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#025 デザイナーには責任がある

おはようございます、代表の笈沼です。

「デザイナーには責任がある」これは、昨日、ケアウィルのパートナーセッションへお招きした長嶋りかこさんが仰っていた言葉です。長嶋さんには昨年10月からケアウィルのアートディレクターとして参画いただき、ケアウィルのビジュアルアイデンティティ(VI)を創り、監修いただいています。

この言葉は、長嶋さんとの対話の中で何度か出てきていたのですが、昨日うかがって、改めて、長嶋さんらしさが集約されているなぁと思いました。

長嶋さんを始め、village社(長嶋さんが代表の会社) の皆さんとお仕事をしていてとても心地良いのは、一緒に、全力で泥まみれになって駆け抜けてくれるから(笑)グラフィックや言語表現に留まらず、事業に対するデザインに至るまで、僕らと真正面から向き合い、問いかけ、本気で意見をぶつけ、でも多くの場面では傾聴し、状況に順応し、いざ実行になれば、ものすごい集中力によって細部にまでこだわったデザインを実現してくれる。そのどの過程においても泥臭さがある。

それは、長嶋さんご自身の過去の経験と教訓、何かを実現するために何かを捨てたからこそあとに残る覚悟があり、その覚悟がチームにも根付いているからだろうとお話から感じました。だから「デザイナーには責任がある」と言い切れる。そこには「何をやるべきで、何をやるべきでないか」のシンプルな判断基準があり、いざやるとなったら「なぜやっているのか」を自問自答し、1つ1つの答えを外へ語り続ける根気強さと、そのための頑固さ、何より表現力がある。

当たり前のことを当たり前に続けることって本当に尊いことだと思います。多くは、周りにぶらされちゃう。褒められたら浮かれちゃう、特に今の世の中って、自分をスマートに綺麗に見せるツールやテクニックが溢れているから、それが本質でないと分かっていても、他人と比較すれば自分が見劣りしていると錯覚し、表面的な、手近な表現に走ってしまう。でも、どうなんだろう、結果、それって皆、同質化してく気がします。

villageとの関りを通じて、僕も、ケアウィルが扱う全てのデザインに責任が伴う、言い方を変えれば、デザインの理由を外に語りつづける責務がある、と思うようになりました。CEOは経営のデザイナー。製品、サービス、社会との関わり、仕組み、コミュニケーション、戦略、組織、文化、すべてを、デザインできる。でも、まだまだ当社は小さい会社ですから、すべてのデザインを実行はできないものの、事業が成長していけば必然的にデザインの対象も拡がっていきます。

そんな「デザインに対する責任」について、でした。ではまた!

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