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発達障害を抱える子は美術が苦手なのか。

前回のnoteに書いたように、私は発達支援施設で勤務をしている。他にも児童養護施設、母子支援施設、不登校生徒支援なども行っている。

仕事内容は学習支援ソーシャルスキルトレーニングであり、小学生から高校生を見ている。それに加え、自分の専門分野である美術に色々な場面で、様々領域の美術に触れられるように関わっている。

発達障害を持つ子どもの中には美術や図画工作が苦手な子が多くいる。同様に、字がきれいに書けない子が多い。(もちろん、そうじゃない子も多くいる。)

ADHD(注意欠如多動症)ASD(自閉症スペクトラム症)LD(発達性学習症)などは近年認知度も上がってきており、耳にしたことのある方が多いと思う。しかし、DCD(発達性協調運動症)は聞いたことのある方は少ないのではないだろうか。

発達性協調運動症とは?

どのような症状かを端的に書くと『不器用』という言葉になる。

「速く走る」「上手にボールを投げる」などの粗大運動(全身の運動)や「綺麗な字を書く」「枠からはみ出さないように色を塗る」などの微細運動(手先の運動)が苦手なのである。

自閉症スペクトラム症を抱える子は他の障害との併存率が高く、このDCDは63.2%の割合で自閉症と併存している。

にもかかわらず、認知度が低い理由には、やはり「運動音痴な子」「字が下手な子」「絵が苦手な子」など『不器用』という言葉によってこの症状が隠れてしまっているからであると私は考えている。

今回はこの発達性協調運動症に焦点をあて述べていく。

発達障害を抱える子は美術が苦手?

DCDを抱えている子は、うまく鉛筆や筆を使いこなすことが苦手である。つまり、「美術が苦手」であるように”思われる”。実際に通知表を見せてもらったがよくなかった。私が担当している中3の生徒をR君とする。R君はADHDの覚醒レベルが低く、DCDを併存している。自閉傾向もあり、感情の言語化がやや苦手な子である。その子美術科の成績は「1」であった。この成績を見れば確かに、「美術が苦手で嫌いなんだろうな」と思うかもしれない。
しかし、その原因に発達障害が関わっているとしたらどうだろうか。
(何をもって美術が得意、不得意かについては、話が飛躍してしまうので今回は置いておくとする。共通認識にある「得意」「不得意」で話を進める。)

R君によると、学校で「平面構成」をやってるとのことであったため、R君にipadを貸して「好きに遊んでいいよ!」と伝えた。

そこで描いた作品が以下のものである。

数枚、iPadで描き終えたあと、「美術の成績が1の子」が「美術って楽しいね。」と言ってくれた。このnoteに描くための私が作ったセリフなんかではなく。

『今までこんなにも多くの種類の色を画面に配色したことがなかったのだろうか。』

『好きな色を思ったところに思い通りに塗れたことはあったのだろうか。』

いろんな思いが回想した瞬間であった。

筆での着彩によって「塗る」ことに大きく負荷がかかり、平面構成の学びや面白さである「配色や配置によって画面の与える印象が変わる」という「自分の視点の伝達」までを考える余地がなかった。

発達障害を抱える子は不器用で美術が苦手なんかではなく、「DCDが影響する範囲内で表現する美術」が苦手であると考えている。DCDによって上手に筆を扱うことができず、円やまっすぐな線が描けなかったり、輪郭の中をはみ出さず塗ることができなかったりと、技術面においてかなり負担がかかっている。

描画材によって美術の教科性が大きくスポイルされてしまうのは本当に勿体ない。R君には「楽しい」と思った時点で美術の素質が十分にあるのだ。

また別の日、「美術ってどんな教科だと思う?」とR君に尋ねたところ「作者や作品名を覚える教科?」と答えた(愛情をもっていうのならば「答えやがった」)。『このばかたれが。』と思いながらも、その子にとっては美術で頑張れるポイントは定期テストしかなかったのだろうと推測される。

とある美術科テストの研究論文では

客観形式(再認形式:31.10%、再成形式:60.43%)が91.53%を占めている。いわゆる暗記問題というやつである。他、論述形式が4.12%、実技形式が4.36%であった。

これはDCD特性が原因で、納得のいく制作できない子にとって美術が暗記教科であると思われても仕方がない。

学校現場での現状問題、文部科学省はGIGAスクール構想を掲げているとはいえ、美術科における個別のICT機器の活用はまだまだ難しい。また、「一人だけ違うことをやる」ということもなかなかに厳しいところがある。理想論だけではやっていけいない。

私は学校教育の外から割と自由に美術を教えている立場であるので「美術科」についての経験はあまりないが、いち作家としての「美術」の経験は少しはあると思っている。そこから出た一つの答えは、『美術の表現において「やってはいけない」は無い』ということである。

私は美術を

「自分の”好き”を探求する教科」

と考えている。

「人生は好きなことが沢山あればあるほど心が豊かになり、好きなことがなかったら人生やっていけない。」という私の人生観による言葉である。

今後も、関わる全ての生徒が美術を通し、自分の「好き」を沢山見つけることができるよう、一定の常識を見直しながら、できる範囲内で工夫をしていきたい。

長くなってしまった。

これもうちの美術が”苦手”な生徒の作品である。

おしまい。

追記

日々学校教育で美術に尽力されている教員の方々に、尊敬と敬意を表します。

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