憧れの人に会いに行った

 あれはさかのぼること12年とかそれぐらい、俺が今をときめく大学生だった頃だ。中央線に乗り「国立(くにたち)」という東京の西の方にある駅に向かっていた。そういう用事があったのだ。

 その日東京にいたのはたまたまで、当時は関西に住んでいたから、中央線に乗ること自体が久しぶりだった。東京の電車は中吊り広告がやけに華やかだ。今週もまた芸能人の熱愛が発覚したらしい。いつだって発覚しているな。ドア上にある画面では「が〜まるちょば」がパフォーマンスをしたり、変な豆知識を問うクイズが流れたりしている。東京。花の都。日本のあらゆる文化が今日もこの街から発信されている気がするぜ。俺は目を細めながら流れる街並みを眺めていた。

 中央線は三鷹を過ぎる頃になると、ほとんど全員が座れるぐらいになった。空いてきた車両の中をボーッと見回す。と、やけに顔のデカい爺さんが座っているのを見つけた。白い髪に白いヒゲ、黒ぶちメガネ。杖を膝の間に立てている。しかし顔デカいな。いやいや、容姿をどうこう考えるのは下品だ。やめやめ……ん? 見たことあるなこの人。誰だっけ? あっ……!

 宮崎駿だった。宮崎駿じゃねえか。うお、すげえ。宮崎駿だ! え、なんでこんな皆平然としてるんだ。「実は俺たち付き合ってて……」って言われたときの俺以外の反応か? 宮崎駿だぞ。大変だ。宮崎駿が座ってる! 宮崎駿が高速で移動してる! すげえ! すげえ!

 俺は叫び出したかったが、電車の中だから必死で抑えた。宮崎駿。どうしようどうしよう。せっかくだしサイン貰うか? いや色紙も何も持ってねえ。手ぶらだ。宮崎駿はこうしてるうちにも目的地に向かって突き進んでるぞ。どうしよう、声かけるか? え、なんて声かけよう。どうしよっかな。でも俺どっちかっていうと高畑勲派なんだよなジブリでいうと。やっぱこういうときは好きな作品を言って「ナウシカ好きです」みたいな感じが無難だよな。ジブリで好きな作品か……。

 1位はぶっちぎり「ぽんぽこ」だろ? 何度観ても泣く! これは高畑勲監督だ。
 2位は「海がきこえる」! 最高! 里伽子ね。ムカつくけど好き。望月監督。
 3位は「耳をすませば」がここでランクイン。近藤喜文監督だ。青春だよな。
 4位は「コクリコ坂」だなあ。やっぱり。メルちゃんね! 宮崎吾朗監督。
 5位が「紅の豚」。お、宮崎駿だ。

 ジブリで5番目に好きな監督だ。「吾郎のお父さん」だな。チチロー扱いしたら流石にキレるか。むう……。あっ「On Your Mark」があるじゃん! 「On Your Mark」は好き!
 でもうるせえか。「『On Your Mark』好きです」って言ってる奴だいたいうるせえもんな。「ジブリ通」みたいな感じ出すと駿キレそうだしな。あ、ちょっと待てよ。

 「アイアム ジョン・ラセター」
 「トイ・ストーリー イズ メイド バイ ミー」

 どうよ。なにが? どんな顔するかな。あの娘おれがロングシュート決めたら。これはちょっとロングシュートすぎるか。「ヒー イズ ジョン・ラセター」って言ってくれる奴いねえかな。そしたら信じるかな。信じたらなんだよ。

 そうこうしているうちに、電車は武蔵小金井に着いた。おそらくスタジオジブリの最寄り駅だ。宮崎駿は降りて行った。

 高校時代に尊敬していた国語の先生は、まさしく「なんでも知っている人」で、人文系の知識だったらサブカルチャーから現代哲学まで全ての質問に答えてくれた。いつも授業が始まるときには顔を伏せながら世界の終わりみたいな表情をして教壇に登った。イケメンではないが独特の渋さがあって、「ハンフリー・ボガードみたい」と言うとめちゃくちゃ喜んだ。

 その先生が卒業文集で俺たち卒業生に向けて書いた文章は今でも覚えている。

 「大学に行ったら『師』を見つけろ。必ずふさわしい人物がいる」

 先生は慶応で指導教官だった古屋健三氏の名前を挙げ、氏の圧倒的な知識量と「結論に向かって収束するのではなく、混沌に向かって発散する」語り口をつづった。
 そして「知識も語り口も未熟な自分が教壇に立つのは古屋先生に申し訳なくて、授業中はいつも顔を伏せていた」ことを生徒に謝って結んだ。先生にとっての「師」は、古屋先生だった。そしてそういう人は必ずいる、と語った。

 俺から見たら全て知っているように見える先生が「圧倒的な知識量」って言うぐらいだから全く計り知れない。あのクッソ強い「ベジータ」がビビってる「フリーザ」って奴はどんだけ強いのかまるでわからねえ、っていうレベル感だ。俺もあれからミスター・サタンぐらいにはなれただろうか。

 俺の人生における心の師、いや「神々」と言ってもいいだろう。深夜ラジオの王様「伊集院光」さんは間違いなくそのうちの一柱だ。

 俺の文章からバレてたらちょっと恥ずかしいが、俺の構成要素は伊集院光さんが実に7割を占めていると言っても過言ではない。俗に言う「伊集院チルドレン」だ。高校生の頃は起きてる時間のほぼ全て、伊集院さんのラジオを聴いて過ごしていた。

 学校の行き帰りは伊集院さんのラジオを聴きながら電車に乗る。帰ってきたらパソコンで伊集院さんのラジオを流しながら全ての作業を行う。寝る時は伊集院さんのラジオを聴きながら眠りに就く。喋るときの間の入れ方からボケの挟み方、言葉のチョイスも言い方のクセも、語尾やイントネーションに至るまで全部パクった。もう完コピできる勢いだった。

 そんな伊集院さんに、高校生だった俺少年はどうしても会ってみたかった。会ってどうするんだろう。わからんが、同じ空気を吸いたいとか、そんなようなことだ。憧れて、憧れぬいて、「神」とまで思ってる人がたまたま同じ時代に生きてるのだ。会わないと。なに話せばいいかわかんないけど。

 だが、伊集院さんに会おうと思ってもどこにいるかさっぱりわからん。当時はTwitterとか無いから、つぶやきから居場所を特定するとかもできない。確実なのは月曜深夜の生放送終わりにTBS前で「出待ち」することだが、放送が終わるのが深夜3時なうえに伊集院さんのことだから何時まで反省会してるかわかったもんじゃない。その時間に高校生が赤坂をうろうろしてたら補導されてしまう。

 そんな折、伊集院さんが池袋でレノボのパソコンのPRイベントに出るという情報が飛び込んできた。そこに行けば確実に伊集院さんがいる! 行かないと! 土曜日、学校を適当な理由で早退して、制服のまま池袋へ直行した。

 サンシャイン60の噴水広場、俺が着く頃にはもうイベントは始まっていた。近くに行くと、あの声だ! 伊集院さんがいる!

 席は埋まっていたが、近くで見ようと思えば近くに行けるようなオープンな場所だった。でもなんか俺はわざわざそこまで出かけてるのに、「伊集院? へえ。たまにテレビで見る人?」ぐらいのテンションで、噴水広場の吹き抜けの2階からイベントをチラチラ見た。あんま興味ないけど、なんかやってるねえ、ふうん、っていう感じだ。

 しかし生の伊集院光はたまらねえ。くうぅ……。もう最高だ。2階でも感じるぜ、伊集院の波動。伊集院。伊集院……。伊集院! ああああ。嬉しいなあ。伊集院だあ……。夢みたいな時間が続いた。

 見たり見なかったりしながら、伊集院さんの波動にたっぷり包まれた俺は大満足だった。1時間ほど喋って、伊集院さんが舞台を降りる。どうしよう! 伊集院が行っちゃう! 俺は色紙を持ってきていた。追いかけてサインを貰いたい。でもでも、伊集院さんってこういうとき追いかけたりしたら嫌がるかなあ! うわ、どうしよう! 嫌がるよなぁそういうファン。どうしよう。どうしよう……。

 迷っていると、伊集院さんの姿はもう見えなくなっていた。

 「憧れの人」。このあと爆笑問題の太田光さんの話を書いたんだが、「好き」が深すぎてただの恋文になってしまったのでボツにした。小学生だった俺に、笑いの全てを教えてくれた人。こうしてるうちにも愛が溢れ出しそうだ。太田さんの最近の著作『笑って人類!』の感想をいずれ書きたいので、そのときにまとめて話そうと思う。

 ダウンタウンの松っちゃんのこともどっかで書きたいと思う。「信者」としては、今まさに揺れている。大げさに言うと「信仰」と向き合う瞬間が今来ている。報道が全部本当でなくとも、ある程度本当のことだとしたら、その部分は批判しなければならない。被害を受けた方にとってこうした件は、尊厳や人生の話だ。

 むう。ほっとくとシリアスになってしまいそう。このへんで終わります!

 今回は以上!

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