阿蘇の花火
阿蘇山が噴火したニュースを見ていて、母が昔、家族旅行でいった阿蘇の旅館で、偶然、遠くの花火を見たことを覚えているか、とわたしに聞いた。わたしは、もちろん覚えている、と答えた。
夏休みに、なぜ熊本と阿蘇山に行くことになったのか、わたしはもちろん母もその理由を知らなかった。それは父が突然言い出したことだったという。山口の父の実家に帰省中のことだったか、それとも家からまっすぐ熊本に行ったのかすら、母もわたしも覚えていなかったが、父が言い出したことを母ははっきり覚えていた。
だが、熊本に行く理由なんてどこにもなかった、と母は言う。なにか言われたのかもしれないが、母の記憶にはない。父は、教職者なので説明するのは得意だったはずだが、家族にはその特技を発揮することがあまりなかった、というのはわたしが覚えている範囲でもはっきりしている。まさかなんの脈絡もなく、突然熊本か阿蘇山に行きたくなったから家族を連れて行ったというわけではあるまい。だが、それを誰にもきちんと説明しなかった、というのはいかにもありそうなことである。
わたしは、今回阿蘇山が噴火するまで、あの旅行は母が行きたかったからだと単純に思い込んでいたので、わざわざ父に聞くはずもなかった。小倉に伯父(父の兄)が住んでいるので、九州というのはわかるが、それならふつうは福岡か長崎ではないか、少なくとも母が企画していればそうなったのではないだろうか、とわたしは思った。
だが、父が考えたのなら条件はまったく異なってくる。そもそも父は山口で高等師範を卒業しているし、兄は小倉の市役所に勤めていたのだから、当然その近辺は旅行したことがあったに違いない。熊本や大分だって、少し遠いが行ったことがあってもおかしくはない。要するに自分ちの庭のようなものである。だから、いいほうに考えるなら、九州のなかで一番の観光地として阿蘇・熊本を選んだのかもしれなかった。ただ、父はときどきかなり自分勝手に物事を決める場合があったらしいので、もしかしたら、単に自分が行ったことのない土地を選んだに過ぎないのかもしれなかった。だがこれはまあ邪推というものだろう。
もちろん、当時小学生だったわたしには、理由などどうでもよかった。噴煙を上げる阿蘇山には興奮したし、熊本城や水前寺公園などにも感銘を受けた。そして最後の極めつけが、阿蘇の草原のかなたで打ちあがった花火だった。これは、まったく予期していなかっただけに、感激もひとしおだった。それは母にとっても同じだったに違いない。だからこそ母は、そのときの他のことはまったく言わないのに、あの花火大会のことだけは、折に触れて話すのである。
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