【シャニマス】[liminal;marginal;eternal]は何をしたかったのか
はじめに
こんにちは,キャラメルです.
1/11,12に行われたシャニマス初の単独XRライブ,
「283 Production LIVE Performance [liminal;marginal;eternal]」,
私はその全4公演を現地で鑑賞しました.
本記事では全公演を通しての感想及び「この公演は何を意図して行ったものか」についての考察を述べたいと思います.
ちなみに第二公演での某演出への感想及び称賛・批判に関してはこちらの記事で詳細に述べています.もしよろしければ読んでいただけますと幸いです.私は承認欲求のために文章を書いています.
第三・第四公演の感想
第一・第二公演の感想に関しては上記記事で述べているので,まず第三・第四公演の感想を書きたいと思います.
・第三公演 [or;3]は,第二公演での緋田美琴の体調不良による脱落を踏まえ,美琴に関しては公演後半から出演するとのアナウンスが事前に行われました.そのため,前半に披露されるシーズの楽曲に関しては七草にちか単独でのパフォーマンスになることが決まっていた,というより観客側としてはわかっていたのですが,これが思っていたよりも良かったです.
・第二公演でも同様ににちか単独でのパフォーマンスは行われましたが,それとこの第三公演では同じ単独パフォーマンスでも観客側・演者側,どちらの心持ちも異なります.第二公演では突然のトラブルに困惑しながらも「『シーズのステージ』を成立させるためにパフォーマンスを行う七草にちか」と,「突然脱落した美琴と単独でパフォーマンスをすることになったにちかを心配しながら見る観客」という構図でしたが,第三公演での七草にちかの姿は,まぎれもなく「名実ともにシーズを背負ってパフォーマンスを行うアイドル」であり,観客はそんなにちかを応援しながら見ることが出来ました.
・そんな中で行われるパフォーマンスは,第二公演の物とはうって変わって一種の自負や自信を感じさせるような力強いパフォーマンスでした.実際のところ音声は全て前録ですし,手間を考えると第二公演と第三公演でわざわざ単独パフォーマンス分を分けて録音しているとは考えにくいのでもしかしたら完全に同一のものかもしれませんが,しかし,あの時ライブを見ている私たちにとっては完全に異なるものでした.
・そして披露されるにちかとルカの「Shiny Stories」.美琴が出ない間の曲数を稼ぐためなのか,単独ステージでなくデュオにすることでにちかの負担を減らすためなのか,それとも全く異なる理由なのか,作中(劇中?)世界においてどういった流れでこの曲がセトリに組み込まれることになったのか私たちにはわかりませんが,しかしこの曲がこの二人でこのステージで行われることに,大きな意味があるという風に感じました.
・にちかとルカの対立はストーリー内でも多く描写されており,現在時空でも特に解決はされていない(はず)なのですが,そんな中で,美琴の脱落という二人に共通する大事な人物のトラブルを受けて,同じステージに立つということ,これは一種の和解であり,協力であり,信頼の形の1つだと思います.
・また,これは第四公演の話になりますが,第四公演での「Shiny Stories」披露後のMCにおいて,ルカがにちかのパフォーマンスについてダメ出しをするという一幕がありました.一見いつもの不仲のアレか,という感じもしますが,ルカの他人に対するパフォーマンスへのダメ出しはシャニマスのストーリー内において,灯織に対しての際も,だぶるはに対しての際も,歩み寄りの第一歩目として書かれていることを考えると,このMCの持つ意味は大きいです.ルカがにちかのパフォーマンスをしっかりと見て,その上で伝えられるのがダメ出しなので.
・その後美琴が復帰し,ついにSHHis二人でのパフォーマンスが行われました.どれも復帰直後だと思わせない,力強いパフォーマンスでした.
・パフォーマンス後のMCで美琴から今回の件に対するコメントがありました.緋田美琴はそのパフォーマンスにより常に完璧なステージを作り上げることを目的としているアイドルでしたが,今回の体調不良による脱落により,完璧とは程遠いステージとなってしまったこと,そのことに対する反省・謝罪,そしてそんな中支えてくれた人と,シーズのステージを守ってくれたにちかへの感謝.
・このMCで美琴は,ステージの上で,完璧じゃなかったという結果を受け止め,受け入れ,そしてそんな自分のために支えてくれる存在がいることを述べました.これは「アイドル」緋田美琴にとって大きな変化だと私は思います.普段の会話じゃない,客のいるステージ上でこれを言うことの意味,特に「緋田美琴」にとってそれがどれほど大きな意味を持つか.私はここで初めてユニット「SHHis」が完成したと,そう思いました.
・第四公演 [even;4]は,緋田美琴が予定通り出演することがアナウンスされ,実際その通りにパフォーマンスが行われました.第四公演に関しては普通のXRライブの様に通常通りにパフォーマンスが行われた,そんな公園でした.最後を除いては.
・アンコール後のパフォーマンスが行われ,演者が退場した後,ステージが再び照らされ,斑鳩ルカが登場し「1/3」の披露が行われました.「1/3」は2024年12月に発売されたコメティックのソロコレクションのCDのボーナストラックとして公開された曲で,内容としては過去を受け入れて今を生きていく,そんな今のルカの心情が書かれているような曲で,そのタイトル「1/3」はコメティックの斑鳩ルカとして,3人のうちの1人として生きていくということを示唆しているのではないかと公開当初から言われていましたが,ついにこの公演でその解答が出ました.
・この曲で,このステージでついに斑鳩ルカは「コメティックの斑鳩ルカ」であると,はっきり意思表明したとそう思ってよいでしょう.また,個人的にはこの曲をライブで初めて聞く経験として,「斑鳩ルカ役川口莉奈」ではなく「斑鳩ルカ」の歌唱として聞くことが出来たのもうれしかったです.この曲はまさしく「斑鳩ルカ」の曲だと思うので.
本公演についての考察
・本公演 [liminal;marginal;eternal]についての考察を述べていきたいと思いますが,私はこの公演で運営が描きたかったことが2つあるのではないかと思います.その2つとは
・XRライブという媒体を利用した二次元コンテンツにおける挑戦
・SHHis・コメティックのユニットとしての完成
です.
XRライブという媒体を利用した二次元コンテンツにおける挑戦
・まず前者の「XRライブという媒体を利用した二次元コンテンツにおける挑戦」について述べていきたいと思います.
・前記事でも述べましたが,XRライブは基本的に音声は全て前録であり,全ての演出・パフォーマンスは前もって作られているものであり,それを照射したものを観客たちが見るといった形式のライブで,「ライブ」でありながら実質生ではない「生きていない」パフォーマンスが,アイドルがそこに存在します.だからこそ普段のライブではありえない7曲連続でのパフォーマンスや昼と夜での公演間のインターバルが2時間しかない公演を行うことができ,また当然観客はその事に対しアイドルの体力やコンディションについて心配することはありません.いわばXRライブにおいて観客と演者は明確に世界が隔たれているのです.
・その一方でXRライブはその名の通り「Extended Reality」,「現実世界と仮想世界を融合させて新たな空間を生み出す」ことを目的としたライブであり,実際ステージ上に映し出されるアイドルは,その映像の照射技術もあって本当にそのステージ上にいるかのように,その場に存在します.観客と演者の世界の融合が,このライブでは行われているのです.
・本公演はそのタイトル [liminal;marginal;eternal]にも,そういった矛盾を示す意図が込められているのではないかと思います.
・「Liminal」は「境界」を指し示す形容詞であり,特にある状態から別の状態への遷移点やあいまいで中間的な空間を示す場合に用いられ,建築用語としては廊下などの移動のための空間を示す形容詞に用いられます.
・「Marginal」には「わずかな」「取るに足らない」等の意味もありますが,おそらく「Marginal Man」等の用例で用いられるような,「境界上に存在する状態」を指し示す形容詞としてここでは用いられていると思います.
・そして「Eternal」ですが,これは単純に永遠性を示しているものでしょう.
・基本的にXRライブでは,アイドルは「二次元の存在でありながら三次元に存在するアイドル」となり,また観客は三次元の存在でありながら,「二次元世界のアイドルのファン」として会場に存在します(通常アイマスのライブは客が「プロデューサー」であるという前提で行われるが,XRライブにおいては基本どれも「アイドルのファン」として扱われるという前提が存在する).
・つまり,このライブタイトルには「永遠性を持つ二次元の存在であるアイドルがXRという二次元と三次元の境界が融合する中間的な空間で,境界上の存在として行われるライブ」を指し示す意味があるのではないでしょうか.
・本公演では「出演アイドルの体調不良」という通常XRライブでは起こりえない事態が発生し,現実世界のスタッフや運営も「実際にそのトラブルが起こった」という前提でリアクションをし,そして当然演者であるアイドルもそのトラブルの影響を受けました.これによりただでさえXRにより空間融合が起きている状態から,二次元と三次元,現実と虚実が曖昧になり,まさに異質とも言える空間が発生しました.
・実際私は第二公演においてこの空間に飲み込まれて理解がバグってしまい,「全ては前もって作られた演出だと頭で理解していながら,ステージにいるアイドルを『生きている』存在として心の底から心配している」という自己矛盾を孕んだ存在になってしまいました.
・また,本公演を語る上で外せない要素として存在するあの謎ポエム
「完璧・永遠であることは美徳であり彼女達は幾度も到達の機会を与えられる」もこうしたカオスの発生を揶揄しているように思えます.
・このポエムは本公演の開催発表時に公式アカウントにおいて発されたものであり,特に説明されることなくパンフレット等にも用いられており,ライブコンセプトについて触れるMC中にも特に触れられることもなかったので,おそらくこのポエムは作中世界とは別の次元の存在による,神視点的なものによるものでしょう.
・XRライブは全てが前もって作られた完璧な創作物であり,そこには二次元の,三次元と異なり永遠性を持った存在として,アイドルが存在します.通常通りのトラブルの発生しないXRライブにおいては,彼女たちは「完璧で永遠の存在」となったことでしょう.
・しかし実際には「過労によるアイドルの出演中止」という二次元の存在としてあり得ないトラブルが発生し,アイドルたちはそのトラブルの影響を受けながら,それでもステージの成立のために動く「生きている」存在としてそこにありました.そこでもがくアイドルたちの姿は完璧なものでは全くない,脆く,痛々しく,そして美しい姿でした.
・本来「完璧で永遠である存在」であるアイドル達が,「アイドルの脱落」という本来起こりえないトラブルによって不完全性が付与されることによって「到達の機会」を与えられているのです.
・本公演は二次元コンテンツという「完全」な存在に欠けている「不完全」を表現したかったのではないでしょうか.
・本公演での演出そのものに対する賛否は前記事で述べたので深く言及はしませんが,私はこの演出は非難されるべきものであると思うと同時に,とても良い演出だと思っています.この4公演を通して,私が最も心動かされ,夢中になって入り込んだ公演はあの第二公演だけなのですから.
SHHis・コメティックのユニットとしての完成
・次に「SHHis・コメティックのユニットとしての完成」について述べていきます本公演ではどうしてもそのセンセーショナルさからあの脱落演出についての話題が多いですが,私は本公演においてこの2ユニットに対して1つの結末がついた,という印象も受けました.
・本公演の公演ごとの表題「Never」「odd」「or」「even」からなる文章,Never odd or even.「偶数でも奇数でもない」という意味の英語の回文ですが,第四公演ではアンコール終演後の一種のボーナストラックとして披露された「1/3」がこれのアンサーなのではないかという考察が多く見られます.「1/3」が循環小数であることから考えても,私も「1/3」がアンサーの1つなのであり,主な正解ではないかと思いますが,おそらくそれだけではないように思います.(というかそれだけだとあまりにも言葉遊びだけすぎる)
・ではほかにどのような考察が考えられるのか,再び「Never odd or even」について考えると,まず前提として,具体的に示されているわけではないですが,おそらく「奇数」が3人ユニットであるコメティック,「偶数」が2人ユニットであるSHHisを指し示していると考えられます.彼女たちは確かに3人と2人なのにもかかわらず,「そうではない」とはどういうことを指しているのでしょうか.
・SHHis,コメティックにはそれぞれ圧倒的な個の実力を持ったアイドルである緋田美琴,斑鳩ルカが存在します.その実力故に存在するユニット内での実力差のため,作中世界ではそれぞれが1つの完成したユニットとしてではなく,「1人+1人」,「2人+1人」のユニットとして見られることが多くあります.
・当然シナリオ中において,当人たちにも同様の認識がありましたが,それぞれストーリーを積み重ねるにあたってアイドル間でユニットへの帰属意識,仲間意識が生まれ,ユニットとして1つの完成を迎えています.本公演は,その完成を対外的にも名実ともに決定づけるものなのではないでしょうか.
・まずSHHisについてですが,これは「美琴の脱落」と「にちかの奮闘」によって示されていると考えられます.圧倒的な個である美琴が脱落した後の舞台で,にちかは「美琴さんのステージ」を守るためだけではなく,「SHHisのステージ」を守るために,「SHHisの七草にちか」としてユニット曲の単独でのパフォーマンスというある意味無茶ともいえるパフォーマンスを行い,そして敢行しました.
・一方で美琴は復帰公演である第三公演にて,自分自身の至らなさを反省し,自身が完璧なステージでなかったことを受け入れると共に,「SHHisのステージ」を守るために奮闘したにちかに感謝しています.これは美琴がSHHisを自分を受け入れてくれるところ,自分の帰る場所であると思っていると考えられるでしょう.これにより,SHHisは「七草にちかと緋田美琴の2人による1つのユニット」であると,確固とした形として対外的に示されたのではないでしょうか.1+1であることには変わりありませんが,しかしその「1」は「SHHisという1つのユニット」にどちらも欠かせない「1」だと示されたのです.
・またSHHisを語る上で欠かせない人物である斑鳩ルカにとっても,「SHHis」は2人のユニットだという認識が見られます.第三公演のMCにおいて美琴を「SHHisの緋田美琴」として呼んだ演出や,第四公演のMCにおけるにちかに対するダメ出しは,それぞれを「SHHisの一員」として認め,認識しているからこそでしょう.
・次にコメティックですが,こちらはSHHisと似た構図ですがそのユニットとしての完成には異なった問題があります.というのも,ルカはSHHis結成時の美琴とは異なり,ユニットに対する帰属意識や仲間意識が欠けた存在ではありません.以前美琴と組んでいたユニットに対しては,ルカは強い仲間意識と帰属意識を持っていたことが作中でも示されています.コメティックの完成に存在する問題は,ルカがコメティックを認められるか,というところにあります.
・そしてその認識に対する解答は,第四公演の「1/3」にて示されたと考えています.アンコール終演後のステージで,その演出・歌詞・タイトルが「コメティックの斑鳩ルカ」であると指し示す「1/3」を歌い上げたルカは,「誰か1人くらいは,救えたのかよ」と言い残して去っていきました.GRAD編にて自分がソロを続けることでもユニットを組むことでも救えずに傷つけてしまうファンがいることに悩んでいたルカが,過去を受け入れて今を生きていく「1/3」を歌い,「誰か1人くらいは,救えたのかよ」と言ったことは,ルカの中に「コメティックの斑鳩ルカ」としての自覚と自負が生まれていることを指し示しているといってよいでしょう.
・では結局「Never odd or even」に込められていた意味とは何なのか,主たる正解であろう「1/3」も併せて考えると,
「SHHisもコメティックも,それぞれ2人と3人からなるユニットであると同時に,それぞれがユニットにとって,メンバーにとって無くてはならない人間として1つのユニットを成している」ということではないのかと私は思います.
おわりに
・長々と半分妄想交じりの文章をここまで読んでくださった方,ありがとうございます.私個人として今回のライブはとても良いライブであり,めちゃくちゃに満足しています.
・ただそれはそれとして批判されてしかるべき演出ではあったと思いますし,依然として「この演出を行うこと」に関しては批判的ではあります.今回の演出は観客から金銭を得て行う有償ライブだからこそ大きな意味が生まれたわけではありますが,普通にだまし討ちではあるので.
・最後になりますが,私は今回の演出もライブも楽しむことが出来ましたが,これ楽しむことが出来なかったり憤りを感じたりしている方々が,楽しめている人間よりもシャニマスに対する熱意や真剣さややる気や愛が劣っているとは全く思いませんし,そこに良し悪しや優劣は存在しないと思っています.シャニマス運営も同じように思っていることを望みます.