外国籍採用リーディングカンパニーインタビュー企画「Synclink」社長のCareerFlyとは-前編
テーマ 「外国籍人材とともに飛躍する(Career Fly)」
”外国籍人材”を採用する真意とは?日本において、積極的に外国籍人材を採 用している企業は何を目的としているか、インタビューを通じて紐解いていく。キーパーソンとなる企業経営者へ質問を重ね外国籍人 材とともに企業ビジョンを掲げ飛躍する(Career Fly)ロードマップを聞き出していく。
Synclink 代表取締役 的場啓年氏
高校卒業後しばらくして個人事業主として飲食やECで創業。2008年から電通グループのサイバー・コミュニケーションズでメディアプランナーとして活躍した後、創業間もないフリークアウトに入社。その後iProspect JapanでCCOを経て2018年Synclink社を設立。
飲食業からデジタル広告へ!見えない課題を見える化できる面白さ
CareerFly羽二生(以下羽二生):今回は、デジタル広告・デジタルマーケティング先駆者のお一人、Synclink社の的場啓年氏に外国籍とのキャリアフライについて、インタビューさせていただきます。
まず初めに、的場さんがキャリアをどのようにスタートされたのかお伺いできますか?
Synclink的場氏(以下的場氏):私は高校卒業してからすぐに、飲食店にてキャリアをスタートしました。その後23歳の時にファウンダーがつき、店長を任せてもらいました。自分の店ではなかったのですが、小さいお店の立ち上げから全てを経験しました。その後26歳で独立して自身のお店を持ちました。
羽二生:飲食店がキャリアの出発点だったのですね!ちなみにどの様なお店だったのですか?
的場氏:割とオーセンティックな感じだったと思います。7メートルぐらいある、アフリカ産の木の一枚板をカウンターに利用したり、水や緑を取り入れてみたり。
シェフも雇ってはいましたが、たまに自分でも食事の提供をしていました。
羽二生:とってもおしゃれなイメージです。そこからどのようにデジタルの世界に入られたのですか?
的場氏:実は、飲食業ってお金がすごくかかるんです。設備投資はまとまった額が必要ですし、その上売り上げは一杯数百円の世界。飲食業だけで儲けるってとても大変だったんです。
そこで、アメリカから衣料品を仕入れられるルートを見つけて、ECでそれを売るという商売を始めました。
羽二生:どうして、EC事業をスタートされたのですか?
的場氏:当時からデジタルが好きでした。アナログな仕事をしていた割には、(笑)。例えば、毎年ボジョレー・ヌーヴォーが解禁になると、お店の常連さんたちにメルマガを配信したり、当時からエクセルで売り上げを管理したりしていました。
設備投資が少なくて、今あるリソースで売り上げをあげたいと思った時、ECサイトを活用した商売に繋がりました。
羽二生:そうだったのですね。業界が全く違うと思っていたのですが、理由を聞くと納得です!ちなみに、洋服を商品に選んだのはなぜですか?
的場氏:そもそも服が好きだったこともありますが、父が繊維業を営んでいたこともあり、アパレル業界は身近でした。
羽二生:ファッションが好きな的場さんだから、最近移転したオフィスは表参道なのですね。表参道(青山)の気分はいかがですか?
的場氏:純粋にテンションが上がりますね。(笑)
羽二生:なるほど。本日お召しになっているアメリカ国旗デザインのセーターも素敵です!
的場氏:ありがとうございます。そんなこんなでECサイトを運用していましたら、ECが面白くなり、サイバー・コミュニケーションズ社に入社をしました。入社してすぐデジタルマーケティングや広告の業務に関わったというわけではなく、企業のEC運用〜物流、つまりオンラインからオフラインまでを顧客と一緒に進める事業をしていました。実は何年持つか・・・と言われていたような事業でした!そして想定通り事業があまり芳しくなく、広告のチームへ移動しました。結果的にこれが自分の肌にあい、長く続けることができています。
羽二生:どんなところが肌に合っていたのですか?
的場氏:数字で物事を捉えて考えられるところでしょうか。事業計画とかって、割と数字的には飛型をもってすれば見えてくるものです。目に見えないものを数字を使って見える化(KPIや達成すべきもの)を明確にすることができる、そういった世界観が好きなのかもしれません。
デジタルマーケティングの最前線から外資系を経て起業へ
羽二生:なるほど、見えないものを可視化してコントロールすることができますね。そこから独立まで数年あります。その間は何をされていたのでしょうか?
的場氏:もっとデジタル広告の前線で仕事がしたいと思い、フリークアウトという企業に転職しました。この時期はデジタルマーケティングの過渡期でした。リーマンショックにより金融破綻が次々と起きた時代で、金融機関で働いていた方々が、転職で広告業界に流れ込んできていました。それにより、広告業界に金融工学を組み合わせたDSPというプラットフォームが生まれました。
これまでの広告は、大手広告代理店が切り売りするクローズドなマーケットでしたが、DSPの登場により、デジタルはもっと開かれたマーケットになりました。今後もどんどん成長すると予測ができる状態でしたし、実際にそうなりました。
羽二生:今ではDSPが当たり前の時代になりました。
的場氏:そうですね。実際入社してみると、ただ新しいものだったから売れるというわけでもなく、デジタルなものを営業するためにテレアポなどのアナログな方法で営業もしました。そうこうしているうちに、担当をしていたiProspect Japan社に転職することになりました。
中編へつづく.......
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