キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事講座(14)燃えるもの

 仕事に燃えていますか? どんなときに仕事のやりがいを感じますか?

Aさん「なんだか頑張ろうという気にならないんだよね」
Bさん「どうしたの?」
Aさん「仕事自体が嫌だということはないんだけど、なんかこう、頑張ろう!という気にならないんだよね」
Bさん「ふ~ん。いいじゃない仕事がやっていられないというわけではないんだから」
Aさん「そう、それはそうなんだけどさ。なんかこうやったぞ!という実感がほしいということかな」
Bさん「それって評価されていないということ?」
Aさん「人事考課には納得してるんだよね。上司はきちんと評価してくれているし。この間もA評価だったんだ」
Bさん「だったらいいじゃない。評価もされているし、人事考課がいいんだったら、今回の昇給もよかったんでしょ」
Aさん「でもね、いいっていったって、普通の人との3000円しか違わないんだよ。子供のお年玉じゃあるまいし」
Bさん「でもあがらないよりましじゃないか」
Aさん「そりゃそうなんだけどね‥‥‥いいたいのは、あれだけ頑張っても数千円、年間で数万円しか違わないのかということなんだよ」

 聞く人が聞けば頭に来てしまいそうな、でもある階層の人にしてみればそう、そう! と同感できるお話です。
 今回のお題は「燃えるもの」

★ ハーツバーグをもう一度

 働く人たちが満足感を感じるとき、不満足感を覚えるとき、どういった要因が影響しているのでしょうか? これを研究したのがハーツバーグですね。人事部門の方であればもはや常識!(嫌みではありません)。キャリア・カウンセラーの方も基本的なたしなみとして知っていらっしゃいますよね(いや、本当に嫌みじゃなくって‥‥)
 簡単な解説はhttp://www.careerscape.co.jp/point-herzberg.htmへ
 これでは分からない? 失礼いたしました。
 ハーツバーグは1923年生まれのアメリカの心理学者。ピッツバーグの代表的な9社の技師と会計士、あわせて203名に対して実施した調査を基に「仕事へのモティベーション」(The Motivation to work)を発表しました(1959年、ハーツバーグが36歳の時です)。この調査は仕事上で例外的に気持ちの良かったことを思い出してもらい、そのような気持ちになった理由や持続時間を答えてもらい、さらに、その気持ちよさが、仕事や人間関係、健康状態に影響を及ぼしたかどうかを話してもらったそうです。次に、逆に仕事上で消極的な気持ちになったことを思い出してもらい、同じ手続きで理由やその気持ちが及ぼした作用について話してもらいました。これを「承認」「達成」など15の要因に整理してみると、仕事上の満足と不満足についてそれぞれ5つの要因が際だっていることが分かりました。1964年にはフィンランドに留学し、そこでも同様の調査を続け、これらをまとめて1966年(43歳)に「仕事と人間性」(Work and the Nature of Man)を発表しました。この2冊により、いわゆるハーツバーグの理論が完成したといわれています(以上の解説およびこれ以降の解説は、有斐閣新書の「人事労務管理の思想」を参考にしています。この本、いいですよ!)。職務充実理論と呼ばれたり、動機付け・衛生理論と呼ばれたり、職務満足の二要素理論と呼ばれたりするこの理論、では、その内容はどんなものなのでしょうか?
 ハーツバーグは人間には「苦しみを避けようとするアダム」的な性質と、生まれながらに潜在能力を持ち、神の祝福を受けるエイブラハム」的な性質があると考えました。このいずれも仕事に満足を求めるのですが、アダムの本性は苦しみ、痛み、不満からの回避であって、そのためには「有効な会社方針」「作業条件」「給与」「雇用」などの安定保障を求めるといいます。これらが不十分であるとき不満を感じます。これらは仕事そのものにとっては外的なものなので「衛生要因」とハーツバーグは名付けました。
 一方、仕事の満足はエイブラハム的な性質を通じて得られ、その内容は「仕事の内容」「達成(すること)」「承認(されていると感じること)」「責任」「昇進」などが挙げられます。これらを動機付け要因、または成長要因と名付けました。
 さらにこれらの要因を見ていくと、アダム的な性質の対角線上にエイブラハム的な性質があるのではなく、つまり不満の反対が満足なのではなく、それぞれが独立した性質であることが分かりました。不満の反対は満足なのではなく、「不満ではない」に過ぎないのです。また満足の反対は不満なのではなく、「満足ではない」ということなのです。従っていくら衛生要因を充実させても、仕事上の満足は得られないのです。また動機付け要因が不足したからといっても、それがそのまま不満に結びつくわけではないということです。
 ハーツバーグのこの考え方は、1960年代に従業員86万人を抱えるATT(アメリカ電話電信会社)で導入され、実勢に成果が上がった(具体的には離職率が下がった)との報告がなされているそうです。
 念のためもう一度まとめておきましょう。
1)ハーツバーグの理論では、仕事には、満足感に関わる要因と、不満   足感に関わる要因がある。
2)不満足感に関わる要因が不足すると不満足感が強くなる。充足すると不満足感が少なくなる。
3)満足感に関わる要因が充足すると満足感が強くなるが、これが不足すると満足感が少なくなる。
4)また、実は、不満足に関わる要因がある程度満たされていないと、満足感を感じる要因があっても満足にはつながらない。
 不満足の要因は次の通りです。

  会社の政策と運営
  監督技術
  給与
  対人関係(特に上司)
  作業条件

 満足の要因は次の通りです。

  達成
  承認
  仕事そのもの
  責任
  昇進

★ 賃金は不満足要因か

 さて、ハーツバーグは賃金(給与)を不満足要因に位置づけています。不満足要因とは、満たされていないと不満を感じることが多くなる要因でした。確かに賃金の低さは不満足の要因となりますよね。
 「こんな安月給じゃやってらんねぇよ」
 この線で行くと、給料が高いからといってやる気にはならないというこ
とになります。
 「でも、給与が高くなれば、やる気になるんじゃないですか?」
 「成果に応じて支払うインセンティブ(業績加給)制度は、社員のやる気を高める制度として定着しているではないか?」
 そう、そう考えると賃金は満足に関する要因つまり動機付け要因(モティベーション要因)とも言えそうなんです。これはどういうことでしょう?
 いくつかの点が考えられますが、満足に関わる要因、つまり動機付け要因の場合、その要因があれば自分で自分をどう気づけていくことができるということになります。賃金でいえば、高ければ高いほど、より働くようになるということです。いかがでしょう、皆さんは。
 報酬の高さが一定以上なければ衛生要因であるわけですから、不満感を引き起こすことになります。これはとても同意できます。でもある程度以上になると、あってじゃまにはならないし、もらえばうれしいでしょうけれど、「よしもっとやってやろう」という気になるでしょうか?
 つまり、極論をいえば、もっとお金を払うから、24時間働いてくれだとか、もっときつい仕事をやってくれといわれたときに、そこそこの(つまり不満を覚えない程度の)生活水準が得られていたら、それ以上にやっていこうと思う人は少なくなるのではないでしょうか?(私事で恐縮ですが、私ならやりません)。
 ではインセンティブ制度はどうでしょう? インセンティブ制度が機能するのは、その報酬額そのものが動機付けの要因になっているのではないと思います。一つはゲーム的なおもしろさではないでしょうか? 他の人と競ったり、あるいはハードであっても達成することの喜び。もう一つは、その喜びが、金額として具体的に示されることで、「よくやったぞ」という感じが裏打ちされるのではないでしょうか? つまりゲームの「スコア」と一緒。
 金額が多ければ多いほどやろうという気になるのは、ハーズバーグのいうアダム的性質が反応しているのではなく、つまり苦難から逃れられるという反応ではなく、お金の額そのものが「自分は承認されているぞ」という実感につながるからといえるのではないでしょうか?
 昇給もそうで、昇給額の多さはそれがほめられている程度を表しているからではないでしょうか?
 では、先の例はどう解釈すればよいのでしょうか? Aさんの方がどうやらBさんより昇給が多そうです。人事考課の面でも承認されているという実感がありそうです。それでも釈然としない。それはなぜなんでしょうか?
 先の例では数千円の差でしかないことを問題にしていました。他の人よりは多いかも知れないけれど、その差を見たときに感じる実感としての認められなさをいっているのです。実際、高校生の小遣いは1カ月1万数千円くらいだといいますから、Aさんが苦労してA評価をとった結果はもしかすると自分の子どもの小遣い1カ月分の効果を家計のもたらすだけかもしれないのです。ちょっと泣けてきませんか?

★ 成果主義の限界?

 とても青臭いことを、きれい事をいうようですけれども、お金だけで人間は動いているのではなさそうです。すべての人がそうだとはいいません。ただ、お金をもらえるからもっとやろうと思うかというとそうでもなさそうだということです。貢献度が高ければ給与、賞与が良いというウマ・ニンジン方式も、ほんのわずかな違いしかないとすれば、それは却って逆効果にしかならないのです。本当に必要なのは、ハーツバーグの理論を借りるなら、承認されることやより面白い仕事が与えられることなのです。
 こうした指摘は「虚妄の成果主義」(高橋伸夫著)と軌を一にするものと思います。この中で著者の高橋伸夫氏は成果主義を次のように定義づけています。
1)できるだけ客観的にこれまでの成果を測ろうと努め
2)成果のようなものに連動した賃金体系で動機付けを図ろうとする全ての考え方
 この2の部分、先にお話ししたように、不満を取り除くことには役立つかもしれませんが、動機付けには役には立たないのですから、この定義による成果主義というのは、早晩破綻してしまうのは確実です。お金で報いることがいいことだ−といった考え方は、却って本人のやる気を阻害します。国民の所得レベルが低い時代ならまだしも、今の環境だとわずかな金額の差で目の色を変えるような時代ではなくなっているのです(註:でも最近は・・・)。
 報いて、その後のやる気につなげるなら、やっぱり仕事なのではないでしょうか?(この点では高橋氏に大いに賛同しています)

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