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ひとりで過ごす夜は

きのうは、ふたりで過ごす夜の話を書いた。500キロの距離を隔てていても、彼はわたしに寂しい思いをさせない。毎日雑談をし、ときに画面越しでも実家のリビングでも声を出して笑ってしまうくらいに、おかしなことを言って楽しませてくれる――実家が徒歩10分と離れていない生粋の京都人、いや関西人なわたしたちはおもろいことが息をするように出てくるので、彼にはきっと「楽しませている」という感覚はないのだろうと思うが。(わたしの希望的観測かもしれない。)だから、夜はいつも一緒に過ごしているような感覚になる。

きょうは、ひとりで過ごす夜の話をしたい。彼が眠りに落ちたあと――きょうは睡眠の日かもしれない彼は、もう眠りに落ちているが――もわたしの夜は続く。お風呂に入り、apple watchを充電している間は目をできるだけ疲れさせないように、目が冴えてしまわないように、画面を暗くしながらYoutubeでお気に入りの「水溜りボンド」を見たり、SNSで平日飲みをしている友人の姿を眺めたり、バイト先のレストランを覗いたり。溜まったドラマをみるときもある。(なぜ毎日こんなに時間があるのに、見ていないドラマはこんなにも溜まってしまうのだろう。)いずれにせよ、わたしはたくさん、ひとりで夜を過ごす術を知っていた。

彼といっしょにいるようになってから新しくpastime(娯楽・気晴らしの意)として加わったのが、小説を読んで寝ること。

小学校の頃は給食当番と読書が楽しみな『変な子』だった――きっと彼は「過去形じゃなくて現在完了形でしょ。」と英語を教えているわたしを叱るだろうが――。引っ込み思案だったわたしが、図書委員長に立候補するほど好きだった。なぜ委員長なのか、というと、「早朝と昼休みに図書室を開放し、好きなだけ本を読める権利(鍵を借りて返せる権利とも言う)」が手に入るから、というシンプルな理由だった。学校にない本はリクエストすれば買ってもらえるが、それにも時間がかかるので、母にねだった。最終的に読む本がなくなった娘が毎日本をねだってくるようになったので、母は「お風呂掃除したら1回50円ね。」と言った。毎日せっせと頑張って、たくさん本を買ってもらった。5年生と6年生のときには1年に100冊以上も本を読み、全校集会で表彰されて、読書熱は最高潮まで高まった。

中学生になって塾に入り、学校の勉強もそれなりに難しくなる中で、わたしはだんだん本から離れていった。中高のときは「わたしは本が嫌いになってしまったのかな…」と思っていた。でも今ならわかる。決して嫌いになったわけではなかった、少し距離をとっただけだったのだと。

大学では常に掛け持ちしていたアルバイトと教職や専攻の勉強、恋に委員会…たくさんのtodoに追われていたが、常に本に囲まれていた。本と言っても小説ではなく、大学のえらい先生がまとめた研究の本や論文だったけれど。もしくは生徒たちに教えるために開いた文法書だったけれど。そんな毎日がたまらなくたのしかった。研究機関である大学では、専攻を決めたのち、その分野の中の細かい細かいテーマを深めるため、毎日似たような論文を読む。「英語教育学」という大きな分野からみると、とても小さな、でも貴重な、新しい発見を目の当たりにするのがたのしかった。だから、卒業論文も「ガチで」取り組んだ。ゼミの友人の分も、内容を覚えるくらいに考え、一緒に推敲したものだ。そういえば、『本のおもしろさ』を「スマホが手にくっついてしまったように」手放さない現代の子どもたちに伝えたくて、「学校司書教諭」の免許も取得した。

大学で再認識したのは、「わたしは本が嫌いになってしまったわけではない」ということ。教員として社会人になっても、それは変わらなかった。教える仕事なので、情報のアップデートが必須。英語科なのに社会学的な知見(実は公民科の教員免許も持っている)をもとにした授業を行っていたこともあって、社会学の本にも目を通していた。

でも、小説には触れられずの数年だった。やっとの思いで触れるのは年に一度の海外旅行のときだけ。10冊ほど持っていっては、全て読んで帰ってくる。関西空港から成田乗り継ぎでオーストラリアに行ったときは、行きの国内移動だけで1冊読み終えてしまい、「足りない!」と本屋に走ったことがある。案の定、そのときはそれでも足りなかった。

わたしの病気は、発病当初、厄介な症状をきたしていた――思考力が低下したのか、文章が頭に入ってこなくなるというもの。あんなに小さい頃から本を読んでいた文学少女が、文章が読めなくなってしまったのである。症状もしんどかったが、大好きな文章が読めなくなったのは、そのしんどさを倍増させた。

彼と一緒に過ごすようになったのは、なぜか何かの緩和になると思って始めた漢検の勉強が2ヶ月めにはいったころ。ちょうど、だんだんその症状から抜け出してきたかなぁくらいの頃で、彼は「この人の本はすてきだから読めるかもしれないし、無理しなくていいから読めたら読んでみて。」と、ある本を手にして笑いかけてくれた。手渡されたとき、彼の家に唯一あるテーブルの上にはその女性作家の本が平積みになっていて、その情景はそのやさしい言葉とは裏腹に、心の奥底で彼がわたしに読んでほしがっているのを物語っているようだった。もちろん悪い気なんてしない。「ぜひ、いや、ぜったい読みたい。」、そう強く強く思った。

彼があの日お仕事にでかけて、一通り掃除を終えたとき、わたしの手は自然にその本に伸びた。なんの抵抗もなく。すらすらと、本当にスーッと読むことができた。「現役時代」よりも確実に読みすすめるのは遅いのだけど、その悔しさよりもそのオトナな小説が、オトナな主人公の思いがわかったうれしさのほうが大きかった。そして、彼の読んでほしがっていた、大事なセリフにハイライトまでされた本を読了したきのう、今までで一番の感動をした。本を読み終えられたよろこび、本の中の主人公たちの思いを理解できた(ような気がしただけかもしれない)よろこび、彼の思いに応えられたよろこび。誰かの言葉を借りるなら、よろこびの三重奏だ。

「本は心を豊かにする。」司書教諭の授業でそう教わった。意識することなく、テストのために頭に入れた言葉だった。でも、今になってやっと、この言葉の意味がちゃんとわかった。わたしの心は小さな頃からどんどん豊かになっている。喜怒哀楽が大きいのも、感動を感じやすいのも、本を読んで育ったからかもしれない。

ちなみに吃音を多少持っているわたしは、こんなに本を読んでいても音読は大の苦手だし、国語の問題もよくバツになる。だから、成績を伸ばすことに関しては、寄与しない可能性もある。

だけど、わたしには夢がある。娘や息子ができた時、本とご飯だけには苦労させないこと。本にお金をかけるということは、好きなことをいくらでも伸ばしていける術を与えることだと信じているから。

成長の軌跡のように、小さい頃から読んできた紙の本をすべてきちんと保管できる大きな本棚を家庭に備え、彼らが読みたいと思った本をなんの迷いもなしにすぐさま手渡してやれる財力。そして、感想やお気に入りのフレーズやセリフを話し合える心と時間の余裕も。互いに自宅に大きな本棚を備え、本にお金をかけるわたしたち。好きなフレーズに線を引き、苦手ながらも音読し、感想を何時間でも話せるわたしたちはまだまだ未熟だが、実はその夢にとても近いところにいるのかもしれない。


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