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インスタント-即席

 振り返りたらを行う都度、雑多な想起や後悔や果てしないクエスチョンやらまれに気づきなどあったりする訳ですが、ここのところ、それらは【即席】【即興】という二つのキーワードに集約できる気がしている。

 まずは前者の方から。「インスタント」と聞いて、反射的に浮かぶのはコーヒーだ。私はあまり好きではなかったが、嫁は好んで飲んでいた。ラーメン屋には行かないけどインスタントラーメンは大好きという人がいるように、彼女にとってのインスタントコーヒーは、レギュラーコーヒーとは別ジャンルの飲みものらしく。

 私が、もともとあまり好きじゃなかったインスタントコーヒーを飲むようになったのは、韓国発(でしたよね?)のダルゴナコーヒーを自分で作って飲みたいと思ったから。何やそんなことかいと思われるやも知れませんが根がケーハクな私は、特にこだわりや主義主張があって飲まなかった訳ではなく。

 インスタントコーヒーについては、なかなかにドラマティックな開発ストーリー、及びそれを売るための広告戦略についても、その筋の教科書的書籍や何かでも取り上げられている、なかなかに味わい深いエピソードがあったりするんで、そこそこの思い入れはあった筈だから、我ながらやや不思議。

 あと、ラーメンやカップ焼きそばなどのインスタント食品は、仕事で関わったこともあって、「常食」とまではいかないがそれなりに食べたし、今もたまに食べる。

 中でも、カップ焼きそばを巡っては、日清派vsエースコック派の馬鹿馬鹿しくも熱い討論、ペヤング派の箱買いなど、時折身近に妙な盛り上がりが起こることがあった。

 人はなぜインスタント食品に強く惹かれたり、逆にそれらを小馬鹿にしたり嫌悪したりするんだろう。

 ファストフード/スローフードのように話の焦点を食に絞って整理してみたり、効率主義&即物的満足/クオリティ・オブ・ライフのように敷衍しつつややシリアスな整理も可能。だが、所詮はいずれも「矮小化」の見本に過ぎず、にわか/本物、スピ/魔術など、ほんのり東アジア的排除癖と若干の悪意すら感じさせる展開例も見受けられたり。

 私は、これらの整理的≒生理的欲求に打ち勝ち、わからないものをわからないままに保留しつつ。インスタントコーヒーに関してそうしたように、「好きじゃないから飲まない」「ダルゴナコーヒーを作って飲みたいから買ってくる」といった当たり前の振る舞いを、今後とも選択/実践していきたいと思っている。

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