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遍路

中島みゆきの『遍路』という歌が昔から大好きで今でも繰り返し聴く。だから、というわけではないのだが、「遍路」はずっと気になるキーワードのひとつだった。

『遍路』は主人公の恋愛遍歴を歌ったものなので、具体的にどこかの旅路を意味しているわけではなかったが、それを聴き始めた大学院生のころ、四国出身の学生が多くいたせいもあって、自然と四国を舞台に考えるようになっていた。(*)

だから、高群逸枝の『娘巡礼記』に行き着いたのは自然なことだったと思う。遍路について検索しているとしばしば出くわすので、四国を舞台に旅行記を書くのであれば、かならず目を通さないといけないと思っていたが、これまで一度も手にしたことがなかった。

実は大正時代に書かれ、作者が女性史学の研究者ということで、四角四面の古色蒼然とした旅行記を想像していたからである。ところがそれはとんでもない思い違いだった。百年も前に書かれたものだとはとても思えなかった。

『娘巡礼記』の作者・高群逸枝は、行動の人である。恋人とストーカー(?)の板挟みになって、巡礼に出ることを決めるのだが、その初期費用を、地方新聞社に巡礼記をリアルタイムで連載する約束で出してもらうのである。遍路につきまとう後ろ向きの暗いイメージはここにはなく、むしろ高群の溢れんばかりのパワーが感じられる。

旅に出てからも高群は、その本来のカリスマ性(?)を発揮して、どんどん力を増していく。故郷の熊本を出て阿蘇を越え、大分に入ったところで、73歳のお爺さんと巡り合うのだが、お爺さんは観音様の夢のお告げがあって、一緒に巡礼に行くことにしたと宣言するのである。その準備を待つ間に、高群は大分の地方紙に投書してちょっとした有名人になり、本人を一目見ようと大勢のひとが集まってくる。

四国に渡ってからもひたすら献身的なお爺さんに支えられ、たびたび野宿したり、夜通しお祈りしたり(通夜というらしい)、変な男につきまとわれたり、切腹願望の男が気になって追いかけたり、途中一人旅をしたいと言い出してお爺さんを怒らせたり(お爺さんは腹をたてて高群を置き去りにするが四日後に戻ってくる)と、紆余曲折ありながら、結局最後までお爺さんと二人三脚で半年がかりの巡礼を見事に達成するのである。

この紀行文の新聞連載は、一種のセンセーションを読者の間に巻き起こした、と文庫解説に書かれていた。その理由として解説者は、高群の「訴える力」を挙げている。体験をリアルタイムで伝える迫真性に加えて、若さに溢れたみずみずしい息づかいが随所に感じられる彼女の文章が、多くの人の琴線に触れたことは想像に難くない。これこそがまさに本物の旅行記がもつ力なのではないかとわたしは思った。

わたしも観音様にあやかりたいものだと思った(ヲイヲイ)。

最後のほうでインフルエンザに感染したことが書かれていて、この巡礼記が書かれたのが1918年、スペイン風邪が世界的に流行した年だったことに気づいた。高群逸枝は、明治27年生まれ。わたしの祖母と同い年である。

* もともと「遍路」という言葉は四国八十八か所を巡る巡礼のことを特にさしていたらしいので、そんなにおかしな解釈というわけでもなかったと思う

(失われた旅行記を求めてV)


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