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航海を経て想う「存在」と「死」と

死ということについて書きたい。

最初にお伝えしたいのは、この文が目に留まった皆さんの間に、死に関わる何らかの体験があったり、信条や信仰などによって死というものを避けたいと思う人がいることを想像していて、そういう方にはこの文を見送ってほしいと思う。

さて、わたしは3年ほど前に父を亡くした。
父が死ぬ2年ほど前、ずっと一緒に暮らして影響を受けてきた祖父が死んだ。
その少し前には、小さいときからわたしや家族を見てくれていた、まだ若かった近い親戚のお母さんが、もう一人の祖父が、さらにおじさんが亡くなった。大好きな友だちの父が、亡くなった。

こんなに列挙してどうしたの、と思われるかもしれない。
死というものが重く、「縁起が悪いもの」と思う方には申し訳ない。

近くに当たり前にいると思っていた人が、次々に死んでゆき、周囲の大事な人たちが悲しみを纏いながらも日々生きていこうとするのを見ていたところ、父の死は最も強烈なものだった。とどめを刺されたような感覚だったかもしれない。

しかしこの3年という月日の中で、わたしは近頃、初めて「死」を許すことができた。というより、ちゃんと見てあげられるようになったかもしれない、と思っている。
それについて書きたい。

父が3年前に死んだ頃、それまで抱えていた死に対する「なぜ?」が加速した。
どうして、どうして、どうして?

こんなことが起きるなんて、信じられない。
起きてはいけない、あり得ないこと。

父の死後すぐ、わたしは現世にいるようで、ちゃんと馴染めないような、地に足のつかない日々を過ごした。(元々あまり落ち着いた性格ではないけど。笑)
この期間、多くの人に支えてもらった。

この彷徨いの期間、人間以外で出会ったものの中で、一番大きかったうち二つは船、そして海だった。

父が死んだのはコロナ禍の2020年。その2年後、2022年に環境活動家の武本さんという方が主催する20日間ほどのヨットの長期航海に参加させてもらった。

わたしはこの時期、救いを求めていた。体験乗船会は初心者でも参加できたので、どこかすがるような気持ちで参加し始めた。

海のような広大無辺で深い存在に対して、悲しみのすべてを打ち明けたい、受け止めてほしい、抱き止めてほしいと、そんな欲求があったのだと思う。悲しみは相当深いものだった。

何度かの練習セーリングを経て、2022年の夏、ついに長期航海に出た。
ヨットは、Velvet Moon号という、南アフリカから乗り継いで日本へ行き着いた、57ft(20m)くらいの大きな船体。
わたしはほぼ何もしていないのだけど、ベテランクルーに支えられて、操船や船周りの仕組み、船用語、そして海の法則に触れた。

武本船長や先輩クルーの真子ちゃん、その他一部区間だけでも一緒に航海した皆さんの名前すべてを出すことはできないけど、一緒に海に出させてもらったことに、特別な想いを持っている。

航海の間、クルーのみんなと死とかこういう話を直接したわけではない。でも、この時2022年に最初に死と向き合うこと、生きることと向き合う機会をもらったのだなあという感じがする。

亡くなった父は、海によくいくひとだった。
その時代に流行った野田知佑さんに分かりやすく影響を受けていて、家に5mくらいのカナディアンカヌーがあり、小さい湖なんかで家族で漕ぎに出たりした。自分で釣り道具を作り、海や川や湖で釣りをする人だった。オルカ(シャチ)に憧れていた。毎年海水浴に出掛けていた西伊豆の海では、仲良くなった漁師さんの船に家族みんなで乗せてもらったりもした。
これはちょっと余談だけど、『マリファナ旅行記』という本について、中学生くらいのわたしに熱弁してきた時は、いわゆる薬物とマリファナの違いがよくわかっていなかったのでこの父親は大丈夫かなあなんて心配した。笑 
父はそんな人だ。

…ヨットで航海している間、よく父を思い出した。ほとんど毎日、時によっては何度も。
夕方港についてデッキの上で港まちを眺めながら、また見張り当番中、ふと思い出して泣いたりした。これを読んで可哀想に、と思わせてしまうかもしれない。

でもどうしてこれを今書いているのか、共有したいのか。
すべての人が生きるとか死ぬとかいうことを体験するから、読んでもらうのもいいかもしれないなと思い、また自分で書きながらどんな言葉が出てくるのか眺めてみたいなと思ったからでもある。

航海のあいだ、大袈裟に聞こえるのを承知で言えば、本当に頭が真っ白になるほどの恐怖が、主に二回あった。

そのうち一回は、急な風向きの変化で帆が暴れ出した時だった。帆やロープの扱いに慣れたわたし以外のクルーのみんなが、船長の指示で船の前方にいった。みんなが必死に直そうとしている。
なにせ57ftの大きなヨットだから、その大きなメインセールと前方のジブセールが暴れると、むろん船全体が大きく揺れる。

わたしは10mくらい離れた後方で、舵を持たされた。
船長は真隣にいたけれど、指示を仰ぐのに集中していたのでほとんどずっと前方を見ていた。

この時、船長が、
「(舵輪を)ぜったいに、離すなよ!」
いつもの穏やかさとは人相を変えてそうわたしに指示した。
ここで舵を持っているのは自分しかいなかった。わたしはその指示を聞いていたつもりだった。
なのに、一瞬、手を離してしまった、らしい。しかもそれについてわたしは記憶がなく、船長に言われて初めて「え?!」と驚くくらい緊張していたみたい。
今思い返しても結構不思議な出来事だ。

誤解を生まないように補足すると、船長はとても慎重な方で、ベテランセーラーたちが信頼する方。決して無理や危険をあえて冒すような方ではない。また、実際どれくらい危険だったかというのは、初心者のわたしの感覚でいうのは難しい。

この時を過去的に捉えてみれば、暴れる帆とこちらに乗り込んできそうな波を前にして、「死」への恐怖が茫漠とした闇のように体中を巡ったという感じだと思う。


ではこれを書いてる今、それがどう繋がっているのか。

たぶん、航海での体験が「死」に向き合わせてくれたと同時に、
「あ、わたし生きてたんだわ?!」と目を覚まさせてくれた。
うまく馴染めていなかったこの世に引き戻してもらえたような体験だった。


そんな経験を経て、2023年末にある本と出会った。
ジャケ買いみたいに図書館で見つけて「タイトル借り」した。

『君自身に還れ』〜知と信を巡る対話〜

この本は対話式。
著者は大峯顕さん、対話相手は文筆家の池田晶子さん。

池田さんのこんな話が印象に残っている。
現代では自然から遠いところで生き、情報社会の中ですぐ目の前にあるものばかりを追う、目に見えるものだけを信じる人が増えた。そういう時代の中で、死というのは最も深く隠蔽されている。なるべく早く、なかったことにしようとされる。確かに、病院が死体を早く隠すのもそうかもしれないと思った。
死はあり得ないもの、不運な人に起きるものと思われがちである。
みんなが「縁起でもない」という。
でもほんとうは、死はもれなくすべての人に起きる。

航海の経験で生きていることにはっとさせられた自分には、この文章が真っ直ぐに腹落ちした。

さらに著者の大峯さんがこんな話を紹介している。
あるお坊さんが、がんで二回手術をした話。
お坊さんは、「おれはがんじゃない。」「おれの身体が、膀胱ががんでも、おれはがんで死なない。」そういってお医者さんを困らせたという。

人はがんになったから死ぬんじゃない。
人は生きているから死ぬ、という言葉。
これが妙に刺さって、すっと納得した。
パパを思い出した。パパは、生きたから、死んだ。

「でもがんで辛かったよ、なぜ?」「誰が苦しめたの?」

そう思うことが多かったのだけど、読み進めるうちに、
生きたから、苦しんだ。死んだ。
まだうまく言えないけど、そうしか思えなくなった。
生きたのだということに対する敬意が湧いた。

さらに池田さんのお話で興味深かった箇所がある。
死とは、そもそも誰が見たのか。
生きている人たちの間でしか語られていない死とは、本当に存在すると言えるのだろうか。

そもそも人は「死体」を見て「死」を認識するようになるが、見たのは「死体」であって「死」そのものではない、という。
…そうか。わたしは死について既に知っているように思っていたけど、それは違った。全然違った

肉体の死は、すべての死を意味しない。魂や精神、心と言われる、目に見えない、取り出してこれと言えないものがある。肉体の死後それらがどのようになったのかは不明瞭で誰にもはっきりと示すことができない。
「絶対不可解」と表現されるそのことに初めて気がついた。

最初にこの本を読んだ夜、ベッドから飛び起きて約7ページにわたる日記を書き、それがここで読んでいただいている文章の元になった。書いているうちに、死のことを許せるようになった自分に気づいた。もう憎むことはない…得体の知れないものに対して、許すも憎むもないのだ。

死とはもれなく全ての人に訪れるものであり、おかしいことでも不運なことでもないのだとようやくわかったような気がする。

またこの本の中で言われる存在の構造についての話で、自分という存在のわからなさ、絶対不可解についてしきりに話されている。

不思議なのは死というより、自分が存在しているということ、生きていることの方だったのか、と思い始めた。
なんだ、わたし何も分かっていなかったんだわ。こんな不可解な世に生きていたのかと思った。

ヨットという海にかなり近い船で揺られ、あの恐怖の瞬間に、
あなたも、ちゃんと死ぬんだよ。
あなたはいま、生きているのだよ?
こうした航海で得た感覚への解像度が、本を読んで一層上がった。

ずっと死に対して持ちつづけていた「なぜ」は、今は生きることに対して向いている。
この疑問の転換はかなりわたしにとって大きいものだと思っている。
それは悲しみや絶望とは違う方角に向いている。

もう、亡くなった人たちやその周りの人たちに対して、不幸に感じることはないんだろう。ああ、その人は生きたんだねと、素直に思えるかも知れない。

ただ、まだ自分の中でごまかしているところがある。
戦争に見られるような、圧倒的な力の差、支配と結びつく死がなんであるか、その生がなんであるかは、全く腑に落ちていない。腑に落ちるようなものであるとも思えないけれど、それらについて語る言葉はまだ全く知らない。まだ見てみぬふりをしてしまう自分がいる。

今わたしは、この本にある言葉を借りているだけなので、いつかちゃんと自分で言葉にできるようになるまで考え続けたい、と思う。

今、自分の存在の不思議、生きる謎の探求の入り口に立った。
生きるとは、存在とは何か。これを考え、知り、いろんな人と対話するために、そして対話を自分が作り出すために人生を使いたいと思う。

最後に、わたしより10個くらい下で、親同士が仲良く小さい頃からよく遊んでた友だちを思い出しながらこれを書いたことを添えておく。父親同士が仲良く、一緒に家族ぐるみで音楽キャンプで会っていたその子。どちらの父もがんになり、同じような時期に亡くなった。その子とその家族とはしばらくの間、悲しすぎて会えていなかった。つい最近、7年ぶりに音楽で再会したら、もう、大学生になっていた。その子ともお互いを祝福しながら、今度こんな話ができたらうれしいと思っている。

こんな拙い、浅い文章を読んでくれて、ほんとうにありがとうございました。

あとがき:
死んだ父が、今頃天国にいるだろうとか、あの世できっと見てくれているとか、思ったり思わなかったりする。わたしの得た感覚では、亡くなった人の魂が今も生きつづけている、と言うようなことよりも、すべてが全くわからない、無限でもあり有限でもあるこの環のただ中に自分がいると言うことを実感したことの幸福感と言う感じなんだと思います。



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