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結果と過程 大切に思うことの凸凹

家に新しい古い冷蔵庫もらってきて
(1998年だって!!!)

キッチン改装計画がスタート。

こんなふうにしたらどうか
キッチン広くなればこれもできる!と
ワクワクが止まらなくなって
アレコレ二人で話したけど、

ふと気づいた。


「あれ?光は改装するのが楽しいだけで
私と一緒にやるのが楽しいわけじゃないのでは?!
めっちゃ寂しい!!!!」

と。

そこで光に聞いてみた。何が楽しいのか。

「変化するのがわかってるからそれが楽しみ」

つまり、
やっぱりそこに私はいないんじゃ?

「完成を共有できるのが楽しみ」
共有することは
とても大切なことで
それが一番大切。と言うくらいに
共有したい!という想いはあるらしい。


けど、私は
一緒に作業を進めたり
ここどうするー?と話しながら
作業したりするのが楽しくて
それを共有できるのが嬉しいんだけど!!!


やっぱり光は作業が楽しいだけで
そこに私の存在はあまり関係ないのでは?と
やっぱり寂しく思う私。


作業をひとりで進めたとしても
2人で「やったー!できたー!」と
喜び合えればそれでよくて、
むしろ、最後に一緒に喜び合えないのなら
作業全てが嫌になるらしい。

そして、
共有するのは私がいいし、
私と共有するのが楽しみなことは
間違いないらしい。


結果的に話をしてわかったのは
光は「結論、結果」が大切で
私は「過程」が大切。

お互いに、互いと共有したいし
それが幸せだけれど、
共有したいタイミングは違うみたい。


こんなことあったなあ

車の掃除も。
綺麗になったねー!お出かけ楽しみー!が
2人で言えるのであれば
1人で掃除するのも苦じゃない光。

一緒に拭きながら、ここも綺麗にしようか、
こんな物あったらいいね を話すことが楽しい私。


お出かけも
その日が楽しければそれでよくて、
どっちが事前に調べるとか、
それまでの準備とかそんなに大切じゃない光。

当日までにどれだけ、調べて
(自分も調べるし、相手が事前に
調べてくれたことに価値を感じる)
楽しみだなを積み上げられるか
が大切な私。

しそジュースも
一緒に作りたい私。
美味しいねえ!って一緒に飲めれば満足だから
せっせか1人で作り込む光。


そりゃあ、喧嘩するわな!
ぶつかるわな!
って大きくうなずける
大切なことの違い。
  



だからね、これからは。

私はよく、1人で作業する光に
「なにかやろうか?」
「一緒にやろうか?」と聞く。

でもそう聞くと光は
1人で進めるのも苦じゃないから
「大丈夫だよー」と言う。
それを聞いて私は
「1人でやりたいのか。」と解釈して
寂しく思う。

だからね、これからは…
「一緒にやりたい」と言うようにする☀︎
光もそうすると
一緒にやりたいんだなってわかるから
一緒に作業するモードになるんだって。


それから、
おでかけについてアレコレ1人で考えて
「光も考えてる?」と聞く私に
「考えてないよ」と答える光。
 えーーーー!2人のお出かけなのに
私ひとりで考えてるのー?!(꒪⌓꒪)
と落ち込む私。
でも、「考えてない」ものは
「考えてない」わけで、 
そこに悪意は存在しない。
当日楽しければそれでいい。
2人でどこか行くなら
楽しくないわけが無いから大丈夫!!!
って思ってるらしい。
(それはそれでそう考えてるのは嬉しいんだけど…)

だからね、これからは…
「この日のおでかけの、コレを考えて」と
何を考えて欲しいと思ってるのか
具体的に伝える。
そうすると光も考えたり
調べたりしようってなるんだって。



と、お互いにまた少しずつ理解して、
キッチンの作業を進められそう。
楽しみだなぁ。


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