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【映画レビュー】ビバリウム

vivarium
[名] (観察・研究用に自然の生息状態を模造した)動物の飼育場[室, 箱], 植物の栽培場[室]
ジーニアス英和辞典

こんにちは。師之井景介です。
映画「ビバリウム」を見ました。いやはや、なんともレビューの書きやすい映画です。具体的な感想を述べるにはネタバレせざるを得ないため、それは後半にて書くことにします。

感想(ネタバレなし)

簡単なあらすじ(予告編)

とある若いカップルが、マイホームを探すために不動産屋を訪ねます。どこか奇妙な担当者に連れられ、二人は「Yonder」という住宅地へと案内されました。二人はそこで内見をするのですが、担当者は彼らを置き去りにします。帰ろうとする二人ですが、どこを見渡しても全く同じ外見の家が立ち並ぶ住宅街。どこをどんな風に走っても、結局元の家の前に戻ってきてしまいます。途方に暮れる二人の前に、いつの間にか赤ちゃんの入った段ボール箱が届いていました。箱にはこんな文字がプリントされています。

RAISE THE CHILD AND BE RELEASED

”赤ちゃんを育てたらここから解放してやる”ということですね。
二人に選択肢はありません。やむなく彼らは、得体の知れない住宅街の家で、得体の知れない赤ちゃんを育てることになります。

日本版予告編

感想

まず、「ビバリウム 映画」などと検索してもらえば分かる通り、この映画の評価はさほど高くありません。万人受けする内容ではないのは間違いないでしょう。明らかに低予算映画だし。しかし、不条理な空間から抜け出せなくなる系が大好物の私にとっては、この映画はかなり良かったです。90分という長さでまとまっているところにも好感が持てます。

視聴者に対しテーマやメッセージを分かりやすく提示してくれるような映画が好きな人には、本作品は推奨できません。画面に映し出された不条理で不可解な状況を、苦虫を噛み潰したような表情で眺めるのが好きな人たちにオススメです。
「で?」と思ってからが本番、というような人たちですね。

もしくは、家庭を持つ人や育児経験のある人、マイホーム探しに奔走したことのある人、あるいはそれらの状況を我が事として想像できる人にとっては、心に刺さる作品なのではないかと思います。逆に、若い人や上記の状況に興味がない人たちにとっては、何が言いたいのかよく分からない退屈な映画に思えるかもしれません。

子どもが欲しいと思ったこともあるし、日本に帰ったら家が欲しいと思っている私にとって、色々と思うところの多い映画でした。

感想(ネタバレあり)

以下では、作品のストーリーに触れた感想を述べていきます。私自身、期待している映画や小説のネタバレを蛇蝎の如く嫌っています。見ようと思っている映画について、予告編が提示する以上のストーリーを第三者から知らされるのは我慢なりません。ゆえに、私のせいで悲劇が生まれることは絶対に避けたい。

この作品をネタバレなしで楽しもうと思っている方は、くれぐれもこれ以降は読まないようにしてください。

住宅街から出られない閉塞感

進んでも進んでも、元の場所に戻ってきてしまう。森や廃墟に迷い込む系ホラーでは定番中の定番といってよい展開ですが、いいですよねェ。本作品においては、どこを見渡しても全く同じ外見の家が無機的に並んでいて、空には見本のような雲が浮かんでいる。この明るい不気味さも良い点です。

マイホームを探しているけれど、住宅の価格は高騰していてなかなかいい物件が見つからない。ようやく良い話を見つけたと思ったら、案内された住宅街では、無数に並んだコピーのような家の一つをあてがわれ、選択肢は剥奪されてしまう。理想的な悪夢の展開です。

しかし本作品においては、閉じ込められている間は食料は常に支給され、ゴミも自動的に回収されていきます。どこにも行けない代わりに生存は約束される。これは、飼い犬と野良犬、どちらが幸せなのかというような普遍的な問いに通じるものがあります。管理され自由を奪われる代わりに、安定的な生存が約束される。主人公たちが置かれたこうした状況は一見するとホラーなのですが、少し立ち止まって考えてみると、あれ? これって俺らも同じじゃね? と思えてドキリとします。

例えば、楽しくもない職場に嫌々通う日々を送っている人は、決して少なくないでしょう。何故そんなことをしているのかと言えば、雇用先から給料を貰って生活するために他なりません。本当は自分のしたいことをして生きてゆけるのが一番のはずなのに、その選択肢が見えなくなっている。あるいは、見えなくさせられている。この状況だって十分ホラーで、地獄ではないでしょうか。

得体の知れない子ども

主人公たちに唐突に押し付けられた、やたらと成長の早い不気味な子ども。何を考えているか分からないし、コミュニケーションも簡単に取れているようで、その実全然上手くいかない。やけに物分かりが良いような素振りを見せておいて、お腹が減れば食事が用意されるまで絶叫するし、主人公たちの不快感や戸惑いなど意にも介さない。ここでまたしても思われされます。

あれ? 現実の子育ても、結構こんな感じじゃね?

いや、私自身は育児の経験がないので明確なことは言えませんが、周りで子育てをしている友人たちや、子育て中の方のTwitterなどを見ていると、子どもを育てることと、こうした戸惑いや苛立ちは不可分のものなのではないかと思えます。私自身、三歳くらいからの記憶がありますが、まあ生意気な小僧でしたからね。

そして中盤以降、彼氏のほうが取り憑かれたように庭に穴を掘り始めます。地下に何かあると信じて疑わない彼は、昼夜を問わず穴を掘り、穴の中で眠るようになります。家の中に取り残される、得体の知れない少年と彼女。
少年を彼女に任せて、家の外で穴掘りを続ける彼氏という構図。

待てよ、これ、妻と子どもを家に残して働きに出る、我々の姿じゃないか?

子どもの相手は疲れるからと、仕事を言い訳に帰宅を先延ばしにする同僚の姿は実際に目にしましたし、家に帰るのが億劫ならば、ズルズルと夜中まで会社に残ることができてしまうのです。面倒な家事・育児は、全て妻に押し付けて。

もしも映画の中の彼氏に対し、もう少し彼女のことも顧みてあげればとか、得体の知れない子どもであっても、もう少し歩み寄ればとか思うのだとしたら、それはそのまま、我々自身に跳ね返ってくるように思えました。

結末が示唆する皮肉

物語の終盤で、主人公の若いカップルは住宅街から解放されることなく命を落とします。彼氏の死因は恐らく過労。彼女のほうは、支配者の秘密を暴こうとしたことで殺害されます。結末では、この住宅街を支配する何者かさえも世代交代する様子が描かれます。そしてすっかり大人に成長した元少年が、主人公たちに代わる次なる”托卵”の相手を捕らえようとするシーンで幕を閉じます。

この作品は、人間よりも上位に存在するらしい何者かが、自らの子孫を育てるために人間を利用する、というストーリーになっています。表向きにはSFホラーのように見えますが、しかしこの映画、日々忙しく生きる我々の生活に向けられた皮肉のように思えて仕方がありません。

マイホームに夢を抱く人は、いつの時代も一定数いるでしょう。しかし家そのものが我々の現実を変えてくれるわけではないし、我々に課せられた、社会というシステムの中でただ生きて死ぬ運命が変わるわけでもありません。

”托卵”に人間を利用する支配者とて、世代交代を繰り返してゆくという結末には、社会や生命というものの在り方を巨視的に眺めた時の無常観、あるいは不気味さのようなものを覚えます。

ならばその不気味さから逃れるためにはどうすれば良いのか? と問われても答えなどありませんし、答えられる人なんてどこにもいないでしょう。

そして、そういった居心地の悪さややるせなさを感じられたので、これはなかなか良い作品だと思うのです。

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