「あなたはエルメスの宝石です。」ケアウィルコーポレートアドバイザー藤本幸三氏インタビュー
前回に引き続き、ケアウィルにコーポレートアドバイザー、アーティスティック・ダイレクターとして携わっていただいている、藤本幸三さんのこれまでのキャリアや、エルメスの執行役員時代に学んだことについて、お話をうかがいました。
初めての仕事は宝石関連
ーーそもそも、藤本さんはどのような経緯で今のようなお仕事をされるようになったんですか。
藤本さん:ぼくは、若い頃志したことと、今携わっていることが全然違うんですよね。自分でも紆余曲折がありすぎて、説明するのが大変なので、どなたかまとめてくれるといいなと思っています。笑
ーー藤本さんのご出身は大阪でしたよね。
藤本さん:そうです。大阪の船場というところで。祖父が繊維関係の運送業を営んでいて、大学で原子物理学を学んでいた父親がいやいや引き継いでいたんです。でも、その反動か父は突然牧師になりました。
ーー牧師に? それはどうしてだったんですか。
藤本さん:父は学者として東海村に行くつもりが、考えもしなかった事業を引き継ぐことなり。そうこうしているうちに、経緯はわかりませんが、突然牧師になりました。そんな父を見て、ぼくも「自分のやりたいことってなんだろう」と考えるようになりました。
ーー藤本さんが最初に取り組んだ仕事はどんなお仕事だったんですか。
藤本さん:いろいろ模索した中で最初に携わったのが宝石関連の仕事でした。宝石の勉強のためにロサンゼルスに隣接しているサンタモニカという街に行き、GIAという学校で宝石鑑定士の資格を取得しました。
ーーそうだったんですね。なぜ、当時宝石の仕事を選んだんでしょうか。
藤本さん:ちょうどその頃、結婚を考えていて「何か短期間で家族を養う術はないのか」と考えあぐねていました。
ーーその答えが「宝石」だったんですね。宝石の仕事は、ご自身がやりたかった仕事という意味で、合致はしていましたか。
藤本さん:宝石の仕事は順調に滑り出しました。でも、「自分のやりたいことはこれじゃなかったよね」とずっと思っていました。そんな中、当時交流していた友人達が、建築家だったり、アーティストだったり、デザイナーだったりしたことで、かなりインフルエンスを受けました。好奇心が旺盛な事もありましたし。
ジャン・ルイ・デュマとの思い出
ーー宝石のお仕事の後は、どのようなお仕事をされたのでしょうか。
藤本さん:88年に宝石業を辞める宣言をし、既に何人かいらっしゃったクライアントの為にコンサルタント業を始めました。90年代には東京に拠点を持ち、友人とデザイン関連の会社を起こしました。
ーーここから本格的にコンサルタント業のキャリアがスタートしたんですね。
藤本さん:そこから、インデペンデントでいろんなことが始まっていきました。さまざまなカテゴリのクライアントに向けてコンサルタント業を幅広く行いました。
ーーエルメスのお仕事はいつからですか?
藤本さん:2001年にエルメスジャポンのコミュニケーション担当執行役員として入社し、2013年迄在職しました。
ーーエルメスはどんな会社でしたか?
藤本さん:エルメスは上場企業ではありますが、今も創業者の家族によって経営されており、唯一無二の魅力を与え続けています。コンテンツに費やす手間暇を惜しみません。そして、エルメスは子会社に対して、マニュアル的な管理を押しつけないんですよ。海外子会社の文化や発想を尊重し、それぞれにマネジメントの方法を託してくれます。
ーーなんだか意外ですね。かなり厳しく縛られるものなのかと思っていました。
藤本さん:本社はそれぞれの国から良いアイディアやインスピレーションが出てくる可能性に期待していました。ガイダンスはありますが、他のメゾンと比較してもかなり柔軟だと思います。
ーーエルメスでとくに印象に残っていることはありますか。
藤本さん:ずばり創業家5代目会長ジャン・ルイ・デュマ・エルメス※と一緒にお仕事ができたことです!今だから言えるのですが、正直ぼくは「エルメスのために仕事をした」というのではなく、ジャン・ルイ・デュマの目を見ながら「この人が納得し満足することは何か」ということを、もう徹底的に追求しました。
ーーエルメスと言うよりも、ジャン・ルイ・デュマさんを見て、仕事をしていたと。
藤本さん:それは「彼に言われたことを実行する」という意味ではありません。それは「チャレンジ」であり、最高・最良の結果を得るための闘いでした。
ーージャン・ルイ・デュマさんは藤本さんをどのように見ていたんでしょうね。
藤本さん:じつはお亡くなりになる前、最後の来日の際、奥様で全世界全てのエルメスの店舗設計をされていたレナ・デュマと一緒に会食したんです。そのとき思いがけず ”You are the gem of HERMES.(あなたはエルメスの宝石です)”と言ってくださいました。
ーー藤本さんの働きぶりを、しっかりと評価されていたんですね。
藤本さん:僕も、同席していた妻も、嬉しくて涙が溢れました。ぼくがもともと宝石の仕事をしていたことにかけて、そのような言葉をかけてくださったんです。彼の期待に応えられた証になるような言葉でした。
ケアウィルがストーリーを伝える会社となるために
ーー藤本さんのお話をうかがっていると、エルメスって、素晴らしい会社だなと感動します。
藤本さん:エルメスが「ものづくりの企業」というのは間違いがない事実なんですが、それよりもぼくは「コンテンツづくりの企業」と認識したほうが正しいと思っています。
ーー「コンテンツづくりの企業」ですか。
藤本さん:そういう意味では、エルメスってウォルト・ディズニーに似ているとも思っています。ものすごくナラティブで、ハッピーなんですよ。そういう本質的なマインドを心に持って、事業を展開していくことを学びました。
ーーケアウィルもエルメスのような、ストーリーを持った企業として成長したいです。
藤本さん:笈沼さんのジェヌエインなストーリーはとても重要だと思います。まだストーリーは完成形ではないですが、想いの「底」というのがしっかり見えると、同じ価値観で強く結託できるのではないでしょうか。
ーーストーリーを完成させて、形にしていかないといけませんね。
藤本さん:ケアウィルは笈沼さんのビジョンを形にすることで継承され、文化になっていくはずです。今はビジョンを確立するためにとても重要な時期だと思います。
ーーそうですよね。気が引き締まります。
藤本さん:ものをつくっていて、妥協はしたくない。でも、ちゃんと商売が成り立つかというところまで、突き詰めないといけない。エルメスから学んだことで、みなさんにシェアしたいことがまだまだたくさんあります。
ーーちなみに藤本さんは、ケアウィルの笈沼さんをどのように見ていますか。
藤本さん:JINS時代はとにかくそつがなく、すごいなと思っていました。JINSのスタイルに笈沼さんはさっと馴染んで、必要なことをすばやく構築できるのを目の当たりに見ましたが、すごい才能の持ち主だと思います。
「本質」を探求する意識
ーー藤本さんのお話でよく「本質」という言葉をお聞きします。その「本質」への意識はどこから生まれたものなのでしょうか。
藤本さん:コンサル業をしていると、90年代の経済バブルの崩壊のせいもあったかもしれないけど、方向性が定まらない企業と数多く出会いました。その経験は大きかったと思いますね。
ーー方向性を見失って、どんな状態になっている企業が多かった印象ですか?
藤本さん:足元を見失っているんです。漠然と「なにか新しいことをしないといけない」という方針だけがある。そんな経営者が増えた時期だったと思います。
ーーなるほど。もともと藤本さんご自身も本質を探求するタイプでしたか?
藤本さん:そうだと思います。それは、ぼくが船場という繊維の街で生まれ育ったことも寄与しているかと思います。最高の素材を見極める事にこだわってきた経緯もあり、ものをひとつ選ぶだけでも、今でもすごく時間を掛けます。
ーー本質を探求する習慣が身についているわけですね。
藤本さん:海外にいた頃に多くのことを学び、自分から積極的に本質を更に求めるようになりました。日本を出なければ、今の自分はなかったかと思います。
ーー海外経験で素材にこだわる方と多く出会ったということですか。
藤本さん:そうですね。ぼくには海外にもメンターみたいな友人がたくさんいて、彼らがポロッと言ってくれた言葉には素材にまつわる言及が多かった。そういった友人達と接することによって、今の自分のクライテリアがあると思います。素材を見る眼が共通語のようになっていました。
ーーやはり素材は大切なんですね。
藤本さん:エルメスが時代とともに変化する中で、変化していないものがあります。それが、最高の素材と最高の技術にこだわることです。しかし、どれだけ技術があっても、いい素材を使っていなければ意味がありません。そういった意味で最高のサプライヤーに敬意を持たれるエルメスは真の錬金術師と称される由縁だと思います。
ーーたしかに、ものづくりの本質だと思います。
藤本さん:もともとエルメスは馬具のメーカーとして、品質の高さで評判となり、その頃のものづくりのマインドを現在でも馬具以外のものに生かしているんです。マインドは現在でも、馬具を作っていた頃のままなんです。
アートがビジネスに教えてくれるもの
ーー一般的にはアートとビジネスは対局にあるものとされますが、エルメスではアートを表現する場として店舗を提供していますよね。
藤本さん:アートから学ぶものは多いです。たとえば、銀座メゾンエルメスの8階にはアートスペースがあります。当初は多目的スペースとしてファッションショーや、展示会を企画するとのことだったのですが、ぼくがアートのためのギャラリースペースにしたいと進言しました。
ーーなぜ藤本さんはエルメスのメゾンにギャラリーが必要だと考えたんですか?
藤本さん:メゾンエルメスにはものつくりをしてきたアルチザンのアーカイブとしての過去と、ものを売っている店舗としての現在があるんです。でも、未来への啓示を受けるものが欠けていると思っていました。そんな新しい価値を現代芸術を通じて提示できればと思い、現代美術のギャラリーを提案したんです。
ーーなるほど。そのギャラリーはすぐに実現したんですか。
藤本さん:いえ、デュマ会長は芸術には詳しい方だったんですが、現代美術には距離を置いていらっしゃいました。でも、議論の末「とにかくやってみなさい」ということで、アートギャラリーがスタートしました。今年20年を迎えた今も脈々と続いている事がすごいと思います。
https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/archives/
ーーもう20年ほど続いているということですか。すごいですね。
藤本さん:自分の中ではとても大事なアクションだったと思っています。当時、他のラグジュアリーブランドはそういうところに着手できていなかったんですよ。
ーーエルメスには、藤本さんのエッセンスが今にも脈々と流れているんですね。
藤本さん:表現の世界ですからね。現代美術では日常とかけ離れた発想の人たちがインディケートしてくれるので、新たな価値観を学ぶものはたくさんあるんです。現代美術は奥が深いですよ。
ーーわたしも現代美術をもっと深堀りしてみたくなりました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
藤本幸三さんのお話をうかがい、これからのケアウィルが探求する本質とはいったいどんなものなのか、もっともっと考えていきたいと思いました。これからの歴史のためには、今が最も重要な時期なので、気を引き締めて探求します。
ケアウィル参画メンバーのインタビュー企画は続きます。次回もお楽しみに。
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