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自己開示のすすめ〜何でも話せるパートナー編〜

みなさんには、自分のことを相手に気を遣ったり、良いイメージをつけたいからといって誇張したりせず、ありのままに話した経験はありますか。

わたしは、自己開示できるようになってから、素直に、心に負担なく生きられるようになった。心の病気という半ば強制的に「自己開示せざるを得なくなった」わたし。自分のことをありのままに話すことで、「心の友」がぐんと増えた、そして関係性が深化したように感じる。きょうは、自己開示を勧める理由について、書いてみたい。


自己開示とは

・自己開示とは、自分自身に関する情報を、何の意図もなく、言語を介してありのままに伝えることを指して言う。しかし実際には、本人が自分自身の姿を正確に認識していない場合や、受け手側の意図が入り、誤認する可能性もあるため、必ずしも一定の意図のもとで伝達できるとは限らないと言える。また自己開示には、返報性の現象があり、自己開示の受け手は、相手の開示した情報と同じ程度の情報を開示することがあるとも言われている。
・これらの観点から、自己開示をコミュニケーションの一部としてとらえ、対人関係における自己開示に着目した研究も多く行われている。また自己開示は、組織内コミュニケーションの活性化を図る上でも、重要な要素の一つとなっている。
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E9%96%8B%E7%A4%BA-1125545

自己開示を勧める理由① なんでも話せるパートナーができる

なんだよ、恋愛の話かよ。と思われた方、ちょっとまって。
「心の友」になる場合を②で紹介するから。

わたしのパートナーは「連帯できる同志」。趣味も関心事も休日別行動して食べるランチもちがうけど、「ちがうこと」そして「一手目で否定しないこと」がわかっている相手だからこそ、なんでも話せる。

わたしは数多く「恋愛」をしてきた。高校時代から教員時代まで、恋愛が生活の一部であるように。でも、常に「話すこと」と「話さないこと」を自分の中で線引きし、「話さないことを話さなければならなくなったとき=別れ」を意味していた。

そこから心の病を患って、一変。うつ状態というのはその名の通り「うつの状態が続くこと」を意味し、わたしの生活は以前の自分だったら人に「話さないこと」で埋め尽くされ、八方塞がりの暗い闇の中に放り込まれたような感覚に陥った日々に変わった。そんなときに今のパートナーと大学卒業以来に再会した。

彼は鷹揚、おおらかである反面、何を考えているかわからない掴みどころのない人だった。わたしはHSP(いわゆる繊細さん)の特性を中学生の頃から自覚しているくらいには人の気持ちに敏感なので、人が何を考えているかは手にとるようにわかる。でも、彼の考えはつかめないのだった。

つかめないのであれば、話すしかない。
そして、わたしは、
・(彼に)自分のことをどう思われてもいいや
・自分のことをどう思われるかに気を遣えるほど心に余裕がない
状態だったので、その当時の勤務校での立場や状況・心境を洗いざらいすべて「ありのままに」話した。初めて人に話すことで、しかもうつ状態で頭が回っていなかったので、言葉はとってもたどたどしかったと思う。でも、彼はすべてわたしの言葉を待ち、時に補い、そのまま飲み込んでくれた。きっとあったであろう矛盾も決して、否定はされなかった。その後も、遠距離恋愛だったが、延々と電話をし、話しづらいことは間接的にnoteにアウトプットして相手にリンクを送りつけ、読ませた。

自己開示ができないことでの失敗例を紹介しよう。

最近読んだ本の中に、山本文緒さんが書かれた『自転しながら公転する』がある。その本で主人公・都と恋人・貫一は、恋愛関係という「感情のぶつけ合い関係」のなかで、とてつもなく長い時間(ページ数にして約400ページほど)かけて、互いの過去の話をし、価値観を見せあっていく。このふたりが最後にどうなったかはネタバレになるので伏せておくが、ふたりは互いの価値観や過去の話を言葉にするタイミングが遅い。読者として、とてもじれったく感じる。「早く言えよ!」と思ってしまう。

ちなみにふたりは30歳すぎ。都は結婚や出産も視野に入れている。「自己開示をして価値観が合うかどうかを吟味する時間を愉しむ」余裕なんて、ないはずだ。しかし、それに慣れていないふたりは、そこに時間をかけ、タイミングを逃し・間違え、こじらせていく。

もうひとつ、エピソードを。

わたしの母は言葉が下手だ。言いたいことがあっても、言葉にできないから、いつも飲み込んでしまう。父に対しても、重要なキャリアの相談や祖父母の病気・その対処の相談などはせずに生きてきた。「それが母の生き方だ」と見守ってきたが、とうとう先日悩みが頂点に達し、「やっとあんたの気持ちがわかったわ…、ママ、うつっぽかってん」という事後報告を受けた。言葉にせずともなにかの異変に気づく唯一の娘(わたし)が遠くに越してしまったことで、母はひとり悩んでしまっていた。ちなみに、母はなんとかママ友に相談し、ひとり改善策を練っていたのだった。

この2つのエピソードからの結論は、自己開示は「人間関係が浅いうちにしろ」、「若いうちに慣れておけ」である。

都と貫一も、母と父も、自己開示をせぬまま関係性を深化させてしまった。そして、若いうちに自己開示のような自己や他者の内面に迫るような、深い話をするきっかけがなかった。一方、わたしとパートナーは、幸い(わたしは病気がきっかけだが)関係性が浅いうちに、そして20代前半でたどたどしくも自己開示経験を積めた。

わたしの思う、人間社会のなかで「こころに負担をかけずに暮らすコツ」は、人間関係の取捨選択をするということ。仕事上の人間関係等、一般に選べないとされる人間関係もわたしは選んで生きられているが(とっても快適)、友人・恋人等、選べる人間関係を「合う人」で構成することで、我慢やすりあわせといった「自分を曲げる」部分をへらすことができる。ありのままの自分を知ってもらうきっかけとなる自己開示を進めていくことで、相手との「すりあわせなくても合う部分」と「最低限すりあわせないといけない部分」が明確となり、時間と愛情をかける前(かけてから別れるの辛くない?)に合う人を選別できる。

友人や仕事の選び方も同様なのだが、詳しくは次回。
お楽しみに〜!

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