育っていないものは、これから育てていけばいい。
私はもしかしたら
感情が未成熟なのかもしれない。
ふとそう思った。
小さい頃は
感情的にならない・なれない環境にいたから
感情が育たなかったのかも、と。
感情が、というよりは
感情を感じる力?の方なのかなぁ。
だから『普通の人』みたいに
感情表現ができないことに
もどかしさを感じていた。
私はどうしてできないの?
みんな普通にできることなんでしょ?
私も普通にできるようになりたい。
色々なカウンセラーさんと
お話をするようになって
心理学の本を読むようになって
「自分の感情に素直になったほうがいい」
みたいなのをよく聞く。
だけど私にはいまいちよくわからなくて。
「わからない私は、おかしいのではないか」
と思っていた。
だけど
「もしかしたら感情が未成熟なのかも?」
と思ったら少し楽になった。
感情表現が『出来ない』んじゃない。
そもそもまだ育ってないから仕方ない。
だったらこれから育てていけばいい。
以前、カウンセラーさんに
「感情ってものを大きく捉え過ぎかも。
もっと小さいものでいいんだよ」
と教えてもらったことがある。
私の中で感情とは
「喜怒哀楽・好き嫌い」だけを
指しているみたいだ。
だから喜怒哀楽に当てはまらないものは
そもそも『感情』と認識していない
かもしれない。
だけど単純に
「やりたい」「やりたくない」
「快」「不快」
という『感覚』も、感情と言っていいのかな。
私はここ十数年
「なんとなくこっち」という感覚に乗って
生きている。
勘というのか
導かれているというのかよくわからないけど
もしかしたらこれも
感情の一つなのかもしれない。
服とかを選ぶにしても
『なんとなく合う』『なんとなく合わない』
という感覚で選んでる。
もしかしたらこれが
『好き』『好きじゃない』
という感情なのかもしれないな。
そう考えると
わかりやすい喜怒哀楽という感情は
あまり育っていないけど
好き嫌いみたいなのは
ちゃんと育っているのかな?
だけどこれも明確に「これが好きー!」
じゃないからわかりにくいんだよなぁ。
あぁ、そうか。
この「わかりにくい」小さな声を
一つ一つ拾っていくことが
私の感情を「育てる」ことになるのかな。
小さな声を大切に拾っていって
いつかは
好き嫌いや
嬉しい楽しいを
大きな声で言えるようになれたらいいな。
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