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あたらしい場所で〜転職してはじめてのお給料をいただきました記念日〜

わたしは25歳。ストレートで大学に入って、4年で卒業。海外の大学院を目指していた1年間があるので、友達みんなの2年目がわたしにとっては1年目だった。その初めての社会人を経験させてもらった学校教育現場。とてもとても激しい世界で、半年強して休職、そのまま退職して、縁があって今の塾で働かせてもらえることになった。

その転職からはや1ヶ月。長いようで、一瞬の1ヶ月だった。塾業界の新年度は3月から始まり、新年度をむかえる子どもたちと一緒に入社した。今日、1ヶ月弱分の、転職してからは初の、お給料をいただいた。実家に住んでいるわたしとしては、このまとまったお金にあまり意味があるわけではないけど、やっぱり社会人としてのお給料の重みって素敵だなと思ったので、(論理ぐちゃぐちゃだけど)転職して感じたことや、変わったことなんかを記録に残そうと思う。

1、早起きしなくていいってすてき
なんてったって、学校現場の朝は早い。低血圧、低体温のわたしには、それはそれは辛くて、死ぬ気でベッドから体を起こしていた。年功序列はないものの、朝が早いことが前提の職場は、出勤時間が生徒の登校時間と重なっただけで犯罪者のような目で睨まれたりする。(わたしの勤務していた学校では門立ち当番があって、10人とか教員が校門の前に立つ)こっわ。

今はと言うと、出勤は13時。11時に起きれば余裕で間に合うし、13時に出勤したからといってすぐに授業があるわけではないから、自分の仕事のスケジュールがこなせれば、少し遅れても特になにも言わないルールがある職場だ。ゆるゆるとみんなで集合し、それぞれゆるっと仕事をして、夜の授業(ここが本番)に臨む。帰ってくるのが遅くなって、彼と連絡が取れる時間は減ったけれど、これはこれで週末の楽しみが増えて良い。今の状況でオンライン授業+夏期講習分の授業を前倒しして昼間にも授業をしているから、少し事情は違うけれど、基本のスタンスは同じだ。労働時間が不規則に増える時もあるけれど、基本的には10時間弱くらいで、14時間働いていた以前とは比べ物にならない。この3時間がリラックスタイムになるか、切羽詰まって疲れた体を強制的に休ませる休息時間になるかをわける。リラックスタイムがないと命取りになるということを痛感したわたしにとってみれば、帰宅後8時間の睡眠時間を確保しても4時間強自由時間を確保できる今の職場は天国だ。身体にも心にもやさしい職場だと自慢したい。

2、上司大事。ああ、ここで働けて幸せって思える
今の上司と一緒に働くのはこれが初めてではない。上司は中学生の時の元先生(今も先生だと思っている節もある)で、わたしは教え子。大学時代もアルバイトでお世話になっていたので、まるまる10年の付き合いになる。上司はわたしと同じHighly Sensitive Personで、互いに認識している。アルバイトや他の講師の先生、生徒や保護者の行動・言動で気になるところはほぼ同じで、一番の理解者と言っても過言ではない。悪いところにも気がつく反面、良いところにもたくさん気づいてくれて、たまにもらう指示は明瞭(日本語の扱いも上手なので、すぐに意味がわかる)。褒め言葉もとっても上手で、いつも(あ、これ生徒褒める時に使お。)という感じでパクらせていただいているくらいだ。わたしは自他共認める、日本語が不自由な純ジャパ(日本語と英語のhalf bilingualだと思っている)なので、仕事でも言い間違いが甚だしい。特に漢字が並んだ熟語が苦手なので、「日本語指導」も逐一やってくれはる、とっても出来た上司。(誰目線やねん)年の離れたバイトたちとのコミュニケーション、ひいては生徒との会話のキャッチボールも上手で、心の底から尊敬している。尊敬できる人たちと働けるって幸せだって思える。

3、頼れる人がいる、協力できるってすてき
学校で働いていた頃、毎日孤独だった。100人規模で先生たちはいるし、毎週教科会議も職員会議もあるし、職員室なんて11人すし詰めだしで、人と一緒に働いていた。でも、孤独だった。同じ教科を教えていても、同じクラスを教えていても、そのクラスのその授業を担当しているのはわたしだけ。学校で教えるのが初めてだったわたしは、教え方も、苦手な英文法(構文にがて)も、英語の文章の「日本人風の読み方」(こっちも構文だらけで吐き気がした)も、自分で1から10まで考えて、調べて、人に聞いて、走り回って覚えた。疑問を持ちながら教えるのは、本当に苦痛だったのを覚えている。留学中も、大学時代も、構文なんて意識して英語を扱ったことはない。知っていたら表現は広がったかも知れないけれど、考えられる心や物事の幅は狭まるような気がする。語句の並び替え問題、穴埋め問題なんて、英語を話す時に必要ないじゃない。そう思いながら、でも誰とも共有できぬまま、苦しみを抱えて、教えていた。誰とも悩みを共有せぬまま。そうしているうちに、心が先に死んでしまったのだ。

今は大学時代のバイトのときのノートを改変しつつ、文法過多になりすぎないように教えている。英語を苦痛を思ってほしくない。「暗記」をしようとしなくても、何度も同じ表現を使って自然に使えるようにしたい。そのスローガンは教室全体で掲げていて、講師も心一つに日々色んな方法を試し、共有して進んでいる。こんな状況下で、オンライン授業をしていても、Google classroomやzoomでできる、ベターな策を模索している。バイトだから、社員だから、という垣根を超えて、皆が協力して、しっかりと手を取り合ってこの状況にも、苦手意識を持ちやすい英語にも、取り組んでいるのが、目に見えて感動してしまう。

4、当たり前のことを当たり前にできることの大切さ
学校で教えていた生徒たちが悪かったわけではない。個性豊かで、たくさんの表情を持つ子どもたちで、素直でいい子たちだった。卒業生とは、連絡を取り合っているし、正直1週間に1度は誰かしらから相談を受けるほど。そんな生徒たちのことをとてもとても愛しく思うし、尊い存在には違いない。

職場が変わってなにが変わったか、それは「当たり前のことを当たり前にできる率」が高いこと。この前まで勤めていたのは高校で、今教えているのは中学生だ。年は最大3つほど(彼らの年齢の3歳は大きい)違う。でも、当たり前のことを当たり前にできる率は、格段に今教えている子たちのほうが高い。宿題をやってくる率、指示が一発で通る率、忘れ物をしない確率、時間割が不規則でも時間通りにちゃんと来れる率、一番は宿題の質、勉強の質。塾に通える子なんだから、経済的にも比較的余裕がある家が多いのかも知れないが、正直あまりそこは関係ないのかも知れないと思えてしまう。いま教えている子たちは「しっかりしている」。対面であろうが、オンラインであろうが、人の話をちゃんと聞いているし、その場にあった判断が的確にできる。たまにオンライン授業に(普通に授業があることを忘れて)遅れて来る子もいるのだが、そんなときは塾から丁寧な口調で電話を掛けるという手間を省くため、クラスメイトの子たちが「ライン送りますね!」と率先して協力してくれる。宿題の質も高い子達が多いので、宿題の質が悪い子たちもしっかりそっちにひっぱられて、「やばい」と思わせてくれる。遅刻が多い子、宿題をいつも忘れる子、忘れ物をよくする子、凡ミスを繰り返してしまう子はたしかにいる。良いことはもちろん、悪いことも正直に保護者に報告をする。お忙しい保護者も多いのだが、塾新聞や保護者へのクラス単位の報告書で、「塾だけの力では成績は上がらない。学習面は塾、生活面のことはご家庭も協力してもらわないと。」という呼びかけをたくさんおこなっているおかげで、塾で叱られ、(子供にとって怒らせると怖い存在の)親が口を出し、だんだんと生徒も覚え、独り立ちをするという最高の構図が完成するのだ。その連携のとりやすさ、そしてその密度、どこをとっても、学校とは違う。後手後手の学校、先回りの塾、わたしに合っていたのは後者だった。教育という分野は同じでも、目的が違う2つの組織。(よく、「勉強する、という目的を果たすためではなく、学校に通うという目的で生徒たちは学校に来ているのです」、と言われていた。もやもやした。)本質を考えてから就職するのもとても大切ということを学んだ。

5、授業がしやすい
40人を一気に教える高校。MAX20人の塾。授業のしやすさは段違いに違う。高校は、英語力が一番顕著に出やすい場所で、偏差値にすると30後半〜70くらいまでの子たちがひとクラスで同じ授業を受けていた。今思い出すだけで恐ろしい。「まったくわからん。ちんぷんかんぷんで〜〜す。」という子の割合が減ることで、こんなにも心が楽なんだということを再認識している。

ちなみに、今教えている子で中1からずっと英語の成績が1〜2という子がいる。必死に毎日補習(1年生からのやり直し)をしているが、3年生の春の今の段階で補習が出来ているので、たかが2年分(彼に怒られそうだが)なのだ。2年分を取り戻すのと、5年分を取り戻すのとでは話が違う。その子は普段の授業中も1年生の内容をやる時間として使っているが、例外はその子だけで、他の19人は3年生の濃い内容についてきてくれている。(オンラインでも授業のやりやすさには変わりなし。)

6、彼が居てくれること
最後はやっぱりこれ。学校で働いていた時、彼はまだ「彼」ではなく、「半年に一度地元に帰ってくる友達」だった。その頃は強がっている部分も多かったし、今彼と話している内容は友達レベルの人に話せる内容ではない。(というか、状況の説明がややこしすぎてそれだけで疲れてしまうので話そうと思わない)彼が居てくれたとしても、仕事のことはほぼほぼお互い話さない。上司の話や同僚の話はするけれど、業種もやっていることも違うので、仕事の話はほとんどしない。だけど、毎週ちゃんとやってくる週末と、週末のだらりとした時間(最近はもっぱらどうぶつの森をしながら、彼が料理や家事をしているのを眺めて、同時に再生ボタンを押してテレ映画鑑賞会なるものをやったりしている)を楽しんでいる。週末に仕事を持って帰らない(最近はすこーしだけ持って帰って勘が鈍らないようにしていたりするけど)ことで、リフレッシュにもなるけれど、以前のわたしは暇を持て余すのが嫌でそれが出来なかった。これができる職場の環境(人件費をケチりすぎないで、アウトリソースでまかなえるところはまかなってくれる経営判断ができる上司、やっぱかっこいい)に恵まれているというのもあるけど、それも含めて、今の職場はとても好きだ。

とまあ、こんなところだろうか。教育現場ならではのことも書いてみたが、働く時間帯や環境、上司は今まで働いたいろんな業種でも共通するところだと思う。

はあ、1ヶ月、とってもがんばりました、自分。(こうやって自省できる時間ができたのもすばらしい。学校で働いてるときは帰ってバタンキュー、休みは寝るだけの生活でまじで屍だったわ。笑)

もう3時だけど、少しだけ動物たちに癒やされて寝ます。
きょうもありがとうございました。





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