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note創作大賞【#創作大賞2022】に落選した感想

お久しぶりです。師之井景介です。
今回、せっかくnote創作大賞というお祭りみたいな企画に作品を応募し、そして落選したのだから、何か記事を書いておかないともったいない気がしたので書くことにしました。

この賞、応募するのは動画でも漫画でもテキストでも良く、長さも制限なしという意味不明な賞でした。おいnote、お前は何がしたいんだと。
メディアミックス前提なのは自明だとしても、その何でもアリな募集要項のデタラメっぷりに、何だこれ面白いな、と私も参加することにしたのです。
その応募作品がこれ、ドギャギャ・ガールです。

12月末くらいに書き始めて、締め切りの2月初旬間際に、ここアメリカからnoteに公開した小説です。400字詰め原稿用紙30枚くらいの長さで、これを短編と読んでいいのかはちょっと分かりません。
何ともデタラメな作品で、デタラメな賞にふさわしいと言えるでしょう(?)

そしたら何と先月の中間発表で、この作品が212作品のうちの一つに入ったんですよ。

ほら!! ね!? ドギャギャ・ガールって書いてある!!

いや、嬉しかったですね。ここに選んでもらえたというのは。
だって、16,848件の応募作品のうち、212作品に選ばれたのですから、そりゃあ嬉しい。倍率を単純計算したら、79倍です。日常生活で、79倍の倍率を突破する機会ってそうそうないじゃないですか。

でも、この時点では何だかあまり、騒ぐ気になれなかったんですよね。

何故なら、この賞の唯一の制限事項と言っても良い、“#創作大賞2022のタグは一人につき1作品まで”を守っていない方をたくさん目にしてきたから。

正直、私の作品なんかより面白い作品を書いてるのに、タグを複数の作品に付けたせいで落選してしまったんじゃないの!?と思えるケースをいくつか目にしたので、何だかそこまで手放しでリアクションできなかったんですよね。だって、16,848作品のうち、制限を守らず自作10作品にタグを付けた人が1000人いたら、もうそれだけで10,000作品はほぼ自動的に除外対象となってしまうわけですから。

それでいて、受賞したわけでもないのに、倍率79倍!!すごい!!とか騒いじゃったら、何か残念な感じになっちゃう気がしたんです。だから、Twitterで喜ぶに留めました。(結局SNS上で喜びを発信しちゃってるんですけどね)

でもようやく最終結果が出て落選を目の当たりにして、満を持してこの場で、この賞に言及できるようになりました。

いやはや、楽しかったですね、本当に。もしかしたらもしかすると、ひょっとして受賞できるかも、っていうドキドキ、久しぶりでした。

何を隠そうこの私、師之井景介は、かつては小説家志望でした。言葉だけで時空間を表現し、読み手を“ここではないどこか”へと誘う。斯様なクールな職業ってないじゃん!

そう思って、長編小説をいくつか書き、新人賞へ応募したこともあります。10年近く前の話です。しかし結果は全て撃沈、一次選考すら通りませんでした。というか、後から自分で読み返したら、どれも目も当てられない仕上がりでした。これ下読みの人が可哀想だろ、なんで応募したの?というレベルだったのです。

それが今回、中間発表には食い込むことができた。ということは、それなりに読めるレベルのものが書けていた、と言っても良いのでは?と思うのです。

おいお前ちょっと待て、そうやって喜ぶのは、ついさっき自分で書いた“何か残念な感じ”に当たるんじゃねえのか?という声が聞こえてきますね。そんな声には、こう応じるでしょう。

はい、その通り。残念なんですよ。

だから残念だという気持ちを表明するために書いているのがこの記事だ!!ボケ!!!

落選して初めて、倍率云々を気にせず、素直に残念だって言えるようになりました。
だって、私の作品がちゃんと落ちたんだから。ちゃんと落選してしまったのだから。

受賞された方々は特に知り合いじゃないし、知ってる作品もなかったし、だからおめでとうとかは言いませんよ、別に。でも、ちょっといくつか読んでみようと思いました。

今は、滅茶苦茶面白い漫画や動画でさえ無料で楽しめてしまう時代です。
しかし翻って文章というのは、どうやったって読み手の認知負荷が大きくなる代物。言葉を媒体としていながら素晴らしい作品、人に金を払ってもらえるレベルの作品というのは、やっぱり並大抵なものではないし、言葉だけでそれを生み出す人って本当に凄いと思います。そういうの、いつか書いてみてえなあ。

それにしても、応募してから発表までのドキドキ感、“もしかしたらイケるんじゃねえの”感、久しぶりに味わいました。いやあ、楽しかった。いいものですね、やっぱり。

昔、少年サンデーで連載していたARMSという漫画で、キースシリーズの誰かが言ってましたね。

パンドラの箱の底に、何故“希望”が入っていたのか? それは、“希望”こそが最悪の災いだからだよ、と。

読んだ当初は衝撃を受けました。希望を抱くからこそ、打ち砕かれた時の絶望が最悪の毒になる。なるほどなるほど、滅茶苦茶上手いこと言いやがるなァ、と思いましたね。読んだのはもう20年くらい前だと思いますが、未だに強烈に記憶に残っています。

同じことが“夢”にも言えて、夢こそが、最も強烈で危険な薬物なのかもしれません。

でもまあ、法律で禁止されてないですからねェ、夢は。このドキドキが味わえるなら、いずれまた、必ずや公募にチャレンジしてやろうと思っちゃいましたね。下読みの人が可哀想?知らねえわ!!

と、そんな風に思った一件でした。ありがとうnote。この俺に、再びあの危ない蜜の味を思い出させてくれて。感謝するぜ!!!ドハハハハハハハ!!!!

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