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ずるくて効果的な町内放送

最近、心がざわつく町内放送がある。

「不要不急の外出は避けよう」

1年間聴き続けたアナウンス。
むしろ慣れてしまって内容には反応しない。

アナウンスする側もそれは承知のはず。
だからやり方を変えてきている。


私は、その声の主に反応してしまった。

「私は、◯◯小学校の◯◯です」

とてもクリアなその声の持ち主は、
地元の小学生たちだった。


彼らの口から語られる
今の現状と我慢のストーリー

思わず聞いてしまった。

そして、受け止めなきゃと反応して、
少し苦しくなる自分がいた。


「学校に行く時もマスクをしています」

「給食の時もお喋りはしません」

「私達も頑張っています」

「不要不急の外出は控えましょう」



…はい。

心の中で思わず返事をしてしまう。

(これはずるいな)

そう湧いたけれど、
それぞれの切実さがあるんだなとも思う。


不要不急の基準はどこか?

いや、どこに基準を置くのが正解か?

悩ましい課題。
きっと共通の正解は存在しないのだろう。

社会と繋がって生きるには
必要な問いなのかもしれないが、
それでもやはり苦しくなる。


基準を明確に持つことは可能なのか?

行動に焦点を当てたら可能なのかもしれない。
でも、今の私達に必要なのは
きっと行動指針だけでは無いだろう。


自分の心が苦しくなって、
そんなことが浮かんだ。


だから今日。
1週間ぶりに電車に乗った。

私にとっての不要不急。
みんなそうやってバランスを取ればいい。

自分を責めてばかりじゃ疲れるから。

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今の行動指針があるとすれば、
体も心もバテないこと。


最近我が家に届き始めた
ずるくて効果的な町内放送は、
今日も不要不急とは何かを投げかけていた。


けど、外出したい自分をもう責めない。
今は、それでいいのかもしれない。



ではでは、また次回 (*・ェ・*)ノ








山羊座の宿命に生きるジタバタ劇場noteが、 少しでも今日のあなたのお役に立てたなら幸いです。 これからも宿命と戦い続ける山羊座の女へ、エールを宜しくお願いします♪