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令和は「教育」から「見励支」へ

ここ4年ほど大学教育の現場で仕事をしてみて思うことがある。
我々世代が先生や先輩に教えてもらった時代と令和の時代では、社会や環境が大きく変わってきている点だ。

昭和から平成7年の1995年あたりまではそれまでの延長線上の社会が続き、
かつての成功法則がそれなりに機能していたのも事実だ。
しかし、ウィンドウズ95発売以降のネット社会は、産業革命的に社会のありようが変化し、その真っ只中で育ってきたデジタルネイティブのZ世代は明らかに新しい人種になりつつある。

社会のありようも変わり、世代の感覚も大きく変わる中、いわゆる「ネット前世代」がZ世代に何かを教えることができるのだろうか?

体育会あるあるで笑い話のように言われる「練習中は水を飲んではダメ」の類や、体罰、しごきなど古い価値観の押しつけは百害あって一利なし。
将棋の藤井聡太くんがAIで将棋を研究しているように、テクニック・スキル分野は最新の科学的根拠に基づいて学ぶべきもので、歳とった者が「自分の成功体験」をもとに伝授すべきものではない。
教えられる部分があるとすれば、メンタル面、対人面、倫理面など人の心が関わる分野だけではないだろうか。

そう考えると、そもそも「教え育てる」という字を書く「教育」という言葉がそぐわないのかもしれない。見守り、励まし、支える 「見励支」が教育に変わる令和の関わり方だと思う。

Z世代は時に、我々が想像できないような発想をし、進化を遂げる。
それを理解できない世代は決して彼らの邪魔をしてはいけない。
相談に来た時だけ手を差し伸べるのが重要で、こちらから先回りしてお節介しない。

ともすると、誰かに教えることは人を気持ちよくさせる。先生になると自分のポジションが上がったように錯覚する。だから頼まれてもいないのに、後進にあれこれ言いたくなる。これは間違いなく老害。自分が可愛がっている人材を育てたいなら、一刻も早くその場を退場し、全権委任するのが一番だ。
そして、自分は全く違うフィールドで新たな分野を切り拓いていく。その後ろ姿が後輩たちへの間接的な教育効果につながる。

自分への戒めも込めて、同世代の方々にお願いしたい。
今の場所に居座らない。Z世代の邪魔をしない。自らは新しいフィールドに挑戦する。
それが日本を良くするための、長いようで最短の方法だと僕は思う。

楽しんでもらえる、ちょっとした生きるヒントになる、新しいスタイルを試してみる、そんな記事をこれからも書いていきたいと思っています。景色を楽しみながら歩くサポーターだい募集です!よろしくお願いします!