は2024年2月1日。アメリカに降り立ってちょうど一か月が経った。

だから、というわけでもないのだけれど、この機会を逃したら、また何時の日か記録しなかったことを後悔しそうで、そんな自分に向き合うために夜の9時を過ぎてからこうして書き始めている。

新しい土地での生活を始めて1カ月ということで、友達から「1カ月があっという間だったでしょう?」という連絡を受けた。否、その真逆だ。どういうことか未だよく考えてきれていないのだけれど、近年全く感じたことのないほど、この一か月は「長かった」のだ。1カ月というより、1日、1時間、1分までもが相当に長く感じて、非常に苦しい。苦しいというより、重い。新居の片づけやら何やら、やるべきことが沢山あって、一つ一つこなしているのに、なかなか就寝時間にならないのだ。そこで今日、1カ月という日の終わりに、今、ここに辿り着いた。

さて、記念すべき初投稿。私にとっては本当に記念すべき一歩である。
書き出すべきか否か、この1カ月つらつらと考えた末の大決断。そう、もう何も綴らなくなくなってから17年ぐらい。時間が経てば経つほど、この一歩を踏み出すことを躊躇し、しまいには踏み出さないことが私の日常にしっくりと馴染んでいしまっていた。でも、それでいいのかなぁ、という思いはずっとこころのどこかに残ったままだった。

実のところ、新しい行先がアメリカになることに前後し、奇遇なことから、小学校時代の恩師と連絡を取るようになった。転勤が続く家庭に育った私は6年間の小学校生活で先生は6人、3つ目の小学校で1年だけ担任を受け持って頂いたのがこの恩師だ。太陽のように明るく、ガハハハッと笑うけれども、喜怒哀楽もはっきりとしていて。転勤が続き、学校嫌いだった当時の私にとって「毎日学校に行く」ことが嫌にならない、とても貴重な存在の先生だったのだ。その恩師と実に33年ぶりに連絡がつき、33年ぶりに電話で声を聴き、何故か、あぁ、転換の時だな、と一瞬で感じたのが全ての始まりだった気がする。そして、何か綴るよう背中を押してくれたのも彼女だった。

明日は1カ月と1日目。もしくは2か月目の最初の日。どちらでもいいようで、そうでもない気がしている。今日のところは、つらつらと少しだけだけど綴り始め。一歩を踏み出せたことが、とてもとても嬉しい。


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