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きょうのすきなもの180

5月12日 にちようび
労働なし

8時には起きるようにできてる
特になにするでもない

なんか忘れないように、珍しくいっぱい書き明かすことにした、野暮だけど、あと見られることの距離感がわからないけど

八幡山は歩いていく、甲州街道風強すぎ

和室ごろごろできて最高

ひさしぶりのやじまさん 元気そうでよい
出演者ふたりなのに四人技の演目ができそうでとってもたのしみだ

どうしてこんなに金がないんだろう
無限にみたいものあるのにためらってしまう

酢漬けのたまねぎそろそろ食べなきゃなので、キューピーライトとゆでたまごでタルタル
スーパーでタルタルをつけたらおいしいもの探していて、諦めのチキンナゲット(でも安く買えた)
キャベツサラダがゴージャスになったのでよし

5月13日 げつようび

内見してやっと、今の家の更新の踏ん切りがつく
ふつうにこのスケジュール感では、損する引っ越しになってしまいそうなので

がんばって、次落ち着いた頃にしっかり引っ越したいな

炭水化物いっぱいでお昼のあと眠くなってしまった、雨もこりごりです、布団カバー洗いたいのに

コーヒー飲めるのうれしい
いれかたちょっと変えるだけで味変わる体験

集中~

5月14日 かようび

ゆで卵まま食べるのはやっぱりあんまり好きくないかも

今日のスチームはわりと安定していた

他のお客様も一緒になって、どこまでハムは使えるか見届けた時間ちょっと愉快だった

夜までがんばるので、海鮮ミックスおにぎり

ひっさしぶりにノーゲストだった
ブラウニー迷いなく作れるようになったし
zzzpeakerさんを遠くに聴きながら掃除しまくったのはまあいい時間だった

ささいさんが結んでくれた以降、蝶結びをほどけさせない意識が🌱

5月15日 すいようび

1時に寝て7時くらいからうだうだ起きている
冷たいインスタントポタージュがおいしい季節

朝本を読むのいいかもしれない起きてしまうなら

そろそろお客さんの数が落ち着いてきたかもしれない/そろそろマカロニチーズのソーセージ絶対買って帰りたい

コーヒーの勉強と、ワインの勉強

富士そばの紅生姜天そば (冷)食べたい気持ちだったのに、電車に乗ってしまって、渋谷区より西っ側全然富士そばないこと初めて気がついた
確かにうちの近所昔ながらの蕎麦屋しかないわ 持ち越し

今回の私たちは稽古場にたどり着くまでの困難が多い(ごめん

もっとうえまきの演出を見たいというか受けたい気持ち(I want to do that someday)

お昼、いなげやで助六を買って食べちゃったので
大人しく帰ってサバ缶パスタ 残りの白菜とかねぎとかも/味噌生姜にんにく少し足したらちょっとなめろうっぽさと合わさって天才でしたセンスがいい 多分粉チーズとかも合う

東京じゃないところで演劇してみるの近いうちの目標だな

5月16日 もくようび

きょうもいつも通り

有言実行だけどちょっと違った 多分また食べる

シャノのコーヒーフロート

カウンターの中で穏やかに飼い殺されてる感覚
(すごくよくない言い方

最近遅くまで寝れないのをいいことに、ちまちまごはんをたべたり
明日楽しみ

5月17日 きんようび

バイトじゃない1日 大変に楽しみ
下北沢すごく久しぶりな気がする(春はずっと王子にいた

知っている人たちにたくさん会えて普通に楽しくなってしまった

カメラもっとやってみたい
編集もしたい
映画出てみたい
事務所に入れたらいいかもしれない
舞台立つのはめちゃくちゃおもしろい

略式:ハワイと父と暮せば
劇団スポーツの『略式:ハワイ』、タイムリープものとして捉えがちだけど作品紹介では<青春記憶改竄コメディ>なので多分過去も現在も、山戸の現実は何も変わっていない。変わるはずがない。ラスト斜が行けなかったはずのハワイにみんなで行く、記憶の中の山戸と斜以外のみんなは大人の姿になっている、その時の各々の後悔の言葉だけが本当なんじゃないか。そしてそれに答えてくれる斜の返事はみなの想像でしかない、返ってくるわけが無い。
救いようのない感想かもしれないけど、前半までのにぎやかさからは遠く離れた静かで穏やかな幕引きの後ろにあるものを忘れないようにしたい。みのるとみんなが、後悔のあとも、したたかに生きていくための、改竄だ。
井上ひさしの『父と暮せば』という戯曲で卒業論文を書いた。広島への原爆投下から数年後、図書館に勤めひとり暮らしていた娘の前に突然父親が現れる物語。娘の前に昔と変わらぬ姿と明るさを持って現れる父親はあの日の爆弾で亡くなっている。倒壊した家の下敷きになった父親を置いて逃げた自分が幸せになんかなってはいけないと自らに課す気持ちと、恋に落ちてしまった自分の引き裂かれる気持ちが父親を彼女の前に生み出したのだと私は書いた。親子は生き別れたあの日の場面を再現し娘が生き残った理由を見出させて、<生きてヒロシマを継承していく>ということで二つの気持ちの落とし所をつける。娘は原爆の研究をする物理学者との結婚を選び、父の姿はいつの間にか消える。最後に呟く「ありがとありました」はあの日言えなかった別れの言葉かもしれない。
自分で思い返してみてますます重なってきてしまった。好きで卒論に選んだ戯曲だけれどどうしても解消できなかったもやもやがあって、死んでしまった人間に対して生きている人間は圧倒的に優位になってしまうこと。父の娘の幸せを願う気持ち、原爆で死んでいったものの平和を祈る気持ち、友だちだと思い続けてくれているあいつ、そこに感動だけを読み取っていいのかという気持ちになっていた。気が付くのは難しいけれど、あくまでも生きているもののグリーフケアであるという視点は必要なんだと思う。
でも、もう会えない人に会えるのはフィクションの特権だ。私が生きる現実では起き得ないからこそ、よかったねと受け入れてあげてしまう。
略式:ハワイ、カメラを覗く私の目を潤ませたのは、みんなでハワイを目指せた祝福と、もう一度出会えた羨望と、人生の取り返しのつかなさへの少しの絶望、そういうなん全部肉体を持ってしてやろうとするチームへの感動

すきなひとにはgiveしたくなってしまう

5月18日 どようび

そんなに焦らなくてもいいよ、という苛立ちを飲み込む
私は、いい人に思われていたいから、怒らないことがままあるなあとふと思う

配達バイト、個人にしていけるといいのだろうか

阿佐ヶ谷の知らない側 めちゃくちゃ楽しい気配

今日は1日を通して稽古場にたくさんの人が来てくれて、創作において無限の選択があるということを感じられて、それが全然プレッシャーとかではなく受け止められて、自分成長したなという気になれました、みんなありがとう

しゃけのあらをサクサクに焼き切ってほぐす おいしすぎ

ちゃんといいので、どうか観に来てほしい

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