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アンチコメントへの心構え覚書📝

瀬戸内ノートのYouTubeがなぜかプチバズってます。
私のチャンネルには香川への移住視察の動画しかなく、いきなり移住後の動画を上げるのも唐突かなと思ったので喋る系動画をアップしてみたら、それがあっという間に1万回再生されてしまいました。
(ちなみに喋るのがめちゃくちゃ苦手なので今まで避け続けてた)

YouTubeやってるんだから再生されてなんぼなんだけども、全く気合を入れてない動画が伸びるのは想定外すぎて...🥹ブルブル

動画に多くの方がコメントしてくださり、高松への愛や郷愁そんな感情を共有してもらって、とても心が暖かくなりました。

そんな時に飛び込んでくるアンチコメント。ぴょぴょぴょーん。
前置きが長くなりましたが今日の本題はコレです!

初めて体験するアンチコメント

SNSが日常に溶け込んでる時代においてアンチコメントは人を殺めるほどの威力を持っています。

YouTuberさんがアンチコメントに対して謝罪したり、逆に真っ向から反抗する姿を見ては「YouTuberさんってめちゃくちゃ大変だ、、、あなたはそのままでいいのに(気にしなくていいのに)」とよく思っていました。

でも実際に自分が体験してみると、読んだ瞬間に心臓を刺されたように胸が痛くなり、色んな感情が渦巻いて思考がグルグルしてきました。

元々人から嫌われるのを極端に怖がる性格だったり、他者へのバリアが薄い(夫からよく言われる)ので全て言葉を受け取ってしまい、苦しくなるのだな〜と感じました。

これを毎回やってたら身が持たない…と思い、私なりにアンチコメントに対処法をある程度決めておくことにしました。
今回はその備忘録として。瀬戸内と関係なくてすいません(笑)

悲しい気持ちを否定しない

まずは自分が言葉を受け取って「悲しい」「傷ついた」という感情を否定しないようにしました。
こんなことで傷ついたら・・・と傷つくことを恐れるが故の防御反応が湧いてきますが、思考ではなく悲しいという感覚にフォーカスします。

今回の私の場合、普段自分を責めるくせがあるので他人から言われると、こんなに傷つくことを自分自身には平気で言っているんだな、それは自分の中に悲しさが生まれるよねという気づきに繋がり、自己受容に繋がりました。

相手の感想は否定しない

アンチコメントというと非常に悪のイメージですが、否定的だったとしても意見をくれること自体は別に悪い事ではないと思ってます。

今回、「あなたの動画がわかりにくい」という指摘がありましたが、それはその人の視点からみた事実であるのでそこは否定したくないと思いました。
否定しないからと言って受け入れるわけでもありません。
その人の視点と同時に私の主観領域(視点)も存在しているわけなので。

でもそういった意見が多数見られるのであれば私自身も分かりづらいのかな?と思い、なにか策を考えるかもしれません。なのでアンチコメントにもレベル感があって、一概に全てをブロックしたくないというのが私のスタンスです。
今回、1件反射的にコメント非表示にしたらあとで戻せなくなってしまい、返事もできなくなったので逆に非常に気持ち悪くなりました…。
今度から反射的に行動しないように気をつけたいです。

言葉の暴力には全力でアッパー

1番の問題は多くのアンチコメントは伝え方が非常に雑で相手を傷つける意図を持っているということです。
(本人が自覚しているかは定かではないですが)

今回「金銭感覚がおかしい」「わがままか飽き性なのか」というコメントがきましたが、初対面でリアルに目の前に私がいたらいきなりこんなこと言わないと思います。ネットだから言えるはおかしいです。

「相手のことを傷つけるかもしれない言葉をわざわざ使ってコメントしてくる」人に対しては全力で心の中で殴りに行くというルールをつくることにしました🥰

でもそれを相手には見せません。ムカつきますが相手の挑発に乗るのは自分の人生を無駄にするので、軽く受け流すか、本当に配慮のない言葉に関しては問答無用でブロックしようと思います。(◯ねとか馬鹿とかレベルの悪口。今回そこまでひどいものは来ていませんが)

あと「文句言うなら見ないでください」といった相手の行動を制限することも、挑発に乗ることになるのでやりません。

ただただ自分の心の中ではメラメラ怒り、相手をボッコボコにすることを許可します🔥笑

自分の心のクセを知る機会と捉える

基本的にアンチコメントは気分の良いものではありませんが自分の思考のクセを知る機会になるなーとは思いました。

悪い方向に意識が向きがち

真っ白な紙に一点の黒い点があったら、白い地ではなく黒い点ばかり気になります。きっと人間はそうゆうバイアスがかかりやすい生物。

99人が自分を肯定していても1人の悪口が気になる。少なくとも私はそういう認知の歪みを持っていることを改めて認識しました。

今回あまりうまくいかなかったけれど、否定的なコメントに意識を集中させるより肯定的なコメントに意識を集中させたい。私のために時間を使って書いてくれた人を想像したり、文面を見た時の幸せな感覚にシフトできるようになりたいな〜。

内省のツールにする

「金銭感覚がおかしい」「わがままか飽き性なのか」というコメントに対して前者の方が傷つきました。
これは私がお金に対して何らかの「こうでなくちゃいけない」という思い込みが強いということです。
一方、後者のコメントに対しては「いや、そうなのよ。ワガママだし飽き性なのよな〜困ったテヘへ」みたいな反応をしてました。
後者に対しては自分でその部分を許容しているということです。

今こちらの本を使ってワークをしているのですが、この中で「ダメな私探し」というワークがあります。
自分がどんな自分を「ダメ」と認定しているのかを探し、自己分離を明らかにしていく作業です。

座って思考でワークするのと、人から言われて気づくのとでは強度がまったく異なり、気付きの度合いも深いです。

コメントをしてくる人自身が「金銭感覚がおかしいやつはダメだ」「わがままor飽き性はダメだ」ということを私に投影しているという視点から見ても私自身がその自己分離の感情に同調し、ひきずりこまれる必要はない、その意志が強くなりました。

ーーー

最後は投影など分かりづらい単語もあったので、読みづらいまとめとなってしまいましたが、アンチコメントが来た時の私の基本方針をまとめさせて頂きました。

基本的に発信や何かを生み出す行為はとても骨が折れます。
今回初めて動画を撮ってみても大変すぎてYouTuberさんって本当すごい!という畏敬の念しか湧いてきません。
そんな行為に対して何の配慮もなくズカズカと踏み込んでくる人は許せません。

私の友達にも何人かYouTubeで発信をしている人がいますが、そういった方にアンチコメントがついたら「はぁ?この人の何を知ってるの?」ってブチギレます。笑

その感覚を自分に対しても持てるよう練習したいなと思いました。
人生修業だな〜。


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