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知識と知恵

「これからの時代、知識よりも、知恵の重要性が高まる」

とよく言われる。

さて、知識と知恵は一体どう違うのか。


知識はイメージが湧きやすい。

例えば、昨日発表された

「2020年度4月-6月期の日本のGDPは、マイナス27.8%である」

は、「知識」である。

一方で、この知識から

「今期の景気は思ったより悪そうだ、だから設備投資を控えよう」

と考えることは、「知恵」である。

つまり、筆者としては

「知識を使い、意思決定をしたり、行動したりすること」

が、知恵なんだと理解している。


さて、現代において、重要性の観点から見たときに

「知識<知恵」だ、

とは、一体どういうことなのか。

それは、知識獲得が容易になったから、と言われている。

ご存知、Google先生等の、検索エンジンの発達。

調べれば分からないことはない。

そして、調べることそのものも簡単である。

スマホがあればそれで十分だったりする。


つまり、知識がコモディティ化しているから、

その知識を使いこなすための知恵のほうが

相対的に価値が高くなっているのだ、という。


しかし、筆者はこう思う。

「そもそも、知恵を使って考えるために、知識が必要である」と。

手段と目的の関係性はいつまで立っても変わらない。

知識がないと、知恵を持って何か新しいモノを生み出すことは出来ないのである。

そういう意味で、知識と知恵のどちらが重要なのかの論争は正直無意味だと思う。

また、加えて言えば、

「景気が悪くなった、だから設備投資を控えよう」

という知恵は、実はそれがセオリー化している側面もある。

つまり、「知識を使って生み出された、別の知識」とも言える。

という意味では、知識と知恵は、限りなく隣接した関係にある。

やはり、知識と知恵において、優劣を付けることに意味はない。

また、そもそも、「知識の獲得が容易になった」からと言って

「脳の機能を、記憶では無く処理に使う」とイメージしてみよう。

筆者は、これは結果的に「処理のスピード」を落とすことになると思う。

筆者は、知識の最大効用は「パターン認識」にあると思っている。

「こういうパターンがきたらこうだ」という

問題を説くスピードが上がるということ。

(勉学の話をしているのではなく、ビジネス上の課題もそうだと感じる)

余談だが、例の公文式はこの効果を狙っている。

もし、知識が無かった場合、

前提となる知識をわざわざ調べ、その知識を持って考えて対処する

というプロセスを踏む。それは、実は時間のロスである。

知識の重要性はそんなところにもある。


よって、知識と知恵との間に優劣を付けることは無意味だし

この二つをバランスよく整えていくことが、

自らの仕事を効率的に解決していくコツであると

筆者は思う。


…たまには、こんな哲学チックな話でも。




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