1番好きな映画のはなし
1番好きな映画を聞かれた時、気分や相手によって変わる事はあっても、答えは決めている。そこに今まで「パルプ・フィクション」は含まれていなかった。
「パルプ・フィクション」は’94年のアメリカ映画で、その頃僕は小学生。当然当時は観ていない。クエンティン・タランティーノの名前を世界中に知らしめたこの映画に出会ったのは、高校時代で、ご多分に漏れず僕も気触れた。レンタルビデオ屋通いもこの作品がきっかだ。
それでも、映画館で観た事が無い後ろめたさから生涯ベストに推せないでいた。
しかし、遂に映画館で体験してしまった。何度となく観た映画なのに、「大きさ」が違うだけでこんなに感動するだなんて。冒頭のサーフィン・ホットロッドミュージックに鳥肌が立つ。その後のタイトルバック! このフォントだけでやられてしまう。 一応知らない人の為にあらすじをと思ったけれど、この映画にはまともなストーリーがない。タイトル通り安物の低俗雑誌(これもタランティーノが愛した)の手法を映画に持ち込み、あるマフィアにまつわる何日間を、時系列や視点をシャッフルして観せる言わばオムニバス形式の作品だ。
何がこんなにも僕を惹きつけるかというと、「パルプ・フィクション」は楽器を持たない、楽器を演奏出来ない者達が自分達のレコードコレクションからビートを作り、ラップを乗せ、「音楽」にしてしまったように、タランティーノが愛した映画や音楽や雑誌を詰め込んで、紛れも無い「映画」を作ってしまったという点だ。
映画のクライマックスでマフィア(ジュールス)が聖書を引用し、人生の転機について語る大好きなシーンがある。映画を観る意味がそこにあるように思う。「映画」という聖書に啓示を受け人生を決めてしまうような瞬間。僕にとってのその瞬間がこの映画にはある。
これからは好きな映画を聞かれたら、「パルプ・フィクション」と答えようと思う。そして、あなたとこの映画について映画内のキャラクター達のようにダラダラとお喋りしたいと思っている。
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