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桜の枝が折れた話(完)

ながさごだいすけ

それからさらに一週間ほど過ぎた。レモンの木は相変わらず、順調に葉を増やしていたが、他の木にはさほど変化がみられなかった。ただ、桜にもサカキにも、わずかではあったが新しい葉が生え始めていた。桜は剪定のときに残された葉がだんだん枯れ始めたので、そのまま枯れていくのではないかと怯えたが、別の枝からわずかに新しい葉が生え始め、少なくともまだ生命力を残していることはわかった。

桜の剪定からひと月余りが過ぎようとしており、さすがに当初のショックからは立ち直ったものの、これから冬を迎え、桜の葉は正月ごろまでにはすべて落ちるはずであり、その後新芽が出るのは早くても2月下旬、とすると、花が咲くかどうかまだ5カ月もやきもきし続けないといけないのか、と思って憂鬱だった。

十五夜の晩に、母が庭に出ると、空にきれいな満月が浮かんでいた、と翌朝聞かされた。ずっと桜の木に邪魔されて、庭から空は見えなかったので、それもまた桜を剪定してもらって良かったことのひとつだった。もっとも母がそれを素直に喜ぼうとしていることはわかったものの、わたしには無理をしているように感じられてならなかった。

翌々日の朝食のとき、母が台所の窓から空を見上げて、「さっきまで、雲の間から丸い月がきれいに見えたが、また雲に隠れて見えなくなった」と言った。わたしは、時間がたって西側の建物の陰に隠れてしまったのだろうと思ってベランダへ上がった。

西の空には大きな雲があり、北に向かって猛烈な勢いで移動しているのが見えた。みるみるうちに移動していくので、上空ではそうとう強い風が吹いているのだろうと思われた。月はどこにもみえなかったが、月があると思われるあたりに見当をつけてみているうちに、雲の下端に、真ん丸の月がちらっと光ったのが見えた。

一瞬でまた雲に隠れてしまったが、そのあたりをじっと見つめていると、そのうちにきれいな満月が現れた。十五夜の翌々日の朝ということは、十六夜、それとも十七夜ということになるのだろうか。とてもきれいな丸い月だったので、十五夜を見なかった代わりにスマホに収めて置こうと思い、ベランダの左手に移動してスマホを構えたとき、

「えっ?」わたしは目を疑った。

目の前の桜の枝に花が二輪咲いているのが目にとまったのである。そこから少し右手のほうの枝にも二輪咲いている。

他にはなさそうだったが、それでも、今の時期に桜が咲くなんて驚きであった。うちの桜は葉桜なので、新しい葉が出てきて、その勢いで花も咲いたということなのだろうか。この先さらに別の花が咲くかどうかは微妙だが、これで花を咲かせる力が残っていることがはっきり証明されてほっとした。まさか寿命が尽きる前の狂い咲き、なんてことはないと思いたいが。

花を写真に収めてから、台所に下りて母に告げると、母もさっそく見に行った。明らかに嬉しそうで、昼飯のときも、「もっと咲くかしら」と言い、食べ終わると再び確認に行った。最初は左側の目の前の花だけに気が付いたようで、再び確認に行って、右手のほうの花も発見し、また咲いた、と思ったようで嬉しそうにわたしに報告した。わたしが、朝からそのふたつの枝で咲いてた、というとがっかりした様子だった。

いずれにしても、これでわたしもかなり気分が楽になった。おそらく母も同様だろう。春まで憂鬱に過ごすしかないと思っていただけに、これは本当にうれしいニュースだった。

庭師さんは、やっぱりプロの庭師さんだったのだな、と改めて思った。

ちなみに、ツワブキはその後花を咲かせた。すこぶる興味深いことに、三本あるツワブキの、脚立につぶされた両側の二本にだけ花がつき、無傷だった真ん中のツワブキにはなぜか今年は花がつかないのである。つぶされた以外にはまったく理由を思いつかない。

一枚の葉もなく地上10cmで切断されたヤツデは、切断面から3cmほど下に新芽が生えてきて、5-6枚の葉をつけた立派な茎に成長した。日増しに伸びており、来年には元通りになりそうな勢いである。

サカキの枝にも、小鳥が来るようになった。まだ毎日というわけではないものの、ときおりやってきては何かをつついている。

最後に、隣家の塀の向こうのケヤキまで、塀の上に顔を出した。もっとバッサリ切ったのだとばかり思っていたが、そうではなかったようだ。「今度うちの庭に伸びてきたら、黙ってちょん切ってやるの」と母はめずらしく興奮した面持ちでそう宣言した。

まったく、年季の入った庭師さんはあなどれませぬ。


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