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「緩んだ地盤の下から」

熱気球に乗ったことがありますか?

世界一周とかそういう大げさな話ではありません。ビーチで子ども向けのアトラクションとして行われているような、地面からほんの数メートルばかり浮き上がる程度の体験です。

でも、ゴンドラから見下ろす光景は、それまで知っていたのとはまったく別世界。

「そんな訳ないやろ」

と、セブンスターを銜えたまま茶々を入れるのは、お約束どおりホラ吹きのアルト吹きですが、

「高いとこへ昇りつめたからって、それで展望が開けると思ったら大間違いや。息が続かんようになることはあるけど」

西洋において、文字の記録は破壊の跡の砂からはじまった。

東洋において、文字の記録は森からはじまった。

(武邑光裕『記憶のゆくたて』より)

インプロヴィゼーションの話なら、今はお呼びじゃないです/お呼びじゃなくてもメゲんと吹き切ったら何とかなる、けど…/けど?/音の高低と違って標高はアテにならん。

ハナザカリくんによると、音の高低は人知を超えるが、標高は人間の心がけ次第でどうにでもなるらしい。


そもそも我々の「上がった」は、地底人にとっての「潜った」かも知れん/地底人に聞いたん?/知るか。そんなことより最近何か噴出してきてないか?/石油?/じゃなくて/……/言えんことか?/なかったことに…/無理。手遅れや。おめでとう!

そんなわけで彼は今、アストラル・シェール何とかに夢中だ。

ニューオリンズのセカンドライン・ビート/マルディグラ・インディアンズの行進(ニセモノや!と子どもが叫ぶ。おいおい、仮想行列やないか。とおとなが応える)/お祭り用の扮装に残る悪魔(とされたモノ)の爪あと/酔っ払いの鼓笛隊は今日も今日とて絶好調/お前ゴムみたいな顔してるなあ/ショーウインドウの中のヴードゥーおまじないセットが大人のオモチャの脱力感でこそばしてくる/ラテンアメリカ文学の古典に見るインディオの少女/宣教師の指導を無視してわざと手づかみで喰う/彼女は裸足と決まっている/コンドルは飛んで行き、オンドルは暖かいそうだ/ディアンドル! 麦酒おかわり。

「セカンドライン(つまり二列目)がノリノリなのは、よーするにゆるくて適度にグダグダで、好き勝手に跳ねたりヨタったりしてるからなんや」と言っていたのは、たぶん、ハナザカリくんの先輩の誰かさん(白雪先輩?)です。
もしかするとそれは、最初にこのお祭りを企画した人たちが望まないことだったのかも知れません。しかし、蓋のズレたところから、あるいは蓋を突き破って、今ではむしろ主役になってしまった。

そして乾杯の時、勢い余ってジョッキの麦酒が少女にかかり、民族衣装はびしょびしょに。

「おい、どーするよ?」「責任取れよなお前」

南ドイツの田園風景の中、赤ら顔の男たちが、口々に吹き替えの日本語で叫んでいる。

以上、まいど馬鹿馬鹿しいヨタばなし、お退屈さまでした。

ところで、知っていますか? タロットの話です(実は最近教えてもらったのですが)。通常、大アルカナの20番は「審判」(トート版ではAeon)であり、21番は「世界」(トート版ではUniverse)ですが、「ニューオリンズ・ヴードゥー・タロット」では、20番が「祖先」、21番は何と、「カーニバル」です。これはもう、じっとしている場合じゃない。

邪魔するな? どうも、失礼いたしました。

とは言え僕は、あなたがペンタグラムの向きをひどく気にしたり、それを高度に特殊なロジックで説明するのに夢中になったり、「しょうかん」と「かんき」の違いについてうんぬんしたりするようになる前に、ぜひ、この話を聞いておいてほしかったのです。

屋上から聞こえてくるロングトーンも、だんだん切れ切れに、騒々しくなってきました。



(2014年 インプロヴィゼーションtp#4)

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