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自己開示のすすめ〜なんでも話せる友人・年下編〜

自己開示を勧める理由② 「心の友」が数名できる

わたしのLINEには「友だち」が1000名以上いる。
でも、
・頻繁に連絡を取り合い、
・今どこで何をしていて、
・誰と交際して、
・どんなことを考えながら生活しているのか
を知っている友人は両手で数えるほどしかいない。

大学時代の自分が今の自分を見たら、ひっくり返ると思う。
でも、生まれてこのかた、今が一番心が平和で安泰の日々だ。

こうなったのも、この数少ない友人たちに対して
・頻繁に連絡を取り合い、互いの近況報告をし、
・自分のかけられるだけの時間をかけて悩みを聞きつつ、
・(悩んでいる)相手のために本を読んで考え、
・自分に響いたコンテンツを本気で相手に勧める

という当たり前のことがちゃんとできているからだと思う。

これが「できる」そして「してもいい」、むしろ「したい」と思える、友人に出会えたのは、いくらでも出会う場があり、出会うことが是非とされていた学生時代に、たくさんの出会いに恵まれたこと、

そして、
出会ってから自己開示をして、自分をさらけだし、さらけ出すことで相手も同じようにさらけ出してくれたからだ。

前回話した「選べる人間関係を『合う人』で構成する」は自己開示ができてこそ、達成できる。最初は皆、初対面の相手に変に思われないよう、仮面や猫をかぶっているもの。それをいかに早く剥がすか、厳戒態勢を解くか、の鍵を握っているのは、自己開示である。

わたしももちろん自己開示が最初からできたわけではない。恐る恐るやってみて、成功したし、これが楽に生きるコツだと確信したからnoteに書いている。

そのきっかけになったのは、生徒との関係づくりである。

自己開示を勧める理由③ 生徒と何でも話せる関係になれる

「そんな関係になってどうするの?」と思われるかもしれないし、「わたしには生徒なんていない」と思われるかもしれない。

しかし、「生徒と何でも話せる関係になること」とはつまり、わたしにとってもっとも理解し難かった「年下の世代」を理解する術を手に入れたことに同意であるため、すべての大人達に必要性があると感じている。

年下は理解し難い。なぜか。それは、自分のほうが年上であり、そして年上であるということはつまり、多くの場合は「自分=評価する側、年下=評価される側の関係」となるためであるとわたしは考えている。評価されるとわかった途端に、「自分は優れた人間で、エロいことなんて考えていません」と厳戒態勢に入るからである。つまり猫をかぶるのだ。

でも、猫をかぶられたままで良いなら、自分も相手との間に線を引こう。年下の方からそれを飛び越えてくることは、少女漫画のヒロインの周りにいるイケメン男子たちでないかぎりない。

しかし、その関係を抜けて、「本音で話してほしい」と自己開示を求めるのなら、年下にこそ、自分から自己開示をしよう

年下へは、「自分のポンコツエピソード」や「失敗談」など、「弱いところ」を話すのが一番だとわたしは思っている。わたしは今まで数百の生徒と出会ってきたが、そのように弱みを見せた生徒は、彼らも弱みを見せてくれた。素直に彼らの思考を見せてくれた。

しかし注意点がある。彼らの思考を決して頭から否定しないこと、そしてそれを評価に入れないこと。この前者で、わたしは何度か失敗している。自分はもういい大人、相手は年下である。わたしの場合は10歳弱年下であることが多かった。若い時代の10年というのは大きいもので、「考え方が甘い!甘すぎる!」と考えたこともしばしば。教員というのは、これが性分だから教員になったといっても過言ではないが、「世話好き」であり、「自分と同じ失敗をせず、より良く生きてほしい」と願っている人種であることがほとんどだ。だからこそ、失敗をしそうになると、止めたくなる。教員からすると「失敗しないように導いている」つもりでも、生徒からすれば「せっかく信頼して話したのに、自分の思考を否定され、止められた」と映る。それが災いし、スタート地点(信頼関係を作る段)に逆戻りし、本音を聞き出すのに大変な苦労した経験がある。

彼らが考えていることは予想以上に大人で、シビアだ。早くからインターネットを通じて知らない大人との関係性を作っている子もいる。評価も否定も視野に入れずに、ただ本音を腹を割って話す=自己開示してみると、考え方も変わるかも。

さてつぎは、「ここちよい仕事に出会える編」である。


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