「禅問答」の話

 「本当に頭のいい人は物事を誰にでもわかりやすく説明する」

 ということを言う人がいる。なるほど。本当にそうかはわからんが、是非そうであってほしいな。

 だが俺は、人間とは「頭がいい」とか「悪い」とかいう話になると本気でムキになる生き物だと知っているから、平和のためにこうやって言い換えて欲しいと常々思っている。

 「ムズカシイ言葉や言い回しは禁止な!」

 ピース✌️

 蓮實(はすみ)重彦という、東大の総長までやった「カリスマ的学者」がいたんだが、難解な文章を書くことでおなじみだったそうだ。ふ〜ん、難解ねぇ。どんなもんかお手並み拝見といくか。東大だかなんだか知らんが、かかって来るがいい。

 蓮實先生の代表的著作のひとつ、『表層批評宣言』から。

 皺だの歪みだの亀裂だの、あるいは毛羽立ちでも引掻き傷といったものでもよかろうが、とにかく自分は平坦でありたいとのみ願うものの相貌を荒々しく乱しにかかる悪意の介入を斥け、盛り上がり、窪み落ち、また穿たれることへの潜在的欲望をもみずからに禁じながら、ひたすら寡黙にその均質で滑らかな表情を人目にさらしつづけ、しかもその謙虚さが熱のこもった視線をいささかもつなぎとめえない表層に単調な平坦さのみを露呈することで「文化」に貢献していながら、かえって「文化」の側からのあからさまな無視、蔑視を耐えるしかないものたちへの自己犠牲とでもいうべきものをめぐって、「文化」がいまなお無自覚であるという事実、というかその無自覚を基盤としておのれを「制度」に仕たてあげる「文化」の便利な健忘症的資質について、人はいつまで顔をそむけていることができるのか。

すいませんでした。

 すいませんでした。

 「禅問答」って聞いたことあるだろうか。文字通り「禅」の「問答」なんだが、まず「禅」の話をしよう。

 仏教には信仰のやり方に様々なスタイルがあって、日本ではたいてい中国からの輸入だ。鎌倉時代に中国から入ってきたいくつかのスタイルをまとめて「鎌倉新仏教」と呼ぶ。その中に「禅宗」もあった。

 日本では「禅宗」というと「臨済宗」か「曹洞宗」がほとんどだ。禅宗は「坐禅」という、あぐらの進化系みたいな形で座って精神集中する修行を特徴とする。精神が乱れると平べったくて長い棒で肩を「喝!」ってぶっ叩かれる様子は、何かで見たことあると思う。

 とくに曹洞宗は「只管打坐(しかんだざ)」といって、ひたすら坐禅をしまくるのを旨としている。厳しい修行で有名な「永平寺」は曹洞宗の本山で、芸能人がやらかすとお寺で修行して「みそぎ」にすることがあるが、それでよく出てくるのがその永平寺だ。庶民層によく流行ったから、俺の実家も一応曹洞宗の檀家だ。

 一方の臨済宗は坐禅のほかに「公案」という修行スタイルを採用している。大昔の偉いお坊さんたちの会話や言動を紹介し、「いかに」と問う。「どう思う?」とか「お前ならどうする?」といった意味だ。そこで良い答えをするとランクが上がっていくというシステムだ。この「偉いお坊さんたちの会話や言動」のことを「禅問答」と呼び、これが難解で意味わからんことで知られている。

 古文を読むと「仏教」のリスペクトされ具合にビックリするが、その中でも難解な禅問答を理解している臨済宗の僧侶は一般的に「頭がいい」と思われていたようだ。有名な「一休さん」も臨済宗のお坊さんで、頭がキレて当意即妙な返しをするキャラ設定に説得力があったのはそこも関係していると思う。

 三島由紀夫の『金閣寺』にも禅問答が登場する。金閣寺も臨済宗のお寺だ。「南泉、猫を斬る」という有名な禅問答が紹介され、物語中でも重要な役割を担う。
 「南泉、猫を斬る」はこんな話だ。

 むかし中国の山の中のお寺で、禅宗の僧侶たちが修行していた。そこへ「ミャー」と猫が出てくる。可愛いのでみんなで追いかけ回して猫を捕まえる。すると誰の猫なのかみんなで揉め始める。「俺の猫だ」「いや俺のだ」「いやいや俺の猫だ」

 そこへどっかから帰ってきた南泉が登場する。南泉はそのお寺で最も偉いお坊さんだ。猫をめぐって大揉めしている様子を見て、南泉はむんずと猫を奪い「誰か真実の一言を言え。さもないとこの猫を斬る」と言い放つ。
 誰もなにも言えない様子を見て南泉は猫を斬る。みんなドン引きしてその場を後にする。

 その夜、南泉の一番弟子がお寺に帰ってくる。南泉は一番弟子を部屋に呼び、昼間こんなことがあったと語る。「お前だったらどうした?」

 一番弟子は何も言わず、ただ部屋を出て行く。そしてさっきまで履いていた草履を頭に載せて、すっと部屋に入ってくる。これが答えです、という顔をしている。

 それを見た南泉は「くぅぅぅぅ! お前!!」「お前が一番可愛い! すき!!」ってなる。

 いかに。

 はあ? 意味わからん。ひたすら意味わかんねえぞ。なんで草履を頭に載せて部屋に戻ってきたのが正解なんだよ。わからん。ちょっと度を超えて意味わからん。
 高校生のときに『金閣寺』を読んだんだが、「三島を理解してる」感のために「なるほど」とわかったフリをしていたが、今なら言える。意味がわからん。

 もし皆さんが臨済宗でランクを上げたいならば、「いかに」に対して素晴らしい回答をしなければならない。「南泉はこう思ったのでしょう」「草履とはこういう意味でしょう」と「禅」的な答えが求められる。そして「禅の悟りの境地」とは、言語や認知を超えた領域を、言語や五感に頼らずに「理解」することにある。思ったより難解さが度を超しているが、「我こそは」という人は臨済宗の門を叩かれたい。

 ほかにもいくつか禅問答を紹介しよう。さっきの禅問答を見て、「だったら意味わかんねえことしたもん勝ちじゃん」と思わなかっただろうか。1000年前の中国にもそんな奴がいたのだ。臨済宗の開祖「臨済」の言行録『臨済録』より。

 あるとき臨済が演壇に登ると、麻谷(まよく)という僧侶が臨済にこう問いを立てた。「千手千顔の観音菩薩の目は、どれが正面の目ですか」
 それを聞いた臨済はこう返した「千手千顔の観音菩薩の目はどれが正面の目か、お前が言え。今すぐ言え」

 麻谷は臨済を演壇から引きずり下ろし、そこに座った。
 臨済はそれに対して「ご機嫌よろしゅう」と言った。
 麻谷はもたついた。
 臨済は麻谷を引きずり下ろして、そこに座った。
 麻谷はさっと出て行った。
 臨済はさっと演壇を下りた。

 いかに。

 どうですか皆さん。意味わかりますか。俺は麻谷の最初の攻撃「演壇から引きずり下ろし」のところはかなりファインプレーだったんじゃないかと思う。これは「禅」的には高く評価されそうな意味不明行動だ。だが臨済の「ご機嫌よろしゅう」は予想できなかったな。まさかそうくるとは。さすが開祖だよな。もっと意味わからんを被せてくるとは。

 禅問答集には「最低限これは学んでおくべし」という3つの本がある。
 『臨済録』『無門関』『碧巌録』だ。一番読みやすいのは『臨済録』で、『碧巌録』に至っては現代語訳が出ていないので前の2つから入るといいだろう。

 『臨済録』は四章立てになっていて、そのうちの第三章「勘弁」の章は、臨済のライバルに当たる「普化(ふけ)」という僧侶が出てきて最も盛り上がるところになっている。
 普化は臨済の一番弟子でありながら臨済と同じぐらい禅を理解していて、キャラも対照的。臨済は「熱血体育教師」的なキャラなのだが、普化は飄々としていてクールなつかみどころのない人物である。

 普化はあるとき、お堂の前で生の野菜をバリバリ食べていた。
 そこへ通りがかった臨済は「おい、お前。そんな生の野菜食べて、ロバみたいだな」と言う。
 それに対して普化は「メエ、メエ」とロバの鳴き真似をする。
 それに対して臨済は「この悪党め!」と言う。
 それに対して普化は「悪党! 悪党!」と言うなり、去って行った。

 いかに。

 なにが?

 ネットの世界は広くて、こうした難解な禅問答にもひとつひとつ解説するサイトがある。「南泉猫を斬る」でいえば「草履とは『元に戻らない命』を意味している」とか「猫は『宇宙』を表現している」とか、納得はできないけどそれぞれ「禅」的な解釈がいくつも存在するらしい。この禅問答にも「ロバ」とか「野菜」とかに対して歴代の禅宗の僧侶たちが様々な解釈を示している。とにかくあらゆるものに解釈が存在するのが奥深いところだ。意味わからないと片付けずに、禅問答から何かを考えるという姿勢が大切なんだろうな。

 最後に紹介する禅問答は、この普化がついにいなくなってしまうという話だ。「さようなら普化の巻」。普化が「遷化(せんげ)」つまり存在ごと、この世から消滅するという、禅宗的に最も尊い行為をするという話である。

 普化は飄々とした僧侶で、たぶんディオゲネス的な存在だと思う。いつもボロボロの衣服を着て歩いている。

 あるとき、そんな普化が街の人に僧衣を施してくれと言う。これは尊いことだ、と街の人は普化に僧衣を届ける。だが普化はそれを受け取らない。

 その噂を聞いて何かを察した臨済が普化に僧衣と「棺桶」を届けさせる。臨済から僧衣と棺桶をもらって、普化は喜んでこう言う。

 「わしはこれから東の門に行って遷化するぞ」

 これを聞いた街の人は「これは尊いことだ」と普化について行って東の門に行く。そこで普化は言う。「今日はやめた。明日南の門で遷化する」

 翌日も普化は「今日はやめた」言って、そんなことが3日も続いた。街の人も誰も信じなくなり4日目、普化は1人で門の外へ行き、担いできた棺桶の中に入って、道ゆく人を捕まえて棺桶の蓋に釘を打ってもらう。道ゆく人は「これは尊いことだ」と街に戻ってその話をする。みんなも「これは尊いことだ」「遷化をこの目で見られるんだ」と息せき切って普化のもとへ行く。

 棺桶からは何も人の気配もなく、音もしない。蓋を開けてみると、棺桶の中には普化も何もいなかった。ただ空に「チリン」と、鈴の音だけが聞こえていた。

 今回も全速力で意味わからん。意味わからんが、結構ストーリー性がある禅問答だ。「遷化」とか「東の門」「鈴の音」、ネクストコナンズヒントになりそうなキーワードがいくつも出てきた。これはどういう意味だろうと、さっきの解説サイトを見てみた。

 「この話だけは意味がわからない」

 えええ!!?? えっ!? 言っていいの!? 意味がわからないって言っていいの!? それ言い出したら全部そうだろ!!

 この問題は未解決らしい。未来の禅宗僧侶たちには是非挑戦してもらいたい。

 考えてみると、俺たちが今普通に楽しんでいる漫才なんかも、1000年後の人から見たらさっぱり意味わからんのかもしれない。なんで令和ロマンがこんなに高評価なの? って未来から来た日本人に聞かれたら、ピンとくる説明ができるだろうか。いやいや面白いだろ!? って言っても全然伝わらないかもしれない。

 「ケムリのツッコミは常に『宇宙』を表現している」みたいな解釈がされて、それが正解になっているということもありえる。それだって現代に生きる我々もケムリさん本人に聞かないとわからないしな。本当はマジでそうかもしれない。

 わからない。何もわからない。「宇治拾遺物語」の編者は「なんでこの本がこの名前なのかよくわからない。知らない」と序文に書いたが、お前がわからなかったら誰もわからないだろと思うが、わからないことはわからないのだ。

 わからないなりに人と関わる、人生は続く。1000年前の人間もわからなかったと思う。臨済本人もどうだったのかな、案外フィーリングでやってたんじゃないかな。わからない。とにかくシュール(?)なやりとりが歴史を超えて国境を超えて、現代の日本に残っているのが俺は素晴らしいと思う。

 もうギャグみたいなもんじゃないかと思って俺はここで禅問答を紹介しているが、それで何が言いたいかもよくわからん。知らない知らない! どうやって締めればいいかもわからん。何もわからん。

 えー、今回はおしまい!


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