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サッカーの記憶


まずサッカーとの出会いや関わりを少し深めに、最後にこれからnoteで書きたいことをサラッとお伝えします

①幼少期の思い出

よく「サッカーを好きになったきっかけは?」と聞かれた時「中学校の頃、サッカー部に好きな人がいたのがきっかけです」と答えていて違和感があった。確かにきっかけの1つだが今一つしっくり来なかったので、もう少し深く考えてみることにした

すると幼少期の思い出が、今も記憶としてはっきり残っていた。 とある居酒屋に「釜本(邦茂)さんが時々来てるよ」と父が教えてくれた 居酒屋の店主と釜本さんが元々知り合いだったいう

当時わたしは小学生でサッカーに特別な思い入れはなく、何となく「釜本さんはサッカーですごい人なんだ」という印象だった

自営業だった両親は平日仕事で夜遅くなると、晩ご飯代わりにわたしや弟をそのお店に月に数回連れて来ていた(小学生が居酒屋にいるのは当時はまだ珍しい光景だったと思う)釜本さんにそこで会えたかどうかまでは思い出せないが、ウィキペディアで当時の釜本さんのことを調べてみると

ヤンマーディーゼルサッカー部(後のセレッソ大阪)の監督をしていた時期だったということは分かった。わたしたち家族が住んでいた町はヤンマーの練習場が近かったわけでもなく、父がお店の常連だったこと、数年後仕事の都合で別の町に引っ越したことを思うと

あの時期にあの場所にいたからこそ会えた、貴重な縁だったのだと思う。父はサッカーに興味はなかったけれど、なぜかわたしに釜本さんのことを教えてくれた。 幼少期の偶然の重なりがわたしのサッカーの原点なのだ

②Jリーグ開幕~98年フランスW杯

わたしは昔から「キラキラした新しいもの」好きだった。幼いころはシールや夜店で売っていそうなイミテーションのアクセサリーにテンションが上がり、学生になると物質的なものから人にキラキラを見出すようになっていった

引っ越し先は偶然にもガンバ大阪のホームスタジアム、万博記念競技場にアクセスが近かった。ここでも再び父が登場するのだが、経営していた販売店の親会社がJリーグのスポンサーになったことで父が販売している媒体を通して、自然とJリーグの情報に触れる機会が増え、より身近な存在になっていった

カズ、ラモス瑠偉など93年Jリーグ開幕当時を思い起こすと、なぜかヴェルディ川崎(後の東京ヴェルディ1969)の選手ばかりが強烈な印象に残っている。ブラジル仕込みのテクニカルなサッカーが新鮮だったし、ゴールパフォーマンス、ファッション、ピッチでもピッチ外でも人をワクワクさせ、楽しませる存在。Jリーガーはわたしにとって「キラキラした存在」そのものだった

リーグ開幕から5年、初めて世界の中での日本の位置を実感したのが初出場の98年フランスW杯。当時の欧州や南米のサッカーは「ファンタジスタ」が魅せる、まるでエンタメの世界。日本のサッカーとは次元の違う、まったくの別物だと感じていた。日本サッカーが世界でどのくらいの位置にいるかなんて、W杯初出場するまで気にも留めていなかった。予選リーグ(アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ)に全敗する日本を観てこれが「世界の中の今の日本なんだ」と。悔しいというより、ここから日本サッカーはどう進化していくんだろうと好奇心の方が強かった。

進化を楽しみに見続けて気づけば今年ではや22年。今ではヨーロッパで活躍する日本の選手を応援するために海外を旅するまでになった。それがサッカーにまつわるわたしの記憶。長くなるので折に触れて22年間を何十分割かして、時々このnoteにも投稿しようと思う

③このnoteに書いていくこと

わたしがずっと書きたかったのは「サッカーとキャリアのつながり」未だにサッカーの技術、戦略のことはほぼ分からないし、努力して理解しようとも思っていない。例えば4-3-2-1のシステムの配置は分かるが、だからどうとは言えないし言う気もない。わたしより百倍も千倍も技術や戦略の話が「好きな人、得意な人、理解している人」にその分野は任せればいい。サッカーが好きすぎるキャリアコンサルタントはサッカーに関する人、言葉、経験がこれからのキャリアや社会生活にどう活かせるのか、選手だけでなくサッカーが好きでサッカーに関わる全ての人のちょっとした気づきになれたらいい。そんな思いで書いていこうと思う

早慶クラシコ







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