大晦日

昨晩は仕事納めで遅くまで飲んだ。そのせいか、昼までだるさが抜けず、3時過ぎまで寝ていた。起き出して風呂に入って一息つくと、もう夕食の時間。大晦日ならではの、食っちゃ寝の始まりである。

夕食は5時過ぎから始める。神戸で買った大吟醸「百黙」をちびりちびりとやりながら、手巻きすしをほおばる。母親とは特に会話もせず、TVを眺めながら、黙々と刺身を海苔と酢飯で巻きながら口へ持って行く。

家にいるときにはほとんど喋らない。親と子といえ、この歳になれば別人だが、それでも、前提となる「同質性」は維持されているらしい。いちいち言葉にして説明しなくても、何もかもが阿吽の呼吸で進んでいく。

TVを観ていると、最近はやたらとカタカナが多い。とりわけ、今年は「サステナビリティ」だの「ダイバーシティ」だの「アジャイル」だの「デジタルトランスフォーメーション」だの、社会課題やらデジタル関連系が多い。仕事で人事をやっているので、いずれも他人事ではないから、耳にたこである。あてはまる日本語がないからそのまま使われているにせよ、このままでは日本語の危機だななどと嘆いてみたくもなる。

今年はとりわけ「ダイバーシティ」だった。仕事ばかりの一年だったから、この新しい波に飲まれまくっていたのだろう。多様性を尊重すると、それだけ異なる価値観とのぶつかり合いに遭遇する機会も増える。「新たな価値の創造のため」の「グッドクラッシュ」とか、頭ではその重要性は理解しているのだが、時としてこれが居心地が悪い。仕事の上では受け容れているのだが、その分、私生活くらいは同質性の温さに浸かっていたいものだ。

何から何まで言葉で説明しなければ伝わらないテレワークを前提にした仕事術(宇宙飛行士の仕事術が参考になるらしい)だとか、ニューノーマルの時代の思考法だとか、めまぐるしい変化にはなんとかついて行っているつもりでも、私生活の領域の行動や思考様式まで変える気にはならない。気心知れた仲間や、言葉だけではない繋がりのなんとありがたいことか。

変わっていくことに価値あることには寛容でありたいし、自分自身を変えていくことにも挑戦したい。とはいえ、自分を癒やしてくれる変わらぬ領域はいつまでも必要だし、ますます大切にしたい。変化に追われて自分を見失わないようにするとは、そういうことなのだろう。

それでは、皆さん、良いお年を。来年もよろしくお願いいたします。


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