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人生は航海だ!コーチング航海日誌2

第51日目 ”小さな工夫が意外に大きな効果を生む。舵の角度を変えてみたり、帆の張り方を変えてみたり。何もしないよりも、何かやってみることが大事である。”

 

 ちょっとした工夫が大きな発明につながる。
 今の世の中が便利になった裏には、全てと言っていいほど“ちょっとした工夫”が隠れている。

 例えば自転車。
 歩くのを少し楽に出来たらと考えた人が、二つの車輪に座るところを付けて乗ることを見つけた。
 ただ車輪に乗るだけだと曲がれないのでハンドルが付いた。
 ある人が足で地面を蹴るのではなく、車輪を回せばいいのではと考え、車輪にペダルがついた。
 するとスピードが出てきた。
 スピードが出るとなかなか止まれないことに気づいた人が、ブレーキを発明した。
 ブレーキのおかげでスピードがより出せるということになり、チェーンとギアを使うようになった。
 より早く、より力強くと考えた人が、ギアを変えられる変速装置を発明した。
 より快適にと考える人、より早くと考える人、いろいろな使い道を考える人、そんな人たちがいろいろな自転車を作っていった。
 だから今の時代、ママチャリからマウンテンバイク、ロードレーサー、BMX、トライアル、ビーチサイクル、電動アシスト自転車などいろいろな種類ができていった。
 誰かがいきなりマウンテンバイクを発明したのではない。
 すべて「もっとこうしたら」という工夫の上で成り立っている。

 これは人の関わりにおいてもそう。
 「あの人はこうだから。」ではなく、この人と上手くいくにはどうすれば・・・・と考えることが大事である。
 とはいえ、大きく確実な変化なんてできないし、いきなり回答なんてない。
 そこに小さな工夫を加えていくことが大事である。
 ちょっと言い方変えてみよう。
 ちょっとほめてみよう。
 ちょっと反論してみよう。
 この“ちょっと”の行動が、次の“ちょっと”を生む。
 次の“ちょっと”が、また次の“ちょっと”につながるヒントとなる。
 気がつけば大きな変化となっているのである。
 恐れず、ちょっとの前進で充分なのである。
 人も物もすべて進化するものなのである。
 アマゾンの原住民だって、アフリカの種族だって進化している。
 長い年月を通して、自分たちで家を作ったり、道具を作ったり、狩りのしかたを工夫したりと進化している。

 人間1人ひとり、進化し続けている。
 だから学んだり、チャレンジしたりしているわけである。
 その根底にあるのは、楽しみたい、楽をしたい。
 楽をしたいために考えることは悪いことではないが、楽にできる状態を待っていても来ることはない。
 だから、楽をするためにちょっと工夫することが大事である。

“刻々と変わる自然の中、航海をより早くより安全にするために周りを観察し、工夫をし続けることが必要なのである。”


第52日目 ”船の上での健康維持はとても大切である。健康維持のためにも、食材選びはとても重要。クルーが病気になっていたら、いい航海はできなくなってしまうから。”


 生きるということは、まず食べるということ。
 食べるものによって、身体は出来ている。
 だから食べるものが、健康にも影響を与えることは間違いない。
 何をどう食べるかは本人の勝手ではあるが、病気になってしまうとそうは言ってられない。
 身勝手な食事で、不健康になって、病気になって・・・・・
 自分自身はある意味、自業自得といえるから、しょうがないと思えるかもしれない。
 しかし、家族はどうだろう?
 周りの人はどうだろう?
 あなたの病気によって、その人たちに苦労がかかることになる。
 暴飲暴食や偏食をしていて、身体を壊すかもとわかっていても「そのときはそのとき。」なんて思っている人も多いと思う。
 ところが実際に病気になった人はどうだろうか?
 身勝手で病気になって、あっさり死んでしまえるなら苦労はかけないかもしれないが、深い悲しみは残す。
 
 そもそも、そう簡単にあっさりと死ねることはなかなかできないものである。
 下手をすると介護が必要になったり、寝たきりになったり、食べたいものが食べられなくなったり。
 自分だけでなく、周りの人たちに苦労を与える。
 これではいい人生とは言えなくなる。

 実はちょっとの食事に対する意識を変えることで、未然に防げるものである。
 もちろん、全ての病気がというわけではない。
 感染症もあれば、先天性のものもあるし、突発性のものもあるわけだし、これらは未然に防ぐには普段以上の注意や対策が必要なのかもしれないし、防げないかもしれない。
 ただ、大半の病気は普段の食事のとり方が影響する。
 成人病のほとんどは食事が影響している。
 
 じゃぁ、何を食べればいいの?
 これを食べたら大丈夫ではなく、どれだけバランスをとるかが大事である。
 厳密に考えだしたら、かなり細かいこだわりが必要になってくるので、まずは簡単なところから。
 肉類が続いたら、野菜の日を作る。
 お酒を飲んでも、3日に一回はあける。
 揚げ物は続けて食べない。
 甘い辛いも過ぎないようする。
 などなど、出来るところからやってみるということでOK!

 僕自身、ひどいアレルギー性鼻炎を持っていた。
 耳鼻科に通うこと、18年。ちっとも良くならなかった。
 ずっとティッシュが手放せない状態だった。
 あるとき、友人の勧めでサプリメントを食べだした。
 最初は半信半疑で、栄養セミナーとかにも参加していたが、3ヶ月ほどしたときに鼻の通りがよくなっていることに気づき、鼻水があまり出なくなっていた。
 あまりの変化に自分自身が驚き、そこからビタミンやミネラルを勉強し始めた。
 鼻が通ると、とたんに食事がおいしいものになった。
 一度、鼻をつまみながら食べてみてほしい。
 味がわからなくなることを体験できると思う。
 僕はこの状態だったわけで、何を食べてもおいしくなかった。
 その後、好き嫌いは減り、いまではサプリメントに頼ることなく、普通に過ごしている。
 食事のバランスに少し気をつけているだけである。
 もちろん、僕だけでなく周りが気をつけてくれているおかげである。
 だから、周りの人々には感謝している。

 今一度、食事について考えてみて欲しいし、学んでほしい。
 知ってみて損なことなどないのだから。
 それが、自分の幸せと周りの人の幸せにつながるのだから。

“クルーのみんなが元気に健康でいるからこそ、嵐も大波も乗り切れる。まずは、健康第一。食事をしっかりとって未来に備えよう!”


第53日目 ”航海中に病気になると大変である。ある程度の薬はあるが、寝込むほどになると他のクルーに負担をかけることになる。だから、クルーは健康でいることが大事である。”


 病は気からという言葉がある。
 病気という文字自体、病と気なのでこの二つが密接であることを言っている。
 気持ちが萎えれば萎えるほど、病気を引き寄せるし、治る病気も治らない。
 友人に看護婦が多く、またクライアントも医療従事者なので、患者さんの話を聴くことは日常であった。
 病気になった人、特に生活習慣病といわれる病気になった人の多くがこう言うそうだ。
 「なんで、ぼくがこんな病気にならなあかんのや。」
 「何が悪かったんや!」
 「もっと、気をつけておけばよかった。」
 病気になった後で思うこと。これは過去について思うこと。
 そう、過去に戻ることは出来ないのである。
 生活習慣病は文字通り、生活習慣が原因でおこる病気。
 だから、生活習慣で意識することでこの病気は防げるのである。
 「なったらなったとき!大丈夫、大丈夫・・・・・」
 そう言いながら、なった後はもっと気をつけておけば・・・・と嘆く。
 だからこそ、健康のうちに「病気にはならないぞー!」という気持ちを持って、意識することが大事である。
 
 もちろん、気持ちだけでなく食生活でも意識することが必要である。
 そうすれば、「もっと気をつけておけば・・・・」と言わなくて済むわけである。

 メンタルの病気も同じである。
 過去を振り返って原因探しをして落ち込むのではなく、未来に目を向け進むぞー!という気持ちが病気を遠ざける。
 気持ちが下がると、病気は近寄ってくる。
 気持ちが上がると、病気は近寄ってこない。
 笑うことや楽しむことが人間の免疫力をあげるということは、医学的に証明されている。
 
 病気になってしまったら、気持ちが萎えてしまうのは当然のことだと思う。でも、気持ちが萎えたままだと、免疫力が下がっていく。
 治るものも治らなくなるのである。
 この先、何が出来るか、どうやって病気と向き合うかがその先に来る未来につながっていく。

 決してあきらめないこと。
 これが一番の治療の薬となる。
 心と身体は、綿密につながっているから、まずは身体を意識すること。
 そして、健康を意識すること。そして、この先どうするのかを考えること、これが病気を遠ざけることになる。

“昔、船乗りは「かっけ」という病気になりやすかった。船乗り特有の病気と言ってしまえばそれまで。なんとかしたいと思う人がいたから、今ではそれは無くなった。後々わかったことで、ビタミンB1不足からくるものだった。ビタミンB1を補う食事にしたら、その病気はなくなった。今ではもう常識となった。”


第54日目 ”海を渡るときにしてはいけないこと。それは海を汚すこと。ごみを流したり、捨てたりすることはいずれ航行の邪魔になる。環境すらも変えてしまう。自分ぐらいは大丈夫と思っても、みんながそう思えば大きなことになる。”


 昔、公害病というものがあった。
 産業での廃液や排出ガスが周辺エリアの環境を悪化させ、いろいろな病気を起こすというもの。
 まだ環境への配慮がない時代。
 おそらく有毒ガスや有毒な廃液であることは知っていたはず。
 でも、「ちょっとぐらい流しても、大丈夫だろう。」「大気はいっぱいあるんだから、ちょっとぐらいガスを排出しても問題ないだろう。」そんな気持ちがあったのかもしれない。
 別に排出ガス、廃液に限ったことではない。
 薬害訴訟の薬についても同じこと。
 ちょっとぐらいという気持ちが、大きなことへと動いてしまう。
 
 ハンガリーでアルミニウム廃液が街に流出した事故があった。
 貯水池の壁が崩壊し、街や川に流れ出たというもの。
 原因は洪水によるものと言われているが、ハンガリーの首相は人災であると判断し、アルミニウム工場の社長が逮捕された。
 この流出で、街中が赤く染まり、有毒物でいっぱいになった。
 ドナウ川や黒海への流出も懸念されている。
 そうなると、ドナウ川は何年も死の川となってしまうし、黒海にも影響がでる。
 防ぐことは出来たはず。
 まさか、こんなことは起きないだろうと思い込んでいたのだろうか?
 世界中でちょっとぐらい・・・・、まさかこれぐらいで・・・・と思う人が、数億人いるとすると、それが大事件や大事故、大惨事を起こすことになり、地球にも影響与えかねない。

 まずは自分が気をつけること。
 街を汚さない。
 ごみを減らす。
 ポイ捨てしない。
 これは最低限のこと。
 そして、それを周りの人にも伝えて一緒に気をつけること。
 その周りの人たちがそのまた周りの人たちに伝えて一緒に気をつけることで、どんどん波状に広がっていく。
 たったそれだけでも、皆が動けばムーブメントとなる。
 
 シンガポールは、ポイ捨てすると警察に逮捕され、罰金となる。
 そこまですべきかどうかは別の話だが、皆がきれいで衛生的な街に住むことができるのは間違いない。
 皆が少し気をつければ、街や環境は変わるのである。
 周りが気をつけている環境になると、「ちょっとぐらい」とか「まさかこれぐらいで」とかいったことが言い辛い環境となる。
 これからの未来に向けてエコロジーを目指す企業や産業が増えてきているが、そういった企業や産業が言っているエコロジーが本当にエコロジーかどうかは分からない。
 エコロジーがエコノミーとつながって考えられているからである。
 ただ、企業や産業がエコロジーを提唱することはいいことだと思う。
 世の中の流れとしてエコロジーに取り組むのは必然となっているのかもしれないが、少しづつでもエコロジーに対する意識が備わるからである。
 一人ひとりが、エコロジー(環境)を意識すること。
 誰かがしてくれるではなく、自分も関わっているということ。

 少しづつでもできること。
 皆がそう思うことで、未来をよくすることができるはず。
 僕も周りの人たちに伝えていこう!
 「ちょっとぐらい・・・」「まさかこれぐらい・・・・」をやめよう!
 まさにこれが「ペイ・フォワード」だから。

“世界中の船が航行しながら、ごみを集めれば海はきれいになっていくはず。近くの船や知り合いの船に伝えていこう。お互いに安全に航海したいと思っているはずだから。”


第55日目 ”航海の途中、夜の星はいろいろなことを教えてくれる。時には船の位置を、時には物語を、その星たちを眺めることで、宇宙の大きさを知り、自分の小ささを知る。”


 小さな時から、夜空を見上げて星を見るのが好きだった。
 生まれ育った神戸の下町でも、それなりに星が見えていた。
 高校を卒業して、専門学校に行くために、岐阜県に着いた。
 その夜、空を見上げた時にびっくりした。
 空気が澄んでいて、まさに星降る夜。
 それ以降、時々車のボンネットの上に乗って夜空を見ながらビールを飲んでいた。
 もともと地元の兵庫には明石の天文科学館があって、そこでよくプラネタリウムを見たが、まさにそれに匹敵するほどの星だった。
 
 星を見ながらいろいろと考えた。
 あの星はどのくらいの距離にあるのかな。
 今見てる光はいったい何年前の光なんだろう。
 太陽から来る光ですら、8.3分かかる。
 太陽以外の一番近い恒星アルファケンタウリ星は、4.2光年。
 つまり今見えているアルファ・ケンタウリ星は、4.2年前の光ということ。
 過去を見ていることになる。
 ということは、もしこの星が消滅しても、いまから4.2年後に分かるということだから、不思議な感じである。

 僕は目がいいのもあるが、星空を見続けているとだんだんと暗い星も見えてくる。
 星は、明るさによって1等星から肉眼で見える限度の7等星、それ以上の等星があるが、よく見えるときはおそらく7等星ぐらいまで見えている。
 大阪の空でも澄んでいる時は、5等星ぐらいまで見えているらしい。
 その星空を見て、星雲やスバル星団を探すのが好きなのである。
 
 僕は、この星空には人を癒す力があるのではと思う。
 星空を見ながら寂しさを感じることもあるが、何か悩んでいることがあった時もだんだん自分がちっぽけなものに感じてきて、悩みもちっぽけなものに感じ始める。
 
 以前、今までの人生の中で、とてもしんどい時期があった。
 なにもかも嫌になり始めたり、「俺の人生、こんなものか・・・」と思ったりした。
 そんな時は空を見え上げ、星を見た。
 あの星は何億年も輝いている。
 あの星の光は、何年もかかってここに届いている。
 銀河の中心から、太陽系まで2万数千光年あるそうな。
 そんな時間に比べたら、今の自分の悩む時間ってとっても短いもの。
 そもそも、人間の生きる時間って長いようで短いわけで。
 だったら、楽しんだほうがいいじゃん。
 波風もあっていいじゃん。
 うん、まだまだ楽しんでいないのだし、もっともっといい人生を築くことはできる!
 よし、自分の人生だもんな。自分で盛り上げよう!!
 そんな感じで、気持ちを盛り返していった。

 今も、夜になると必ず星を見る。
 そしていろいろと考える。
 それを 楽しむ自分がいる。
 これからもずっと星を見続けていくことになるだろう。
 自分が星になるそのときまで。

“太古の人たちにとって、星は物語だったのだろう。星につながる話は、いろいろな国にもある。これから寄る港でそんな話を聞いてみよう。そしてまた、夜空を見上げよう。するとまた、新たな物語に出会えるのかもしれないから。”


第56日目 ”船の構造を知る、自然を知ることは、操船する上において当然知っておくべきことなのである。自然を理解せず、構造理解しないということは無理をすることになり、船を壊すことにつながる。命にもつながる大切なことなのである。”


 人が作った乗り物全てが、自然と切っても切れない関係にある。
 自転車でも、車でも、飛行機でも、ボートでも、タンカーでも、ロケットでも、スペースシャトルでも同じである。
 エレベータは?
 エスカレータは?
 全て同じである。

 乗り物に影響を与える自然とは?
 雨、風、温度、湿度、波、気圧、雲、雷、雪、氷、土、砂、木、動物・・・・・
 エレベータやエスカレータだって湿度や温度によって、腐食や故障がおきる可能性がある。
 自転車だって、風が強いと風に負けない乗り方をするし、雨が降ると滑りにくいように慎重にブレーキをかける。
 飛行機は天気図と気圧を見ながら航路を決定するし、風雨によってはそれに合わせた操縦を求められる。
 船は、潮の状況をみながら、天候とにらめっこしながら、航路を決定し、操縦していく。
 人の手足の延長として乗り物は発達してきたのだから、人が自然の中で生きている以上当然のことである。
 この厳しい自然の中で動くものだから、たまに点検するのは大事なことである。
 
 人が関わることで、実は機械も元気になる。
 例えば、自転車。
 時々でも乗っているとそれほど錆びてはこないが、一ヶ月でも乗らないととたんにどこかが錆びてくる。

 家もそう。
 人が住んでいると何もしなくてもそれほど痛まないのに、人が住まなくなったとたん、草はぼうぼうに生え、壁は変色し、どこかが壊れてくる。

 人の愛情なのか、物にまで影響してくる。
 だから、自然を知り、構造を知り、人が関わる。
 これが乗り物をうまく操縦する基本なのである。

 こんな経験がある。
 僕は車が大好きで、しかももともと航空整備士を目指したこともあり、自分でメンテナンスしていた。
 特に古い車が好きで、以前にエアコンもない時代のレトロなスポーツカーに乗っていた。
 カローラ・レビンTE27
 昭和47年製の2ドアスポーツで、ツインカムエンジンでキャブレターやマフラーをいじっていた。
 大きなスポーツキャプレターを付けていたので、雨の日にはエンジンのかかりが悪く、コツいるぐらいだった。
 それはそれで、とても大好きな車だったのでよかったのだが、手がかかる車だった。
 ある事情で車を手放すことになり、売ることを決心した。
 この車を好きになってくれる人に売ることにし、引き取りに来た時のこと。
 晴天の日で、まずエンジンは普通にかかるはずなのに、なぜかその日はなかなかかからない。
 おかしいなぁと思い、ボンネットを開け、いろいろ観たが問題ない。
 何度か始動してみるとやっとかかった。
 ところが今度はアイドリングが安定しない。
 あきらかにいつもと違う。
 調整も問題ないし、なぜだかわからなかった。
 売る相手がメンテナンスの人なので、問題はなかった。
 そして、相手の方がその車にのって出て行くときに、すごくさびしくなって泣けてきた。
 娘を嫁に出す気分ってこんな感じかなって思うくらい。
 立ち会ってくれた友人が、「あの車、本当は離れたくなかったんやろか・・・」
 悲しみがこみ上げ、涙が止まらなくなった。
 それ以降、車や物に対して愛情を持って接するようになった。
 だから今までの車は、みんな調子よく走ってくれたものだった。
 とても感謝してる。
 それが、乗り物との関わりをよくする方法だと思っている。

“船自体を愛すること。これは航海を無事に行う秘訣でもある。船は航海の相棒なのだから、共に語らいながら進もう。”


第57日目 ”求め合うことばかりではなく、与え合うところから関係が築いていける。相手から奪うを考えると海賊になってしまう。お互いの安全を祈り合うことも大切である。”


 時折、近隣の国で反日運動が行われていることがある。
 おそらく一部の人たちであると思われるが、日本バッシングとして車をひっくり返したり、日本に関係するお店を襲ったり、ひどいものである。
 日本車とはいえ、それに乗っているのはおそらくその国の人であろう。
 日本の製品を売る店であったり、日本食のお店であっても、そこで働くその国の人もいたであろう。
 そこで働くその国の人には罪はないのに、働く場所を奪われることになる。
 結局のところ、同じ国の人同士で首を絞めているわけである。

 以前、中国に行ったとき、ちょうど2005年の反日運動の後であり、警戒しながらの渡航であった。
 その時のガイドさんの話を聞いて、いろいろと感じるものがあった。
 ガイドさんに、「日本バッシングがあったけど、問題ないですか?」と聞いてみた。
 すると、「あれは、学生が主体となっておきた運動で、決してみんながそう思っているわけではないですよ。」
 「中国では日本の工場がいっぱいあり、そこで働くことが出来ているわけだから、日本人に感謝している人も多いですよ。」
 「だから、公園で日本語学校をしている人が多くいて、日本語を学ぶことで仕事にありつけているのです。」
 「政府のほうが、日本との関係をうまくしたいので、デモを抑えたり、社員がデモしたら罰則を与えるなんて、会社に伝えたりしていますよ。」
 「中国人が恐れているのは、日本でも外国でもなく、政府なんですよ。<住宅地を作る>と政府が決めると100万人ぐらい平気で移動させますからね。」
 などなど、いろいろと聴かせてくれた。

 かなり前の話だから、今は少し違うかもしれないが、どこか政府の影響が仕組んでいるように感じる。
 今の世の中、インターネット上でも情報が氾濫しており、どれが真実でどれがウソかは分からない。
 本を読んでも、言うことが人によって違う。
 何が本当で、何がウソかは自分で判断するしかない。
 だからこそ、少ない情報での判断では見えないことがある。
 いっぱい本を読み、いっぱい情報得て、時には現地に行って観てくることで分かることがある。
 中国では、政府がネット上でもコントロールしている。
 だから、中国国民の大多数の人たちは、知らないのである。
 一部のお金持ちの中国の方々は、日本や他の国に行き、現場を見てきて情報を得ている。
 だから、富裕層が多数を占める沿岸都市部でのデモではなく、西安などの内陸部でのどちらかというと貧困層のエリアでの反日運動となっていたようである。
 悪いことをしたんだから、悪いことをされても当たり前なんてことはない。
 その報復のために戦争になったり、テロになったり。
 そこまで至らなかったとしても、国交によって仕事が出来ていた人たちは仕事を失ったり、お互いの国が支えあえるチャンスを逃すことになる。
 結局、お互いの痛み分けとなってしまうのである。
 半日に対して、日本も反他国となる前に、「じゃぁ、どうやって解決しようか?」と間を埋める活動が必要かもしれない。
 もちろん、相手国としっかり向き合えることが条件ではありますが。

 ユーロが、ギリシャの破綻問題をきっかけにまとまらない状況となっているが、まだお互いに向き合って話し合っている。
 東アジア、東南アジアの諸国と共に、お互いに向き合い話し合い、資源や経済、環境について協力しあう必要があると思う。

 いつか、そんな日が来てくれることを祈りあいたい。

“協力的な港に着くと、いろいろと購入するから、お互いにいい状況が出来る。非協力的な港に着くと、最低限の購入しかしないから、お互いにいい状況とはいえない。やはり、協力関係の強い港を選ぶし、そこではお金が動くものである。つまり、お互いにウィンウィンの関係となれる。”


第58日目 ”いろいろな港に寄ると、いろいろな状況に出会う。この港は、2000年の雰囲気かなぁ。この港は、1980年の雰囲気かなぁ。この港は、1960年代だなぁ。それがまた、楽しみとなる。”


 時代の変化と共に、モチベーションも変化している。
 「モチベーション3.0」という本を読んだのだが、そこに書かれていることから学んだことである。

 戦後の昭和中期から後期にかけて。いわば、高度経済成長期。
 この時代は、社会も個人も共に成長できる時代。僕らが頑張れば、会社も伸びる!社会も良くなるぞ!という時代だった。
 この時代を「モチベーション1.0」と名付けて、「よーし、頑張って僕も会社も成長するぞー!」というのがモチベーションとなっていた。

 昭和後期から、平成の始めのころ。いわば、経済停滞期。
 この時代は、社会が成熟し、個人に能力を問う時代。よく働く人には、給料をいっぱい払うけど、働かない人には出さないよ!という能力主義の時代だった。
 この時代を「モチベーション2.0」と呼び、「僕の能力を上げて成果を出せば、収入も上るぞー!」というのがモチベーションだった。

 そして、平成の始めから、今の時代。いわば、経済低迷期。
 この時代は、社会が停滞している時代。「このままじゃ会社もやばいから、働いてもらわないと困るんだ。リストラだって考えるかも?」という、社会も個人も厳しい時代である。
 この時代を、「モチベーション3.0」と呼び、個人としてもモチベーションが上らない時代だから、じゃぁどうすればということになるのだが、今いろいろ企業が取り組んでいるのが、スタッフ満足をあげるということとチームで盛り上げるということ。収入だけでなく、仕事に対する満足度がモチベーションとなる時代である。
 顧客満足度を最優先ではなく、スタッフ満足度を優先し、顧客満足度を上げていくということである。

 もちろん、これは日本の経済に対して一般的に言われていることであり、日本は全て「3.0」ということではないと思う。
 例えば、BRICsといわれる進行国(ブラジル、ロシア、インド、中国)などは、「モチベーション1.0」となるかもしれないし、日本の中でも、地方自治においては、「1.0」かもしれない。
 先進国では、「2.0」や「3.0」なのかもしれない。
 中国の状況を見ても、国民のエネルギーの高さという意味では、まさに国の成長と平行しているように感じる。
 もちろん、どちらが上でどちらかが下ということではなく、変化の過程であり、その時その時で変化していくものだと思う。
 そういったことを踏まえて、相手を見るとまた違った見え方もあると思う。
 つまり相手と関わる際に、相手のモチベーションを理解することでいい関係を作りやすい状況ができると思う。

 人と人の関係、組織と組織との関係、国と国との関係も同じである。
 今一度、相手を知りいい関係作りをするための観察をしてみるのがいいと思う。
 これは、その人だけを見ていてはわからないことであり、全体を観る必要がある。
 相手を知ること、そしていい関係を築くこと、それが次の楽しみやわくわくを作ると思う。
 それが、結果として自分のモチベーションにもつながっていく。

“僕らがその港でいい印象を残すことは、僕らの国の印象を良くすることになる。それが自分の国に対する愛情でもある。”


第59日目 ”海の上では、自信が無いというのは通用しない。それが命に関わることもあるからだ!海の男は、チャレンジすることを誇りと思っている!”


 自信がないという言葉はよく聞く言葉である。
 自信ってなんだろう?
 辞書で引くと以下のような言葉が出てきた。
 {自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。「―を失う」「―満々」}
 じゃ、自信がないというのは、「自分の能力や価値を信じない」「自分の考えや行動が正しいと信じない」ということ?
 
 僕は、自信とは文字通り、自分を信じることだと思う。
 できるかどうかという時に、自分自身を信じられないと何も出来なくなってしまう。
 だからといって、僕は必ず出来る!と言えるものはそうあるものではない。
 だから自信をもつというのは、チャレンジすることを言うんだと思う。
完璧に出来るなんて世の中にありえない。

 人間とは、アナログなんだからミスしたり、うまくいかなかったりするから“人間らしさ”なんて言ったりする。
 それでも軌道修正しながら、“出来た!”に持っていく。
 それが人間である。

 したことがないから自信がない。知らないから自信がない。
 それは言い訳にすぎない。
 したことが無いからこそ、やってみる。
 知らなかったら、学べばいいし、やりながらでも学べる。
 つまりは、できるかどうかを悩むなら、やってみて反省することがいいわけである。

 成功するということは、「失敗しない」ではなく反省を繰り返して積み上げていくものである。
 だからこそ、まず一歩!踏み出すところから全ては始まる。

“1人だけのチャレンジではなく、皆でチャレンジすることもあり。1人で航海しているわけではないのだから、みんなでやればいい!”

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第60日目 ”風に乗ると、船も順調に走る。でも、風自体はどこをどう吹いているかはわからない。風を読むためには、波を読み、潮を読み、雲を読む。広い視野で見ることで、風を掴むことができる。”


 以前、羽田の国際線の開港で、盛り上がっていたことがあった。
 ハブ空港化ということで、今後景気に対しても期待されていたのである。
 時折、韓国の仁川国際空港と比較されているが、便数であったり、路線数であったりと空港の話がメインとなる。
 しかし、ライバルのアジア最大級のハブ空港である仁川国際空港の凄さは、それだけじゃなかった。
 ペンタポートシティを目指す仁川というエリア自体がすごい地域となっていたのである。

 ペンタポート=5つの機能をもつ港。
1:国際空港(エアポート)、単なる国際空港ではなく、ハブ空港としての機能を持つ。
2:国際港(シーポート)、貨物の取り扱いやハブとしての港の機能を持つ。
3:ビジネス(ビジネスポート)、東アジアのビジネス中継点としての機能を持つ。
4:通信(テレポート)、情報発信や中継点としての機能を持つ。
5:レジャー(レジャーポート)、娯楽やリゾートとしての機能を持つ。

 これらの機能を持つことで、ビジネスからレジャーまで幅広く人を集める地域となる。
 仁川は、このペンタポートを目指して計画されていた。 
 フジロック・フェスティバルのようなロックイベント、「仁川ペンタポート・ロックフェスティバル」も開催されたぐらい、韓国は力を入れていた。
 もちろん、その後の韓国の経済状況は決していいものではないし、仁川も計画通りとは行っていないのが実情ではある。

 この“ペンタポート”は、世界中でも注目されていてドバイがすでにその機能を持っているし、シンガポールもペンタポートをさらに発展させようと動いている。
 ハブ空港化での機能だけでなく、もっと広い視野での機能をもつことが本当のハブ化につながるのではと思う。
 羽田がそこまで目指すのか、だとするとまだまだ課題がいっぱいである。
 空港単体の情報だけでは見えないことだが、周辺エリアを含めた視野を持つことで見えてくることがいっぱいある。
 これは日本経済や世界経済にも言えること。
 日本の経済事情でも、いろいろな視野を持つことで全体が見えてくる。
 世界も同じで、ニュースで伝えていること以外のところにいろいろな情報があるのである。
 知っていることだけで判断するのではなく、もっといろいろと知ることで判断の幅は広がる。
 よりよい判断にするために、貪欲に情報を探し、得ることが大事である。

“航海中も世界は動いている。だからこそ、港や他の船から情報を得ることは大事である。それが、より正しい決断につながるのだから。”


第61日目 ”初めて大海に漕ぎ出した人は、とても勇気のいる行為だっただろう。初めて大空を飛ぼうとする事だって勇気のいる行為だっただろう。だが、初めてチャレンジする勇気に大きいも小さいもない。すべて、冒険者となるのである。”



 一歩踏み出すことは、とても勇気のいることである。
 踏み出してしまえば、二歩目は少しの勇気でいける。
 そして、三歩目はさらに少しの勇気となる。
 その後はどんどん進めるものである。
 
 では、最初の一歩がなかなか踏み出せないのはなぜだろう?
 人の潜在意識は、無意識に安定したいと望むらしい。
 だから、一歩踏み出す前に、「しないほうが楽かも?」「今のままでいいんじゃない?」と潜在意識が働き始める。
 すると楽なほうを選ぼうとしてしまう。
 つまり、一歩踏み出すためには、この潜在意識を超える想いが必要となる。
 場合によっては、気合を入れたり、誰かに背中を押してもらったり。
 すると一歩踏み出せる。
 自分のブレーキを外すことが出来るのである。

 潜在意識というのは、実にやっかいなもの。
 これが金持ちは金持ちであり続け、貧乏は貧乏であり続ける要因となる。
 もちろん全てが潜在意識のせいというわけではないが、現状維持であり続けようと働くのである。
 お金持ちがお金持ちであり続けるのは、潜在意識が今の状態を維持しようと働き、貧乏な人が貧乏から抜けようと思っても、一歩の勇気を持って行動しないことには潜在意識がブレーキをかけてしまう。
 
 だから、この潜在意識を超える勇気を持つこと。
 えーい!と、一歩踏み出すこと。
 でもなぁ~と、する前に悩むのではなく、前に出ること。
 これが、成功や夢への道を作ることになる。
 未来を作ることになる。

“試せそうなことがあったら、試してみること。これが、うまくいかなかったとしても、次のヒントを手に出来る。海の上では、出来ることをしてみる他には無いのだから。”


第62日目 ”海の上では不思議なことはたくさんある。波はなぜ起こる?潮の流れはなぜ起こる?調べてみることで、知識が増え航海を安全で豊かなものに出来る。”



 世の中、気づきにくいけど不思議なことはたくさんある。

 自転車の不思議。
 スピードを上げると両手を離してもまっすぐ走るし、体重移動でも曲がることができるのに、スピードが落ちると途端にバランスが取り辛くなるのはなぜ?

 ヘリコプターの不思議。
 前に進むためのプロペラは付いてないのに、なんで前に進むの?
 
 飛行機の不思議。
 何百トンもする金属の塊が、なぜ空を飛べるの?
 飛行機の後ろに、飛行機雲が出来るのはなぜ?
 
 人工衛星の不思議。
 なんで、ずっと浮いていられるの?
 なんで、地球の周りをグルグルと回れるの?

 当然のようにあるものだけど、不思議でしょうがなくなり、調べたくなるのが僕の性分である。

 子供のころから、なぜ?なぜ?という好奇心の塊だった。
 だから、分からない、知らないことがあると興味がわいて、調べたくなる。
 では、上のなぜに答えていこう。

 自転車。
 「早くまわるコマは倒れない」ということ同じで、車輪がコマの役割を果たしている。
 だから、早く車輪が回ればコマが倒れないのと同じ様に、安定してくる。
 だから、手放しでも乗れてしまうのである。


 ヘリコプター。
 これもコマの原理であり、グルグルまわるコマは安定しようとする。つまり、ローター(プロペラのようなもの)がコマと同じである。
 このローターを前に傾けると、安定しようと前の方向に力が働き、ヘリコプター自体は前に進む。
 皆さんも手の上に傘を立てて、バランスとったことがあると思う。
 その傘が前に倒れそうになると、自然に手を前に出してバランスを取ろうとする。
 これと同じ原理である。

 飛行機。
 空気の力は風速が早くなれば早くなるほど、力が強くなる。
 台風の風に飛ばされそうになったりするのと同じ。
 エンジンの力で前に進み、風を受けることで、羽根に力がかかり、その力を羽根の形状で上に向かうようにすることで、何百トンもする機体が浮き上がる。
 飛行機雲が出来るのは、ジェットエンジンから噴出した熱いガスが気温の低い高い空の上で、急激に冷やされることで水蒸気が発生するからである。
 
 人口衛星。
 実は、人口衛星は落ち続けている。
 どういうことと思うだろうが、地球の重力に引っ張られて落ちて続けているのである。
 でも、円状に動くものには遠心力がかかる。
 つまり重力に引っ張られて落ちようとするところに遠心力がかかり、ちょうどいいバランスで浮いていられるのである。
だから落ちもせず、地球の周りを安定してグルグル回れるのである。(実際には、少しづつ落ちていたりするらしいが)

 知ってしまえば、「なーんだ、そんなことだったのか!」と思うかもしれない。
 だが、気づかなければずっと気づかず、知識にならないのである。
 身近なものに不思議があるか、一度考えてみるのもいいかもしれない。

“いろいろな技術は、なぜと思うところから出来上がる。航海術や羅針盤、六分儀もみな同じ。「なぜ?」に好奇心を持つことが、自分の知識を深めることになる。更なる技術を生むことになる。”


第63日目 ”情報を仕入れることは、航海をする上で大事なことである。しかし、その情報を仕入れても使えなければ意味がない。使うということを前提に仕入れることが大事である。”



 龍馬は、影響を受けた人たちの考えを元に、これからの日本を考えながら、明治政府の基本八策となるこの「船中ハ策」を作り上げたといわれている。
 その龍馬に影響を与えた人たちの存在と出会いが、船中ハ策につながったのは間違いないだろう。
 人はやはり出会いなのである。

 龍馬が出会うために実践していたこと、それは四の五の言わずに会いにいくこと。
 出会ったときに、相手の話を聴き、自分の意見もしっかりと伝え、学ぶところはしっかりと学び、それを他の人にしっかりと伝えていた。

 そして大事なこと。
 インプットとアウトプットをしっかりと使っていたのである。
 特にこのアウトプットが、非常に大事である。
 学生の学習と社会人の学習とで、一番の違いはここにある。
 学生時代の学習は、覚えること。
 つまり、インプットが一番になってる。
 もちろん、そうでない人もいるとは思うが、大方の学生はこれになる。
 試験のために覚える。入試のために覚える。入社試験のために覚える。
 すべて、インプットである。
 覚えいることをテストで書いているから、アウトプットになっているのでは?と思う人もいるかもしれないが、それは覚えたことをただ出しているだけなので、知識として活用する、つまり“使う”というアウトプットではないし、インプット出来たかどうかの確認でしかない。
 
 ところが、社会に出て学習することは、社会においてその学んだことを使うというのが前提である。
 つまり、アウトプットのためのインプットするのである。

 なぜ、学生の学習はインプットのままなのか?
 それは、未来に使う知識としての意識がないからだと思う。

 龍馬は、これからの日本が良くなるために必要な情報を探し、学んでいった。
 そして、学んだことを人に伝え、知識を使うことで時代を変えていった。
 アウトプットを前提としたインプットを行っていたのである。

 こんな話がある。
 ある小学生の女の子はとても勉強が出来た。
 他の子のお母さんたちが、その子のお母さんに聞いた。
 「お宅のお子さんは、どんな勉強をしているの?どんな塾に入れているの?」
 塾には入ってなかったし、特別な勉強をしていたわけではなかった。
 何が違うのか?
 その子のお母さんは、小さい時に学校に行けなかった。
 だから、学が無いことにコンプレックスを感じていた。
 娘に「〇〇ちゃんは、学校で勉強できていいねー!私は「女の子は学校なんか行かなくていい!と育てられたから・・・・他のお母さんとおしゃべりするのも恥ずかしいぐらいだもの・・・・」
 するとその女の子は、お母さんが恥ずかしい思いをしていると思うと、お母さんにこう言った。
 「お母さん、これから私がお母さんに教えてあげる。そしたら恥ずかしくならないでいいもんね!」
 その後、その子はお母さんに伝えるという目的を持って学校で勉強した。
 するとどんどん勉強ができるようになっていった。
 つまり、お母さんに伝えるというアウトプットをしっかりと持っていた。
 未来を見つめ、どう学んだ知識を使うのかを考えることができれば、自然とインプットできるし、アウトプットにつながるのである。

“経験豊かな海の男は、知識が豊富なだけでなく、使うことが出来る。だからこそ、航海の先を考えることが出来る。安全な航海をすることが出来るのである。”


第64日目 ”海の男だって、病気になるかもしれない。だからこそ、普段から健康を意識することは大事なのである。船を下りたくないからこそ、健康を意識するのである。”



 年齢的に中年だからだろうか、周りに人たちに病気が見つかることが多くなってきた。

 がん。
 別名、新生物。
 つまり、体の中に生まれた自分の細胞の突然変異。

 これは、誰にでも発生しているらしい。
 普段は、がん細胞の周りの正常な細胞ががん細胞を抑えてしまい、増殖をさせなくさせているから発症にいたらないのだそうな。
 だから、がんになるということは、正常な細胞が弱っているということ。
 弱る要因はいろいろとある。
 低体温、低酸素、暴飲暴食、運動不足、心理的ストレスや身体的ストレス。
 普段から健康を意識していることで、正常な細胞を元気にさせてがん細胞を抑えることは不可能ではない。
 もちろん増殖していまうと、薬や療法を用いて治療をする必要も出てくる。
 だからこそ、早期発見、早期対応が大事なことなのである。
 「今問題ないから、俺は大丈夫。なったらなったとき。」そう言いながら、気が付けばどうしようも無い状況になる。
 自分ひとりなら、しょうがないといえるだろうが、家族がいれば負担をかけることになる。
 だからこそ、体の健康と心の健康の両方を常に意識することが大事なのである。

 体の健康は、食と運動。
 体温が1℃下がると免疫力は30%低下するらしい。
 逆に体温を上げると、免疫力は500%、つまり5倍以上に上がるらしい。
 体温を上げるには、食べ物を意識することと運動して筋肉を強くすること。
 炭水化物を多く取ると、体内で糖質に変わり、この糖質は筋肉や脳のエネルギーとなる。
 緑黄色野菜や魚や貝などビタミン、ミネラルを意識することで、バランスを整える。

 運動して、筋肉を使うことでエネルギー消費量がアップすると、より筋肉を強くするために太くなる。
 太るわけでなく、筋肉繊維の一本一本を太くするのである。
 運動をすると酸素の消費も増えるし、心もスッキリしてくるし、一石多鳥である。
 すると、体温が上がってくる。

 心の健康は、普段から意識して考え方を変えてみる。
 どう変えるのか。
 ネガティブな言葉をポジティブ変換する!これだけでも大きく変わる。
 「あなたの〇〇が駄目なんよ。」
 これは批判であり、相手のことを想って言っていると思うが、実は自分にも返ってきている。
 自分の心にも影響を与えてしまう。
 「△△が出来たらいいと思うんやけど。」
 たったこれだけでも、心の健康につながる。
 これをしちゃダメ!ではなく、こうすればいいよ!
 誰かを批判するのではなく、認めてあげてより良い改善を探す。
 「しなきゃならない」ではなく、「すればいい」
 何が悪かったのか?ではなく、何がこれからはいいのか?
 体を健康にし、心を健康にしていくことで、がんにも対応できる。
 「悲しい」、「つらい」から、「嬉しい」、「楽しい」へ!
 過去から未来へ!
 その想いが、奇跡を呼ぶのだと思う。

“クルー同士で楽しむことで、より内容の濃い航海の旅となる。お互いに批判し合えば、辛く内容の薄い航海の旅となる。できれば、内容の濃い航海をしたいと思うのは当然なことである。”


第65日目 ”航海の途中には、いろいろな国がある。自己中心的な国もあれば、隣といがみ合っている国もある。そんな国にはあまり寄りたいとは思わないから、その国も損をしているのだと思う。”



 がんについて書いていると気づいたことがあった。
 それは、今の中国の政府も同じだなということ。
 中国各地で起きているデモである。
 中国政府がちょっと気を許したことで、どんどんデモが膨らんでいる。
 そのデモが自国以外に向いているだけなら、中国政府も見て見ぬフリだろうが、デモに加わっているのは蟻族と言われる就職浪人や低所得労働者の若者が多数なので、政府への不満に矛先が向き始めるのではと懸念しているのである。
 それで警察や軍隊まで動いて、デモの抑制をしているらしい。
 あるニュースでも言っていたが、中国では情報統制されているので、大学生たちのほとんどは天安門の事件を知らないらしい。
 デモをしている学生たちは、過去に学んでいないわけだから、二度目の天安門事件が起こる可能性もある。
 それを政府は恐れているようである。
 
 日本だって人ごとではない。
 どんどん円高になっている状況だし、健康保険料の値上げが言われている。サラリーマンで場合によっては10万円近くの増量になるかもしれない。
 国民の負担がどんどん増えるのである。
 今の円高自体も、世界の投資家がドルやポンドに興味が持てない状況だから、円に投資しているという状況で円の価値が上がっているだけ。
 つまり一時しのぎの先に過ぎない。

 世界の流通通貨は、ドル・ポンド・ユーロ・円であるが、この通貨の国々が力を弱めている現在、他の通貨が流通通貨になりえる可能性はある。
 
 今までの貿易は、ドルが機軸通貨として扱われており、ドルをベースにして取引し、それぞれの通貨に交換されていた。
 ところが、インドシナ半島のタイやラオスといった国々が、中国との取引にドルを介さず、直接に元とそれぞれの通貨で取引されてきている。
 今のところ、元は中国と許された国のみで買うことが出来るが、広く世界で買えるようになると、ドルや円の力はどんどん小さくなる可能性は少なくない。
 つまり、ドル安円安元高なんてことが起きるかもしれない。
 今の円高から、極端に円安になった場合の反動は、想像を絶するレベルかもしれない。
 ハイパーインフレなんてことも、ありえる話になってくる。
 そうなると、円の価値は下がり、国民の大多数は強烈な痛みを伴うことになる。
 日本政府もそれを懸念していると思うが、政府次第では日本でもデモが起こるかもしれない。
 日本は情報統制まではされていないから、我々国民は“対岸の火事”と思わずに自国に当てはめて考える必要があるかもしれない。
 世界に目を向け、金融鎖国、個人鎖国ではなく、大きくアンテナを張っていきたいと思う。

“いまだ内戦や戦争をしている国々はたくさんある。知らずに港に寄ることは、危険に飛び込むようなもの。しっかりと世界に目を向け、情報を集めることは、自分の身を守ることにつながる。”


第66日目 ”船の航法装置もハイテク化している。コンピュータ化されている。ただし、それだけに頼ることはとても危険である。使うのは人間なのだから。”




 コンピュータの活用は今の時代、必須となっている。
 
 僕は、高校時代に友人の影響で、パソコンを始めた。
 まだ、マイコンというのか、パソコンというのかという時代で、友達はシャープのMZ-2000、僕はNECのPC-8801というパソコンを使っていた。
 今から40年近く前の話である。
 当時は、カラーであることすら凄いことであり、データはカセットテープで読んでいた。
 カセットを入れると、「びー♪ぶー♪ひゅるるぴー♪・・・」なんて音がして、データを読むのに20分から30分ぐらいかかっていた。 
 まだ、ファミコンすらなかった時代である。

 その後、コンピュータに触れない日々が数年続いた。
 次に触れたのが、就職、転職して営業の仕事を始めたころである。
 事務所には、経理用のオフィスコンピュータしかない時代。
 見積もりも、伝票も全て手書きの時代である。
 義理の兄貴のすすめもあって、エプソンのラップトップパソコンPC-286SEを買った。
 白黒の液晶がついたノートPCが出る前の持ち運びが出来るPC。
 インターネットはまだなく、パソコン通信が始まったころで、一般庶民では、とても出来ない時代だった。
 主に見積もりや書類をワープロで作っていた。

 そして今から1990年代後半の頃、インターネットの普及とともに、僕も自作パソコンを使い始めた。
 どんどん進化するネット環境から、情報を得ることがどんどん簡単になっていった。
 気が付けば、パソコンを使うのは当たり前の時代になり、“電子メール”という言葉も、いつしか“メール”とまとめられ、今では携帯でメールが出来る時代となった。
 もっと簡単にネット環境を使えるように、iponeやipad、アンドロイドなどが発表されてきた。スマホが一般化された時代である。
 
 ネットの世界の中でも、進化が止まらない。
 メールでのやり取りは当然、手軽にホームページやブログ・メルマガなどを始められ、画像やデータの共有もネット世界の中に置いておける。
 クラウドコンピューティング、ツィッター、フェースブックと、どんどん変っていく。
 ネットの中という仮想の世界での変化が、逆に現実世界の変化につながっている。
 ネット上で本が買えたり、音楽が聴けたりするし、コマーシャルなどのマーケティングも、ネットを活用して行われている。
 政治の世界ですら、インターネットの活用がされている。
 トランプ大統領がツィッターを活用したのは、有名な話である。
 すごい時代である。

 ただ、情報が簡単に手に入るがゆえ、さらに調べるとか、考えるといった意欲が薄れているような気がする。
 悪い人は、ここに付け入る。
 ネットの情報を信じてしまう人に対して、騙す仕組みを作っているのだ。
 情報が簡単に入ってくるからといっても、それが全て真実ではない。
 ネット上に出てくる情報というのは、皆に公表できる情報であり、深い内容ほど表には出てこない。
 では、この時代に深い情報を得るためにはどうするのか?
 それは、ネット上だけでなく、現実世界で人に出会い、つながりを作って情報を得ることが大事である。
 僕自身が、出会いからいろいろな情報を得て、確認することでより深い情報を得られるようになった。
 やはり、ネットを活用するが頼らず、人と人との出会いが大事であると思う。

“ハイテクはあくまでも、人間のサポートだと認識しよう。一番は、人間の感覚である。海の上では、数字やデータでは計り知れないものが沢山ある。だからこそ、人間の知識や感覚が大事なことである。”


第67日目 ”航海をしていると、いろいろな出会いがある。思いがけない人と出会うこともある。やはり動くことが出会いを増やし、人生を豊かにするのだと実感する。”


 出会いは、向こうからやってくるものではない。
 いつか、誰かが会いに来てくれる・・・・・
 そんなことは、ほとんど無いのである。
 だって、出向くことや自分から発信しなければ、あなた自身の存在に気づいてはくれないのだから。
 
 いろいろな人に会いに行くこと。
 自分という存在を、発信していくこと。
 これが、出会いを増やすことにつながる。
 
 出会いが増えれば、どんどんつながりが増えていくと思うのだが、つながりにならない人たちもいる。
 それは、会う目的。
例えば、勧誘目的で会って、断られたら次の人に行って、前の人を忘れてしまう。
 これじゃ、相手に利益を求めているわけで、つながりにはならない。
 知り合いや仲間を増やすことが、人生を豊かにすると思う僕からみれば、「もったいない」。
 勧誘することは、決して悪いことではないと思う。
 いい情報だから伝えたいという思いもあるだろうし、相手にプラスになるものだから誘いたいというのもあるからだ。
 ただ、断られたから「はい、お終い」じゃ、「それが狙いだったのか・・・・」と、幻滅してしまう。
 
 相手が会うというのは、少なからずあなたに会いたいと思ったからだと思う。
 だから、それでお終いじゃ、なーんだ!になってしまう。
 裏切られた気持ちである。
 もちろん、全ての人がつながり合えるかどうかは、わからない。
 相性もあるだろうし、個性がぶつかりあうこともあるだろうから。

 ただ言えることは、「会ってみないとわからない。」。
 
 友達はいらない。
 知り合いもいらない。
 そういう人もいるかもしれない。
 しかし、それは人生を豊かに出来るチャンスを放棄していることになると思う。
 豊かな人生を望んでいないのならば、それまでだが。
 少しでも、豊かな人生を送りたいと思うのならば、出会いを増やすこと。
 どんどん、いろいろな人に会いにいくこと。
 特に、自分と違う世界の人に会うことは、刺激にもなり、意外とそこから自分の夢につながったりするものである。
 僕も、どんどん人に会って、人脈図を真っ黒にしていきたいと思う。

“いい仲間がたくさんいると、航海が豊かになる。食料を交換したり、次の港の情報を得られたり。港ごとに知り合いがいると、寄ることが楽しみになる。一旅ごとに、深みが出る。”


第68日目 ”向かい風の方向に船を進めるのは、とても大変である。風を読みながら、クルーはせわしなくロープの調整を行う。向かい風に向かって進むことは、海の男の技術と知識と行動を試せる時!これをこなすことで、自信につながるのである。”



 ヨットは、風に向かっては進めないもの。

 意外と知らない方、多いと思う。
 大きな帆に風を受けて進むことは、観ていても分かる。
 追い風、つまり後ろからの風だと、帆に風を受け止めることで前に進むのはわかると思うが、向かい風だとどうやって進んでいるのか、分からない方は多いと思う。
 つまり、前からの風は、帆で受け止めることは出来ないからだ。

 じゃぁ、どうやって風に向かって進むのか?
 実は、ヨットは風を横に受け流しながら、風に対して斜めに進んでいるのだ。
 これは、空に浮かぶ凧を観ると分かる。
 凧は、風を下に受け流すから上へ上へと空高く、上っていく。
 これと同じように、帆に風を当て、横へと受け流すことで、斜めの前の方向に進んでいく。
 でも、このままだと斜め前にしか行けないから、帆を反対側に向けて逆の斜め前へと進行方向を変える。
 大きく方向変換をするのだ。
 これを、「タック」という。
 よくヨットを見ていると、せわしなく帆を動かして向きを変えるシーンがある。
これは、そのタックをしているのである。
 つまり、風に向かって進むには、タックを繰り返しながらギザギザに進んでいるのである。
 だから、常に風を読みながら、風の方向が変わったり、潮の流れにあわせて、帆の向きを変えたり、風を受けとめる帆に変えたりしているのである。

 人生も、同じだと思う。
 正面からの向かい風を受け止めると前には進めないが、前を見据えて風を受け流しながら、時には方向転換をしながら、前に進む。
 人生の中にも、タックを繰り返すことが必要なのである。
 もちろん、追い風に乗るときにも、しっかりと風を受け止める帆に換えて、乗っていく。
 ただし、いつ追い風でなくなるかということを意識して、次の帆を準備しておくことが大切である。
 人生も、ヨットも、風をしっかり読むということが、大事なのである。

“船長の重要な仕事は、風を読むことである。風を読み違えることは、航行する距離にも影響がでるし、時間にも影響が出る。つまりは、クルーを疲れさせることにもつながる。リーダーである船長は、一番いい航行を目指し、クルーに指示を出すことが先決である。”


第69日目 ”今の航路を安全に進めるのは、チャレンジして開拓した人たちがいるからである。この先人たちに敬意を払いながら、自分達も後人のためのチャレンジャーでありつづけよう。それが、未来につながっていくものになるのだから。”



 今は出来ないことだから、夢に見る。
 普通はそこで止まるのだが、世に言う成功者の方々はその夢に見たことを目指す。
 だって、今は出来なくても、未来はわからないことだから。

 開拓者たち、冒険者たち、成功者たち。
 彼らは一言で言うと、「チャレンジャー」である。
 挑戦し続けている。
 かといって、特別な人たちというわけではない。
 人より、少し挑戦しているのである。
 大きなチャレンジが目に付くので、そればかりがピックアップされるが、ほとんどの方は小さな積み重ねが大きなチャレンジにつながっているのである。

 一歩出ること。
 これも、りっぱなチャレンジである。
 わからない。知らない。だから、一歩でない。
 そうではなく、一歩進むことで、わかることや知ることが出てくるのである。
 
 人は、だれも怖がりなもの。
 だから足踏みをするのは、当然のこと。
 一歩踏み出すことは、とても大変なことなのである。
 一歩踏み出すことを、“勇気”というのだと思う。
 一歩踏み出すためには、自分を信じること。
 出来たかどうかの評価を恐れないこと。
 出来なかったとしても、それは今の自分の姿であり、受け入れることが大事である。

 完璧な人など、どこにもいないのである。
 人から見て完璧だと思っても、自分では満足していないことは多々ある。
 ただ、そこで“何が足りないのか”と考えるのではなく、“何を足せばいいのか”と考えることが、更なる成長、チャレンジにつながるのである。
 まさに、一歩踏み出すことは、人生を積み上げていくことになる。
 今が“足りない”という引き算から考えるのではなく、今は今で“足していく”という考えが一歩につながるのである。

“船長も、反省する。しかし、それが経験にプラスになることを知っている。「自分はダメだ。」と思った段階で、船長を続けられない。次の船長を育てることにもならない。船長としてのプライドが、クルーを守ることにつながることを知っているから。”

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第70日目 ”人生の航海といえども、一人で進むだけでは生きていけない。仲間はもちろんだがビジネスもあるからこそ、生きていけるのである。”



“営業”

 これは、どんな仕事であれ、必要な知識であり、スキルだと思う。
 世界の成功者のほとんどが、営業を経験している人たち、もしくは営業を学んだ人たちだという。
 「僕は技術者だから、必要ない。」
 「農業だから、関係ない。」
 いえいえ、技術も、農業も、買って貰えなければ商売にならない。
 お客様がいるからこそ、商売になる。
 技術者であれ、お客様を意識せずにいい商品を作ること、技術を活かすことは出来ないのである。
 だからこそ、大小を問わず、どんな会社やお店でもマーケティング(市場を把握し、戦略を立てる)を考えることは、重要なことである。
 そこに、お客様と接点を持つ、営業という仕事の役割があり、経営に関わる「お金をいただく」という大切な仕事なのである。

 日本においては、営業と聞くと、
 「口がうまい」
 「口八丁で騙す」
 「きつい仕事」
 「難しい仕事」

 自分の子が「企画の仕事をする。」「事務の仕事をする。」というと、それほど大きな反応はないが、「営業の仕事をする。」というと、ほとんどの親は「えー!大変な仕事だよ。大丈夫?」と心配するのではないだろうか。
 ところが世界において営業マンという仕事は、実はとても認められた仕事なのである。

 以前、医療機器の営業をしていた時の話。
 担当病院の先生と一緒に、お隣の国の中国の病院を視察のために訪問した。
 現地の外資系医療材料の会社の営業マンがサポートに付いてくれたのだが、名刺を見てびっくりした。
 彼の名刺には、「Dr」と書いてあった。
 つまり、医者なのである。
 なぜ、営業をしているのかと聞くと、「営業の仕事は、中国では医者と同じ地位であり、給料がいいんですよ。」
 日本の感覚では、理解しにくいことである。
 同行したアメリカ人にも聞いてみたら、アメリカでも営業の地位は高いですよと返ってきた。
 それ以降、営業という仕事への誇りが、より強いものになった。
 
 営業の基本は、人間関係であり、信頼関係である。
 コミュニケーションの基本があり、社会で生きる人間にとって大事なものがいっぱい詰まっているのである。

 では、営業とはどんな仕事か?
 それについては、次に語るとしよう・・・・・


第71日目 “今の人生の航海のベースには、営業で学んだことが沢山、活かせている。回りの船にも、この営業の話を伝えていこう。それが、航海を成功させる人たちを増やすことになるのだから。それが、僕のミッションだと思うから。”




 “営業”とは、どんな仕事か?
 よく言われるのは、「売る仕事」
 実は、ここから違うと僕は思う。

 「売る仕事」ではなく、「買ってもらう仕事」

 ここで、販売と営業の違いについて、考えてみよう。
 販売とは、簡単に言うと「どうぞ、売ってますよ!買いに来てください!」
 お店などで、買いに来たお客様に売る人をいう。
 ただ、レジを打つだけのコンビニの店員さんは、“販売”をしている。
 自動で販売しているから、自動販売機というものもある。
 
 では、営業との違いは何か?
 営業とは、簡単に言うと「この様なものがありますよ。買いませんか?」
 相手に対して、提案をし、買っていただくことが営業の仕事である。
 「欲しい!必要!」と思うことをニーズと表現されるが、このニーズには見えるもの(顕在的ニーズ)と見えないもの(潜在的ニーズ)がある。
 営業とは、この見えるニーズだけでなく、見えないニーズを提案や相談から見つけ出し、買っていただくということが仕事になるのである。
 販売員の方の名誉もあるので補足させていただくが、販売の方もお客様に「この商品が買いどきですよ!」とか「この食材が旬ですよ!」とか提案している場合は、営業をしていることになる。
 
 買っていただくためには、相手が欲しいと思う提案が必要である。
 何が欲しいのか、それを探ることが、必要があるのである。
 一方的に話して、提案すればいいというものではない。
 「営業=口がうまい」と勘違いされるが、実は売り上げを上げ続けられる営業マンは、聴き上手なのである。
 もちろん、相手の中に隠れている「欲しい」を見つけるためには、知識も必要だし、相手を観察することも必要である。
 信頼関係がなければ相手も話してくれないわけなので、まずは信頼関係を築く必要もある。
 
 営業を知ることは、人間関係を築く方法を知ること。
 相手を観察する力を付けること。
 相手の背景を知ること。
 社会や現状を学ぶこと。
 これらは全て、経営に関わることでもある。
 だから、経営者は営業を学ぶ必要があるのである。

 僕は、営業を20年間仕事として勤務してきた。
 その間で学んだことが、今の自分のベースとなっている。
 だから、営業という仕事に誇りを持ち、営業という仕事の地位向上に努めていきたい。
 営業という仕事に興味を持っていただけるように、“営業”をしていきたいと思う。


第72日目 ”いくら経験があるからといって、それだけに頼ることは自分を小さくすることになる。海の上でも、学べることはたくさんある。後輩のクルーであっても、学ぶことは沢山ある。それが、自分を大きくさせるのである。”




 学ぶことは、憶えることではない。
 学ぶことは、その後に使えるようになることである。
 
 学びの語源は、“真似る”からきていると言われる。
 真似るというのは、相手を真似て行動するということ。
 つまり、憶えたことを使うことである。
 だから、学び=憶えるではなく、学び=使うなのである。
 別の言葉でいうと、インプットとアウトプット。

 学校の先生には申し訳ないが、今の教育はインプットを求めているように感じる。
 よく新入社員に対して聴いていた質問がある。
 「学生の勉強と社会人の勉強の違いってわかる?」
 もちろん、経験のほとんど無い彼らに答えろというのは酷かもしれないが、とても大事なことだと思う。
 
 学生の勉強は、次のステップのためのインプットをする勉強。
 社会人の勉強は、仕事で使う=アウトプットのための勉強。
 使うを求められるのである。
 だから、「憶えました!」ではなく、「使えます!」を求められる。
 
 子供のころから、アウトプットを意識した教育であれば、使える知識になるのだと思う。
 僕もある意味、教育者とも言えるのだが、社員研修等で話せるのは、経験していることである。
 つまり、自分自身が使ってきた知識や使うために学んだことなのである。

 そう考えると、日本の教育に対して思うことがある。
 学校の先生という職業も、社会を経験してからなるべきではないだろうか?
 これから、社会に出て行く子供や若者を育てるわけなのに、なぜその経験がほとんど無い先生が教えているのだろうか?
 経験があれば、今勉強していることが、どう人生に活きてくるのかという話ができるのではと思う。
 テストのための授業。
 次にいい学校に行くための勉強。
 いい大学に行くための学習。
 いい会社に入るための学び。
 
 いい会社に入るといい人生?
 これが、いい人生なのだろうか?
 どこか、問題を先送りにしているだけのように感じる。
 是非とも、使える勉強、人生の生き方を学べる学習となって欲しいと望む。
 僕自身も、そのような社会になるように、伝えていこう。行動していこう。
 この日本が、誇れる国でありつづけるために。

“船長は、リーダーでもあり、教育者でもある。クルー達に学びを与える役でもある。それが、それぞれの人生の航海を濃いものにすることを知っている。”


第73日目 ”大きな海は見慣れているが、大きな大地には驚かされる。永遠と続くような地平線や広大な草原。海の上と同じく、自分の小ささに気づかされるのである。”




 北の大地、北海道に行ってきた。
 友人や知人に会うためであるが、とても出会いと感じる事の多い旅行となった。
 札幌市内や小樽にいる内は、なんとなく“北海道”って感じだった。
 お知り合いになった方の好意で、洞爺湖と支笏湖を目指すことになり車を走らせていくと、広大な畑や森、山々が見えた。
 あまりの広大さになんとも言えない感動を覚えた。
 本州の畑、森、山々とは、規模が違う。
 畑の全体が見えないくらいに続いている。
 自然がたっぷりで、日本の中にもこんなところがあるんだなぁと感じた。
 家々の間にも余裕を感じ、それにあわせてなのか、北海道の人たちの気持ちにゆとりがあるような印象すら受けた。

 人は、周りの環境にも影響を受けると思う。
 普段の僕自分の住むエリアは、大阪市内の建物が建ちならぶところ。
 猫ではないが、狭いところというのは、意外と落ち着くものである。
 ところが、狭いところばかりだと気持ちも締め付けれれているような感じだし、たまには広いところを見たくなる。
 都会だとビルなどの展望台を目指したり、海を観にいったり、山の上に上がったり。
 広いところを見渡すことで、自分の中でぎゅーっと圧縮されたものを延ばすことができるのではないだろうか?
 心も体も、ぎゅーっと小さくしていると、なかなか広くすることは出来なくなる。

 考えることも同じ。
 小さな範囲だけで考え続けると、出てくることは少ないままである。
 大きく範囲を広げてみて、考えてみると見渡すことができので、新しいことも出てくるのである。
 だから、たまには大きく見渡せる場所に行き、気持ちを開放してみるのは、心と体にとってもいいことだと思う。
 草原を見渡すのもよし、山に行って周りの山々を見渡すのもよし、海に行って水平線を見渡すのもよし、ビルの展望台に上がって見渡すのもよし。
 いつもの視点の高さや位置だけでなく、高くしてみたり、位置を変えてみることで、気づくことが出てくる。
 案外、自分のことに気づくことも多いのである。
 
 北海道は、いろいろな意味で学ぶことがいっぱいあった。
 人のつながりや優しさ、自然の力強さや大きさ、自分と自然との関わりなどなど。

 意外にも、大好きな沖縄や奄美に通じるところも多いと思った。
 僕の好きなところのひとつとして、追加されたのは間違いない。

 沖縄や奄美などの南の島、九州の鹿児島・福岡・長崎、山口の萩、土佐の高知、瀬戸内の広島・岡山・小豆島、岐阜や長野の山々、そして北海道。
 どんどん、好きなところが増えている。
 まだまだ、日本の知らないところはいっぱいあるのだから、どんどんいろいろなところに行こう。
 自分の視野を広げるためにも、日本を知るためにも。
 それが、自分自身の成長にもつながるのである。

“船長は常に、海を見渡す。大きな視野で物を考え、判断を下す必要もあるからである。船長の考えひとつで、航海を安全も出来るし、危険にもなる。だからこそ、海を見渡すことで考えを広くしているのである。”


第74日目 ”船の上で悲観的なことばかりを考えていると、滅入ってしまう。かといって楽観的過ぎても、事故の元となる。しっかりとバランスを取ることが大事である。”




 ポジティブは、前向き、楽観的と辞書を引くと出てきた。
 ネガティブは、後向き、悲観的と辞書を引くと出てきた。

 ポジティブ=プラス思考。
 ネガティブ=マイナス思考。

 ここでは、あえてポジティブ思考、ネガティブ思考ということにしよう。
 どちらが良いとか、どちらがダメとかということではないと思う。
 もちろん、ポジティブ思考のほうが良いと僕も思っているが、それだけで良いものではないとも思っている。
 双方があるから、バランスが取れる。
 
 ただ、人間はネガティブ思考になりやすいもの。
 ネガティブなこと(悲観的なこと)を受け入れやすいものなのである。
 潜在意識は、自分自身を守るために、常に不安要素を探そうとする。
 現状を維持するために、安定した状態を作るために、無理をさせないように働く。
 だから、ネガティブなこと(悲観的なこと)を先に受け入れ、それに対する対策を考えようとする。
 その後に、「より良くするには・・・」と考えることでポジティブ思考になれるのである。
 先にネガティブの対策をする段階で、心が、体が疲れてしまうので進めなくなるのである。
 これを無理やり、ポジティブ(楽観的)にすればいいというものでもない。
 ネガティブ(悲観的)を受け入れるのは必然的なことなので、その対策をするのは当然のこと。
 ただ、その段階で、ネガティブ(悲観的)なことだから、ネガティブ思考(~しなければならない。~でなければ大変なことになる。)で考えると前に進む力にはなりづらい。
 ネガティブ(悲観的)なことであっても、ポジティブ思考で考えることは可能なのである。

 「~すればいい。~すれば大丈夫!」
 たったこれだけ?と思うかもしれない。
 だが、たったこれだけで前に進む力の強さは変わる。
 ネガティブ(悲観的)を受け入れ、ポジティブ(前向き)に向かうためには、「ビジョン」「目的」「使命」が大事なことなのである。
 この三つが揃って、そこに向かうことを「志」という。
 
 自分が何をするのか?どこに向かうのか?どうなりたいのか?
 これをしっかり持つことを、「希望」であり、「願望」であり、「夢」である。
 ただし、「ビジョン」も「目的」も「使命」も、「こうしなければならない」と考えると前向きとはいえない。
 つまり、ネガティブ思考となってしまう。
 潜在意識が守りを意識し、後ろ向きな力にしてしまう。
 
 「~しなければならない」から、「~しよう!」
 言葉を意識することで、自然とポジティブ思考へと向かうのである。
 ネガティブを受け入れ、ポジティブに向かうためにも、言葉を意識することが一番簡単なことなのである。

“よい船長は、悲観的、楽観的のバランスが取れることが条件である。それが、クルーの力を発揮させることを知っている。目的とビジョンがはっきりすれば、バランスが取れることも知っている。”


第75日目 ”島に向かう途中のポイントを越えるたび、お祝いしよう。島に着いたら、祝杯を上げよう!そこを目指して、今出来ることを全力でしよう!”




 ネガティブ(悲観的)を受け入れ、ポジティブ(前向き)に向かうためには、「ビジョン」「目的」「使命」が大事なことなのである。
 この三つが揃って、そこに向かうことを「志」という。

 では、ビジョンとは?
 ビジョンとは、目的に到達したときの様子やイメージを想像することであり、未来の姿や目指したところのイメージをすることであると思う。

 では、目的とは?
 目的とは、何を目指すのかという先のことである。つまり、山の頂上である。
 この目的の中に、ゴールや目標があると考えることでわかりやすくなる。

 では、使命とは?
 使命とは、「何のために、行動するのか?」「何のために、向かうのか?」
 これらを自分なりに考えることで、前向きになれる。

 わかりやすくするために、例えば、サッカーチームで表現してみよう。
 サッカーチームの目的は、「試合に勝つこと」
 サッカーチームのビジョンは、「勝ったときに、みんなで喜び合う様子」
 サッカーチームの使命は、「チームが活性化することで、地域の活性化につながる。そのために、チームの一員として頑張る!」 
 
 さらに、ゴールと目標についても解説しよう。
 サッカーチームのゴールは、文字通り、ゴールを決めること。
 サッカーチームの目標は、ゴールをするまでに誰にパスしてボールをつなぐのかということ。
 
 このように細かくすることを細分化といい、目的を細分化することで何をするのかが見えてくる。
 
 何をするのかがわかることで、前に進める。
 だから今一度、自分の目的、使命を考えてみるのがいいと思う。
 そこからビジョンが見えてくるし、ゴールも、目標も細分化することで、見えてくる。
 すると、前に進む方向が見えてくるので、後は一歩踏み出すのみ。
 それがポジティブにつながっていく。
 ネガティブを受け入れ、ポジティブに向かうことで、出来ることはいっぱいある。
 人生、ポジティブに楽しんだもの勝ちである。

“小さな船でも、こまめに進むことで遠い目的地に向かうことはできる。「こんな船じゃできない。」と思った段階で、何もできなくなる。可能性とは、全てに平等にある。”


第76日目 ”航海をする乗物とは、船だけではない。潜るもの、少し浮いて進むもの。いろいろな種類がある。人生の乗物も選ぶことができるはず!道は、ひとつではない!”




 海を進む乗物は船だけではない。
 ジェットスキー?
 いやいや、これもボートの延長だから船の一種。
 水中翌船?
 うーん、これも船の延長ですよね!
 じゃ何があるか?
 潜水艦、ホバークラフト、水面ギリギリを飛ぶ飛行機モドキのようなものもある。

 今回は、潜水艦。
 潜水艦について話すことにしよう。
 潜水艦は、文字通り潜水するわけだから、空気と燃料を燃やすディーゼルエンジンの潜水艦は水上ではエンジンで走り、水中ではバッテリーとモーターで走る。
 今の自衛隊の潜水艦や昔の潜水艦は、ディーゼルエンジンのものがほとんどである。
 バッテリーは消耗するので、時折水面に出てエンジンを回す必要がある。
 
 ところが、原子力潜水艦というものがある。
 これは、装備があれば1ヶ月以上潜り続けられるという。
 原子力というのは、放射性物質(ウランやプルトニウム等)の原子に、中性子がぶつかって分裂するときのエネルギーを利用して、蒸気を作り、ガスタービンを回すことで動力にしているのである。

 難しい?
 つまりは、小さな太陽を作ることで、熱を作り出し、その熱で水蒸気を作って、その圧力を風車に当てて動く力にしているということ。
 空気はいらない。
 燃料も一回の補充で、数ヶ月持つ。
 だから、乗組員の空気と食料さえあれば、一ヶ月以上潜っていられるのである。
 その潜水艦に核兵器が積んであって、潜ったまま近寄ってこられたら、たまったもんではない。
 だからこそ、戦略原子力潜水艦ほど、恐ろしいものは無いのである。

 もちろん、潜水艦といってもいろいろとある。
 平和的な利用としての潜水艦で、潜水能力世界一なのは、じつは日本の潜水艦なのである。
 世界記録を誇るのは、「しんかい6500」
 6500mもの深海まで潜れる能力は、どこの国にも超えられていない。
 日本の周辺には、プレートの問題で6000m以上の海溝がいっぱいあるのも理由かもしれないが、技術力の高さは折り紙つきである。
 
 潜水艦の魅力は、他の乗物とは違うところである。
 それは、視界がほとんどなく、音波による計測と位置情報を確認しながら進んでいるということ。
 つまり、まわりが見えてないから、常に計算しながら進んでいるのである。
 じつは、これは夜間飛行の飛行機や宇宙船と通じるところがある。
 有視界で動かすことでは対応できない、極限なところを進んでるのである。
 そんなところに魅力を感じてる僕は、ちょっとおかしいのかもしれないが・・・・・
 今回は、ちょっとした雑学でした。

“たまには、違う乗物に乗ることも新鮮な気持ちになれる。気分を変えることも大事だし、他を知るということも大事。今の船をより大事に思えるきっかけになるものである。”


第77日目 ”自分の考えの中ばかりにいると、それだけになってしまう。いろいろな意見を受け入れるのは、良い船長の条件の一つ。人の話にも耳を傾けよう!! ”




 「1人でも多くの人を元気にしたい」
 「大人も子供達も笑顔のある社会にしたい」
 そう思う人はたくさんいることでしょう。
 でも、そこに大切なのは、そのために必要なものは何か?、何ができるか?ということ。
 ただ、それを一人で考え、方法を探すことは決して簡単なことではない。
 仮に考えることができたとしても、それを一人だけで実行することは困難といえる。
 なぜなら、これらは社会の中にあるものであり、人と人が協力し合ってなしえるものであるといえるのである。

 ならば、考えるところから、協力し合えればその目的により近づけるといえるのである。

 ただし、ここに落とし穴もある。
 それは、同じ考えの人、共感できる人の意見だけを聴いてしまうということ。
 じつは、反対意見や客観的な意見があることで、より思考の幅は広がり、熟考されていくのである。
 とはいえ、なかなか反対意見や客観的な意見を聴くことは難しいものである。
 なぜなら、本能的に反論や拒絶しようと脳は働きやすいからである。

 では、どうすればよいか?
 まずは、「受け止める」ということを意識すること。
 これは、「受け入れるなければ・・」と考えがちになるところを、「一旦、受け止める」と意識するということ。
 「なるほど、そういう考えなんですね。」と受け止めることで、脳が聴きやすくなる状況を作るのです。

 受け入れるかどうかは、後で判断してもいいんです。
 ワクワクを探すだけでなく、しっかりとネガティブな部分を受け止めた上で、目的に向かって思考を深めることができるわけです。

 周りの声に耳を傾ける。
 そして、いろいろな意見を受け止めて、考える。
 それが、目的に向かう第一歩といえるわけです。

“人の考えもしっかりと受け止め、自分自身で考える事で人は成長できるのである。船長として人間性を高めることは、クルーたちにとっても、自分にとっても、人生を濃くするものとなる。”


第78日目 ”船長が思い込むことは、とても危険である。常に、「こうかもしれない」「こうなるかもしれない」と予測しながら、船を進める。これが、安全に航海を進めるコツなのである。”




 思い込むこと。
 じつは、これが一番の人間の行動にブレーキをかけるものである。
 いろいろな特技や技術を持っていたりしても、それを「使えない」と思ってしまうと、使うことは無くなってしまう。
 そもそも、自分は何もできないと思い込んでしまうと、本当に何も出来ないのである。
 
 人の能力とは、計り知れないもの。
 もちろん、なんでもかんでも出来るとは言わないが、それぞれの強みを活かすことは出来るのである。
 物事の先を予測することはとても大事なことであるが、思い込んでしまうと、想像だけで止まってしまう。

 思いを“込む”のではなく、思いを“きる”
 つまり、思い込みから思い切りへと変化させるのである。
 「思い切ってやってみる。」これが、ブレーキを外す方法である。
 思い切ってやってみることで、わかることがたくさんあるのである。
 「えー?やってみて出来なかったらいやだし・・・・」
 もう、この段階で出来ないのである。
 なぜなら、出来ないことを想定しているからである。
 「やってみる」のだから、「出来なかったら・・・・」というのではなく、「やってみたらこうだった」となる。
 
 これは、後悔ではなく、学びとなるのである。
 やってみたことで、いろいろなことを学び、次につながるステップとなる。
 だが、私には無理と何もしなければ、何も得られない。
 だから、思い切ってやってみること。
 これが、とても大事なことである。
 
 思い込みは、とてもやっかいなものである。
 最初は「こうかな?」というのが、「きっとそう。」になり、「こうだから」と気がつけば確定されてしまうことがある。
 こうなると、何が事実なのかわからなくなる。
 この思い込みが自分だけならいいが、人に伝わっていってしまうと、噂になってり、批判になったりしてしまう。
 だから、思い込みは、とてもやっかいなものである。
 安易に思い込むのではなく、一度吟味してみることが大切である。
 それが、行動をより正確なものにするし、学びをたくさん得られることになるのである。

 「こうかもしれない」「こうなるかもしれない」という予測を立てることはいいが、「きっとこうだ!」「間違いない!」と決め付けてしまうことは、とても危険ものなのである。

“船長は、安易に決め付けていけない。決め付けることは、仲間を崩しことにもつながるのである。しっかりと吟味することが、船長の責任なのである。”


第79日目 ”いろいろな国の港によると、最近は中国やインドの人たちと出会う。彼らと仲良くなれば、次の港での知り合いを紹介してくれるのかもしれない。やはり人のつながりがあると、安心できるものである。取引もしやすくなるものである。しいては、自分たちの幸せにつながるのである。”



 中国人のパワーは、本当にすごい!と感じた。
 いまやどこに行っても、中国人がいる。
 観光地に行けば、飛び交う中国語。
 彼らは、関西人以上にどこでも大声で話す。だから、すぐにわかる。
 観光地はもちろんのこと、喫茶店のウェイトレス、コンビニのバイト、居酒屋の店員。
 デパートやお店には、「銀聯(ギンレン:ユニオンペイ)」のマークがいたるところに貼ってあり、中国人の買い物を誘致している感をたっぷりと感じる。

 北海道でも、神戸でも、大阪でも、中国語が飛び交っている。
 テレビを見ていても、中国が絡むニュースやドキュメンタリーが流れている。
 かなり以前に、「1994年、日本は中国へ行く~アメリカ大破産からの脱出~」という本を読んだ。
 読んだのは、1993年ぐらいだと思うが、その頃はまだ経済に興味を持ち始めたころであり、何気に読んだのだが、今、読み返してみて「なるほど」と思った。
 作者の宇野正美氏は、国際時事問題やユダヤ問題の精通した講演家で、結構、偏った部分もあるが、改めて今、読み返してみて、先読みがあったっていることが多いと感じた。
 確かに、今やアメリカの世界的な経済的影響力は下がっており、ユーロの経済も安定していない。
 
 そして、中国、インド、ロシアの経済的影響力が上がっている。
 世界的なお金の流れが、大きく変ってきているのである。
 
 いや、中国、インド、ロシアだけが伸びてきているわけではない。
 イラン、インドネシア、エジプト、韓国、トルコ、ナイジェリア、バングラデシュ、パキスタン、フィリピン、ベトナム、メキシコ。
 BRICSから、NEXT11。
 アジアでは、インドネシア、フィリピン、ベトナムが伸びてきており、それぞれの経済の伸び率は、軒並み5%以上。
 それぞれの株式市場の平均株価は、200%から500%の上昇を見せている。

 近い未来にG7と肩を並べるのではという予測を立てるマーケティング機関も出てきているぐらいである。
 それを観ると、経済大国であるG7の力が頭打ちになり、現在、経済成長している国が横並びとなって、世界経済の平均化が起きているのではと思う。
 もちろん、世界中にはまだまだいっぱい国があるわけで、貧困の国や内乱の続く国も多いのは確か。
 日本も、今のところGDPの成長があるそうで、成長率は3%以上と言われている。
 まだ力は衰えていないのかもしれない。
 経済成長した国々が増えることで、貧困の国や内乱の国へ影響をあたることが出来たら、世界平和へ近づくかもしれない。
 そういう意味では、それぞれの国が成長することもいいことかもしれない。
 いろいろな国が、にらみを利かし合うのではなく、助け合える世界を望むものである。
 
 もっともっと、世界を知って、いろいろと発信していこう。
 ひとりでも、世界事情や経済に興味を持ってもらえるならば、嬉しいことである。

“いろいろな国の港を訪れる僕らは、それぞれの国を知ることは必要なこと。相手を知らずに行くことは、とても失礼なことである。だから、人生は常に勉強なのである。”

画像3

第80日目 ”明るく感情豊かな船長のいる船のクルーは、みんな明るくいい感じである。暗くいつもキリキリしている船長のいる船のクルーは、みんなキリキリしている。リーダーである船長の感情が、船の雰囲気を作るのである。”



 脳の話。
 人間の脳は、他の動物に比べてとても大きい。
 これは単なる大きさのことではない。
 体の大きさに比べて、とてつもなく大きいということ。
 
 象や鯨の脳は、人間よりもかなり大きいが、体の大きさに比較すると大きいとはいえない。
 類人猿の延長としての人間と言われているが、類人猿の中でも、飛びぬけてこの比率が大きいのである。
 なぜそうなったかというのは諸説があるので割愛するが、それだけ特別に進化した脳であるのは間違いない。

 じゃあ、何が違うのか?
 それは“心”という感情を扱えること。
 多少の感情を表現することは他の動物でもするかもしれないが、相手の感情まで気にしたり、うまく間を調整したりとコントロールできるのである。
 大脳新皮質というところが、この部分であるということはわかっているらしい。
 “より人間らしく”ということを考える部分がここにある。
 ここに感情のネットワークがある。
 心のバランスを整えるためには、ここのネットワークを密にすることが大事である。
 じゃぁ、どうすればネットワークを密にすることができるのか?
 簡単に言えば、“いろいろと感じることをたくさん持つこと”。
 
 ただし、いやな感じを気にし過ぎることはネットワークを少なくさせて、密にはならない。
 いつも同じ“いやな感じネットワーク”だけを使うことになる。
 
 逆に楽しく感じたり、気持ちよく感じたり、嬉しく感じたり、心地よく感じたりすることで、ネットワークはどんどん増やせる。
 つまり密にする事ができるのである。
 

 これは思考についても同じで、思考のネットワークも“考えなきゃ!”“どうすればいいんだろう・・・”と悩むことは、“悩みネットワーク”のみを使うことになり、思考が拡がらない。
 いろいろな感情ネットワークや感覚ネットワークを使うことで、思考も膨らむ。
 それらのネットワークを活用するコツは、「楽しむこと。リラックスすること。気持ちよい状態であること。」
 トイレの中やお風呂に入っている時に意外とひらめいたりするのは、このネットワークが使われているときである。

 主に、このネットワークは右脳と言われるところに多くある。
 直感的、無意識的、並列処理、イメージ、パターン認識、音楽、絵を描く・・・・・
 これが右脳の機能と言われている。
 感情を豊かにすることも、思考を拡げることも、キーワードは「楽しむこと」。
 楽しむときは脳がリラックスしているときである。
 つまりは右脳が働きやすい状態になることである。
 この状態が一番、脳のネットワークを増やし、考えが拡がり、しいては人生を豊かにするである。

“嵐を乗り切るには、「しねければならない」と考えるのではなく、「何をすればいいか」を考えることである。それが船の安全につながることになる。”


第81日目 ”港に寄ると世界の人たちと会う。そのたびに、日本人であることを誇りに感じる。我らのクルーは、まるで武士のようである。彼らは、人に優しく、自分に厳しい。まさに、日本男児である。船長として、彼らを誇りに思う。”



 侍とはなんだろう?

 侍ニッポンとか、日本人の象徴的に使うことが多い、侍。
 侍という言葉に、心が揺さぶられる男は多いと思う。
 侍とは、「従う」という意味から「さぶらう」と変化し、侍となったようで、武士と同意語である。

 では、武士とは?

 武という時には、二つの言葉が重なっているらしい。
 矛と止が合わさって、武という字を作っていて、長い武器である矛を使って敵を止めるという意味があるとのこと。
 つまり、攻め入る戦いではなく、敵から守る戦いを意味するものである。
 士という時には、誰かのために働く人という意味もあり、敵からの守り人ということが武士ということになる。

 武士と聞くと、男らしく強いとか、しゃんとしているとか、潔いとかという形容詞が多いが、決してそういうことだけではない。
 その根本には誰かを守る心と体を持つということがある。
 つまり、形がどうのではなく、相手を想い、己を捨ててでも守り抜く心を持つことが、本来の武士である。
 だからこそ、日本男児として武士にあこがれるならば、志を持つことから始まる。

 「志」、誰かのために出来ることをする心。
 決して、自分に向いてはいない。
 「自分が、自分が、」では志にはならない。
 己に向かう心は、「忌(いまわしい)」となる。
 この志を意識できるのは、日本人のいいところだと思う。
 志を持つことこそ、武士の条件である。

 江戸時代までの武士の家では、相当に厳しい教育がされていた。
 「武士たるものは、」という枕詞で厳しさを叩き込まれていた。
 だからこそ、己に向かう心よりも、志へと自然と向かうことが出来たのかもしれない。
 それが全て良いとはいわないが、強い心を作るには大事なことではないだろうか?
 強い心と体を持つことで、社会を守り、地域を守り、家庭を守り、家族を守り、しいては自分を守るのである。
 先に自分を守っていては、他を守る力が半減する。
 周りを守ることは、結果的に自分を守ることにつながる。
 だからこそ、志をしっかりと持つことから、「武士」となれるわけである。
 武士になれ!ということをいいたいのではないが、日本人の気質が志を生み、武士をつくったと思うわけで、この日本人気質をもって欲しいと願うものである。
 しっかりと志を持った男は、自然と男らしくなるし、かっこいいものである。
 それは、外見だけかっこいいではなく、中身も伴うからこそ、自然とかっこよくなるのである。
 是非とも、かっこいい日本人を目指して欲しいと願うものである。

“人の目を気にしてばかりいるクルーは、仕事が中途半端になりやすい。気持ちが自分に向いているからである。船を動かすには、クルー同士協力し合う必要がある。そのためには、「自分が」ではなく、皆のためにと考えることが大事である。”


第82日目 ”船もどんどん進化している。昔は接岸するのにタグボートで押していたが、今は船本体で横に寄せることも出来る。操縦する我らも進化が必要である。”



 世の中は変っていく。
 
 10年前、20年前、30年前に戻ってみて、今と比べるとどうだろう?
 まるでSFの世界であると感じるだろう!
 携帯電話、メール、インターネット、電気自動車などなど。
 書類や写真が手軽に送れる。
 こんなことが、その時代に想像できただろうか?
 もちろん、それらを作った技術者達は考えたのかもしれないが、ほとんどの人はそこまで想像できなかったと思う。
 テクノロジーの進化とは恐ろしいものである。
 しかし、進化したものは目に見えるテクノロジーだけではない。
 見えないところでの進化も、たくさんある。

 例えば、農業。
 通常の土の中で育つ植物を水で栽培する水耕栽培。
 低細菌、無農薬という環境で、通常より早く、大きく育つらしい。
 安全性や実用性についてはこれからはっきりしてくると思うが、今後の農業のひとつの道があるのだと感じる。
 もちろん、進化の全てが良いとは思っていないが、より良くを目指すのはいいことだと思う。

 人間もそうである。
 過去や歴史に学ぶことは大切なことであるが、ずっと同じ状態ではなく、学んだことを自分なりに変化させることも大事であると思う。
 「昔はこうだった。だからこうするのが一番!」
 今も通用する内容であれば問題ないが、今を見ずに昔を当てはめても通用しないことが多い。
 だからこそ、今を知り、過去に学び、未来を描くことが大事である。
 未来に向かって、気持ちを進化させる。
 そのためには、今を受け入れること、夢(希望)を持つこと。
 そうすることが、自分の進化となり、時代に合わせることになる。
 時代になんか合わせたくなんかない?
 それもありかもしれないが、今の社会の中で生きるためには必要なことではないだろうか?

“昔の操縦技術は基礎となる。だが、それだけだと新しい船は扱えない。昔の技術と今の技術を知ることは大事である。”


第83日目 ”船長が緊張したままでは、クルー達の力も半減する。できるだけリラックスすることが、クルー達の力を増すことにつながるのである。”



 イメージすることは、とても脳にいいことである。
 イメージすると、右脳が活発化する。
 脳機能学的には本来、右脳左脳の概念はないのであるが、感覚的に分かりやすくするため、あえて右脳と左脳の機能として話をすることにしょう。
 
 右脳が活性化することで、大量に情報を処理でき、また高速に処理することも可能となる。
 ところが、この右脳は緊張したり、意識すると活動しにくくなるといわれている。
 つまり、リラックスしてイメージすることが、右脳の活動をしやすくするということになる。
 
 例えば、試験前とかに無理に覚えようとすると、左脳側が働く。
 左脳は論理的であり、言語を使う部分であるが、情報は少量でまた、低速にしか処理できない。
 頑張れば頑張るほど、左脳が働くのである。
 
 日本の教育は、まず詰め込むことを優先しているように感じる。
 正しい答えを詰め込む、つまりは覚える学習であり、自由な考えやアイデア、ひらめきを引き出すような教育ではないように思う。
  左脳教育ともいえるかもしれない。
 
 確かに日本人は勤勉であり、繊細かつ緻密な能力を有しているが、世界的にも学力が高いとは言えないのは、このあたりに問題があるかもしれない。
 他の国では、イメージすることを大切にしてる教育をされている国があると聞く。

 10+10=(  )という問題ではなく、(  )+(  )=20という問題。

 つまり、多数の答えの中から自分の答えを見つける。
 いろいろな答えを考えるということになる。
 これであれば、答えをイメージするわけだから、右脳を活発化させる。
 右脳教育といえるかもしれない。
 
 実際、速読や記憶術の話の中で右脳のことが出てくるのである。
 右脳を使うこと、これは脳の能力を広げること。
 そのためには、リラックスすること。
 頑張らないこと。
 無理に覚えようとすることは、頑張ることで左脳を使うことになる。
 
 左脳は右脳の活動を抑えるように動きやすいとも言われており、だからこそリラックスして、頑張らず、楽しむことが右脳を動かすことになる。

 そんなんじゃ覚えられない?
 いやいや、無理に覚えようとして頭に入らないのに、何気に見たことを覚えていたりした経験はあると思う。
 お風呂に入ったときに、アイデアが浮かんだりしたこともあると思う。
 自然に右脳を使っているのである。
 だからこそ、人生を楽しむのは理にかなっているのである。
 大いに人生を楽しむのは、OKなのである。

“航海を楽しもう。そうすることが、実は航海の成功につながるのである。しんどいと思えば思うほど、しんどい航海になる。ちょっとでも楽しめば、楽しい航海となるのである。”


第84日目 ”航海の途中、釣りをする。釣りはとても頭を使う。集中して、無心に魚と向き合うことで、釣れる環境となるのである。戦略・戦術を学ぶにも最適なのである。”



 釣りを知らない人は、よくこう言う。
 「あんな風に、じっとしているなんてできないから、僕には無理。」
 誤解である。

 釣りとは、スポーツ。
 どんな釣りも待っていて釣れるなんてことは無いのである。

 釣りは、一、場所、二、腕、三、道具という。
 つまり、魚がいる場所がまずは大事ということ。
 場所といっても、二つ有る。
 それは、まずは魚がいるところというのは当然だが、“たな”といって魚のいる深さも大事である。
 
 そして、次に腕。
 これは魚との頭脳戦ということ。
 魚だって釣られるのをわかって釣られるわけじゃないのだから、魚を誘う必要がある。
 餌つりであれば、針についた餌に誘う必要があるし、ルアーという餌に似せた物であれば、餌のように見せる必要がある。
 ちなみにルアーとは、(誘惑する)という意味がある。
 そこにテクニックが必要なのである。

 最後に道具。
 いい道具を使っても、腕が無ければ宝の持ち腐れ。
 もちろん、道具に助けられる場合もあるが、ほとんどは使い切れないことが多い。
 だから、道具はいいものでなくてもいいのである。
 釣りにはこれらの知識が必要なのであるが、もっと釣れるためにはもっともっと知識が必要となる。

 例えば、潮の満ち干き。
 大きく動く大潮の時には釣れやすいと言われる。
 
 そして、気圧。
 海の中も気圧が影響していて、気圧が下がれば魚も上に浮いてくるのである。
 ただこれも、魚によって少し浮く程度のものもあれば、水面近くまで上がってくるものもある。
 
 基本は、相手を知ること。
 その魚を知らずして、釣ることは無理である。
 その魚はどんな動きをしているのか?
 どんな餌を食べるのか?
 季節ごとでの動きは?
 つまり、釣りに大事なものは、「戦略・戦術」なのである。
 とても知的なゲームであり、ビジネスや心理ともつながるものがあるのである。

“釣りについて、クルーと話すことはとても楽しい。コミュニケーションとなるし、情報交換ともなるのである。共通の話題があることは、幸せなことである。”


第85日目 ”クルーが船長に頼ることは当然であるが、頼られすぎると船長もしんどくなる。やはり、クルーが自立していることが必要である。船長頼れる存在、クルーが自立している状態。この状態が一番、いいチームといえるのである。”



 依存することとは、どういうことだろうか。
 
 それは「相手にゆだねること。頼り切ること。」
 小さい頃は、親に依存するのは当然のこと。
 これは問題ないことである。
 ところが成長する過程で、子供が親を離れだす。
 依存からの脱出である。
 ところが、この段階で親のほうが子離れ出来ず、過干渉や過保護になると、子供も依存心を残したまま、共に依存し合ってしまう。
 いわゆる“共依存”という状態である。
 
 大人の関係でも共依存の関係は起こりえる。
 片方が依存心が強かったり、依存症という状態になったりすると、そのパートナーは相手を助けたいという想いから、「私でなければ」とか「私がやらなきゃ」と責任感を強めたりすると、依存心の変化してしまう。
 共依存関係という状態になる。
 
 これはうつ病や精神衰弱の方などにも起こりやすい。
 つまり相手に依存しやすい状態であると、その周りの人(家族や友人など)が何とかしてあげたいと強く思ってしまうことで共依存の関係に陥りやすくなる。
 DVや虐待でも同じことが考えられる。
 どんなに暴力を受けてもそこに戻ろうとするのは、相手に依存してしまっている状態であり、お互いに共依存の関係が成立してしまうということになる。
 
 この関係はとても怖いものである。
 お互いに抜け出せなくなり、ずっと同じ状態にありつづけてしまう。
 嫌なことであるのに、同じ状態を続けてしまうことから、その後に事件になったりしてしまう。
 問題なのは、その依存状態に自分自身が気づかないこと。
 依存している人も、その人と共依存関係の人も、お互いにその状態に気づかないのである。

 例えば、親を介護している人で、その親が亡くなった瞬間に何をすればいいのか分からなくなり、自殺したりする人がいる。
 依存されていた状態であるのに、その状態に対して自分も依存していた共依存の関係になっていたわけで、共依存の関係の相手がいなくなってしまうことで、依存出来なくなり、精神的に不安な状態となってしまう。
 周りでその状況を見ている人にとっては、とても親思いのいいお子さんというだけで、終わってしまう。
 自殺されたあと、みんなが「何でそうなったのだろう?」とか「介護に疲れたのだろうか?」となるわけだが、介護をしているときに、「私がいなきゃ」とか「私がやるしかない」というような言葉があると共依存の関係である可能性は高い。
 いわゆる過保護・過干渉となることになる。
 過干渉・過保護は、実は相手を認めていないことになる。
 認めていないからこそ、私がいなきゃとなるのである。
 これをディスカウントという。
 この状態から抜けるには、干渉や保護をしている立場の人が気づいて少し離れてみることがポイントとなる。
 周りが気づいた時点で、一旦、その状態から離すことが一番の方法である。
 つまり、依存している相手の自立を促すということである。
 お互いが自立することが、この共依存状態から抜ける唯一の方法である。

“船長とクルーが信頼し合える。この関係が一番いい関係である。つまり、相手を認めることである。認め合える関係であれば、航海はおのずとうまくいくのである。”


第86日目 ”風を受け止めて進むことは、船を操作していてわかることである。風の力は偉大である。この力を借りることで空すらも飛べるのである。”



 空を飛ぶこと。
 今では簡単なことである。
 パラグライダーやハンググライダーのように、布を張ることで風を掴み、浮力を得れば浮き上がれるのである。
 
 そもそも、空を飛ぶことは鳥へのあこがれであった。
 鳥のように空を飛びまわれる自由さに憧れたのだと思う。
 
 一番最初に人類が空に浮いたのは、1700年代といわれている。
 気球である。
 熱気球やガス気球で上空に上がっていくことは、1700年の後期には行われていたようである。
 ただ、これはまだ自由に飛べるというのとは、ほど遠い状態である。
 下からロープで操ってもらったり、風任せであったり。
 やはり鳥の自由さとは違うのである。

 飛行の歴史は、人類にとって夢の歴史であった。
 そのために、鳥を研究した。
 ダビンチや他の科学者たちも鳥をベースに研究し、デザインしたり、構造を考えたりとしてきたが、結局、空を飛べるレベルになるまでには、何百年もかかっている。
 実際に空を飛べるようになったのは、ドイツのオットー・リリエンタールが1891年にグライダーを作って滑空したと言われているが、その100年前の1785年に日本の岡山にて浮田幸吉がとんびを真似て作ったグライダーで飛んだという歴史が残っている。

 その後、20世紀に入った1903年にライト兄弟によるフライヤー号での飛行でエンジンを使った自力飛行が飛行機の始まりであった。
 その後の発展はめざましく、その後の100年の間に音速を超え、何百人を一気に運ぶ飛行機ができたりした。
 まさに、夢の実現の歴史である。

 航空力学の発展により、空気を捉まえて浮力を得ることは簡単になっている。
 グライダーは、動力を使わずに長時間飛行することが可能である。
 また、羽を回転させる、つまりヘリコプターはその場から垂直に上昇できる。
 ジャイロコプターといわれる飛行機は、回転する翼を持っているところまでは、ヘリコプターと同じであるが、なんとその翼を回すのは動力ではなく、前から来る風の力で回っているのである。
 それでも飛行するので、より飛行することが簡単になっているのは間違いない。
 
 今後、地上を走り回るところから、空を自由に飛びまわることが一般化することも十分に考えられる。
 いまや、宇宙旅行も目前である。
 バージンエアラインのリチャード・ブランソンは、すでに「バージン・ギャラクティック」という航空会社を立ち上げているし、JTBも宇宙旅行のプランニングを始めている。
 空への夢が、飛ぶことからどんどん広がって、より高く、より早く、より安全に、より楽しくへと変化している。
 まだまだ変化していくことが楽しみなのは、僕だけではないと思う。
 僕自身はまだ自分で空を飛ぶことを実現しているわけではないので、この夢を抱いて実現していこう!

“夢を捨てずに追い続けることは、実現への道となる。人は空を飛ぶことも実現できた。だから、夢を追い続けることが人生においても大事なことなのである。”


第87日目 ”船乗りたちが、世界をつなぎ、それぞれの文化を伝える役割を持っていた。今は、誰もが世界につながり、文化を伝えることの出来る状況がある。時代を作れるチャンスはあるのである。”



 時代を作る。

 それだけを聞けば、「そんなこと、できるはずがない!」なんて思うかもしれない。
 しかし、今まで時代を作ってきた人たちは、「俺が時代を作ってやる!」なんて思ったわけではなく、結果として時代を作ってきたのだと思う。
 それに、それはいきなり出来たことではないだろう。
 少しの行動が、積み重なって大きくなって、周りの人にも影響して変化して・・・
 結果、時代をつくることになったのである。
 
 どうして時代が変わるほどの変化になったのか?
 それは普通ではないことだから。
 “普通”を意識するとありえないことを考え、行動したからである。
 とはいえ、思いっきり飛んだことを言っていたわけではない。
 「背中に羽を生やして、空を飛ぶ!」
 これはどう考えてもありえない。
 よほどの生態科学者で、人体実験でもしない限り、ありえない。
 だが、「いつか、総理大臣になって日本を変えていく!」
 これは、決して出来ないことではない。
 実際に、するか、しないか、なのである。
 もちろん、総理大臣になることじゃなく、何かを開発することも同じである。

 例えば、携帯電話。
 最初に電話を発明した、ベルは今のような携帯電話を想像できただろうか?
 最初の携帯電話を開発した人たちが、いずれメールやインターネットを携帯で出来ると想像できたのだろうか?
 しかし、誰かが開発した携帯電話が他の人に影響を与えて、その人たちによって進化して・・・・
 気がつけば、今では普通にインターネットやメール、つぶやきまで出来るようになった。
 これからも、どんどん進化していくであろう。
 まさに、時代を作っているのである。
 
 人との関わり合い、家庭の状況、社会の状況、国々の状態、世界の政治や経済、自然環境、いろいろなものが変化すると思うが、そこに関わることは充分にできるし、自分が少しでも変化を導くことも出来る。
 ただ、大きく変えるのではなく、小さなところから変えていく。
 それが、時代を作ることになる。

“皆に情報を伝えること。これは船乗りの役割である。「今の世界」を人々に伝えるとともに、時代に影響を与える。だからこそ、情報を大切に扱う必要があるのである。”


第88日目 ”航海の途中には、不思議なことがたくさんある。幽霊船のうわさや突然消える船の陰。全てを解明できるわけではないだろうが、何かのメッセージとして受け止めることにしよう。捉え方は、人それぞれなのだから。”



 僕は子供の頃から、何で?何で?と思うと気になって仕方が無いくらい、好奇心たっぷりだった。
 だから、科学雑誌とかが大好きだった。
 とはいえ、全てが科学で解明できることだとは思っていない。
 不思議なこともたくさんあり、人の理解できる範囲というのはあると思っている。
 
 魂の存在、宇宙人の存在、見えない力、オーラ、神の存在・・・・
 解釈は人それぞれで違うものだと思うが、僕自身はこれらの存在を否定しない。

 ただ、好奇心や探究心という意味では、科学的に、論理的に知ることが出来たら、と思っている。
 そこにロマンを感じたりしている。

 科学とは、仮説の証明であると思う。
 「恐らくこういうことでは?」「仮に・・・・」と言った仮説をたて、それをあらゆる視点から証明していくことであると思う。
 だから、そもそもの仮説がずれていたりすると、まったく違う証明になり、その仮説自体が正しいのかの証明が必要となる。
 だから、全てを解明することは不可能であると思っている。
 まぁ、こんな話自体、論理的であるが。

 目に見えない力はあると思っているが、一方向の話だけを聴き、そうなんだと思い込むことの無いように、いろいろな視点からものを見ることを意識している。

 尊敬する吉田松陰先生の言葉に、「いろいろな偉人・賢人の言葉があるが、それを鵜呑みにするのではなく、しっかり考えた上で自分のものにすることが大事」があり、僕自身、それを実践している。
 
 そもそも、全てを解明する必要は無いのかもしれない。
 解明しなくても、対処方法を経験で知っていたりするし、見えないからこそ、夢を持ったり、ロマンがあったりするのである。

 医療の世界でも同じで、病気の原因がわかっていないものも少なくない。
 ただ、この薬が効くとか、この療法が効果的ということがわかっているのである。
 それでも治療が可能なのであるが、科学者たちはその原因を探しているのであろう。

 科学者=探求者ということが言えるかもしれない。
 冒険者なのかもしれない。
 だからといって、自然を壊すような科学はいかがなものかと思うが、科学が未来を作ってきていることも事実なのである。
 これからも、好奇心と探究心を持ち続けていきたい。
 それが、自分自身を成長させるものであり、出来ることの幅を広げることになるのだから。

“古の時代、海の先は大きな滝だと考えられていた。その海に船を漕ぎ出し、水平線の先を目指した冒険者の勇気は、とても大きなものであったであろう。その勇気以上にロマンを持っていたのも事実であろう。航海をする礎を作った者を称えよう。”


第89日目 ”航海の途中で、クルーを亡くすこともある。彼らに敬意を払い、船長を始めとするクルーたちは命の重さを知る。だからこそ、お互いを大事にできるのである。”



 魂の重さは21gだそうだ。
 死を迎えた後、体重は21g減る。
 たった21g。
 だがこれほど重い21gは無い。

 命の重さ。
 年末が近づくと、いろいろなデータが出ている。
 自殺者の数は、3万人を超えたというデータが出たりしている。
 潜在的にはもっといるかも知れない。

 自ら命を絶つのである。
 他の動物たちは、基本的に自ら命を絶つことはしない。
 これは人間だけなのである。
 少しでも生きたいと思いつつ、生きることの出来ない人がいる中、自ら命を絶つのである。
 たとえどんな理由があろうとも、許される行為ではないと思う。
 何かを救うためや家族を守るための犠牲になるのとは意味が違う。 
 もちろん、精神的にまいることというのが一番の原因だと思うが、命を絶つ前に今一度、考えてほしい。

 「その命を誰かに差し上げてください。」

 具体的に命を差し上げることはできない。
 しかし、誰かのために動くことは出来る。
 一度捨てようとした命を、自分のためではなく誰かのために使ってほしい。
 
 あなたに出来ることは、まだまだいっぱいある。
 あなたの救いを求める人たちは、この世の中にいっぱいいる。
 よーく世界を見渡してほしい。
 出来ることはまだまだ残されているから。

“一人の力は決して大きなものではない。しかし、誰かのために動く力は、他の人たちの力と合流して大きな力を生む。力が重なり合うことで、大きな船も動かすことができるのである。”

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第90日目 ”楽しいと思えば楽しくなる。出来ると思えば、出来るのである。航海も必ず行けると思えば行けるのである。ネガティブに考えるとその通りになってしまい、失敗するのである。だからこそ、いい方向に思い込むことがコツなのである。”



 目には見えない力がある。
 決して超能力ではない。
 
 サブリミナル効果というのをご存知だろうか?
 今では放送関係や動画関係で禁止されているが、潜在意識に訴える効果を言う。
 実際にアメリカで実験されたことだが、ある映画館で活用されていたと言われている。
 事実かどうかは、実は定かでは無いが、禁止されていることから事実ではないかと推測される。
 
 では、どんな効果か?
 通常の映画では、毎秒35コマで上映されている。
 そのコマの間に、コーラの映像をたった一コマ入れている。それを5分おきに挟む。
 見た目には、そんな映像に気づかない。
 ところが、潜在意識の部分にはしっかりと訴えられており、映画が終わる頃には、コーラを買う人がいつもより増えるのである。
 これは、意識的に見えている効果ではなく、見えていないのに潜在意識に影響を与えていると言われている。
 つまり、人の心や衝動は無意識下でも影響を受けるといえるのではないだろうか?
 これも、もしかすると一時的な洗脳と言えるのかもしれない。
 
 人の脳というものは、見えている、聞こえている、感じている以上の情報を受けている。
 見えていることが全てではないということ。
 聞こえているものが全てではないということ。
 感じていることが全てではないということ。

 例えば、錯覚。
 見えていないはずのものが見えている。
 これは補完機能と言って、脳が勝手に調整してしまうのである。
 例えば、パラパラ漫画である。
 パラパラとめくると、漫画がまるで動いているように見える。
 これは、脳が自然にコマごとの間を勝手につないでしまうのである。
 見えるはずの無いものが脳に影響を与えたり、無いものを脳が勝手に補完したり。
 
 これは、視覚だけじゃなく、聴覚や体感覚でも起きる。
 つまり、脳はとても騙されやすいのである。
 逆手に使うことで、いい効果に使うこともできる。
 記憶力が上がったり、速読ができたり、モチベーションや元気につながったり。
 意識して使うことも可能なのである。
 だからあえて、脳を騙すこともいいのである。
 案外それが、いい効果になったりするのである。
 出来る!と思うこと。やれると思うこと。楽しいと思うこと。可笑しいと思うこと。
 そう思うことで、本当にそうなるのである。
 それが、幸せにつながっていったりするのである。

“時に思い込むことも必要である。案外それがモチベーションとなり、航海を楽しむコツになったりする。なんでも、活用することで楽しむことは可能である。”


第91日目 ”海の表情、空の表情、風の表情。それらを読み取ることで、安全な航海へとつなげていくことができる。人の表情も同じである。クルーたちの表情を見逃さないことが、事故防止につながっていく。”



 人の心理とは面白いものである。
 真意を言葉では言わなくても、表情やしぐさに表れてくるのである。

 例えば、話をしている最中に腕組をされる。
 その時の表情が笑顔であったり、自然な表情の場合は、相手の情報を受け取りたいという思いが自然に腕組をさせるのである。
 ところが、険しい顔で腕組をするときは、防御の姿勢である。
 相手の話に対して、反論の気持ちを持ったり、内心では「怒り」であったりといったことの表現であったりする。
 このようにしぐさや表情を観察することは、相手の真意を読み取るにつながる。

 しぐさや表情には、無意識に行動している部分がある。
 だから隠すことがなかなか出来ないのである。
 コーチングの世界では、このしぐさや表情を「非言語」と読んでいる。

 「Lie to me」という海外ドラマがある。
 このドラマは、人の表情の変化から“うそ”を見抜くというものである。
 「微表情」という表現をしており、0.2秒の表情の変化に真意が表れるというもの。
 ドラマの中で、博士が相手の表情のポイントを指摘していくので、この「非言語」を学ぶには最適だと思う。
 僕自身、とてもハマッてしまい、相手の顔を観察する癖がついてしまった。
 表情の変化が気になるようになってきた。
 それはそれで、仕事上にも活かされることになるのでいいことであるが・・・・
 決して騙されないようにするために、相手の心理を知るということを言いたいのではない。
 相手とのコミュニケーションを良くするために使って欲しいと思う。
 自分が騙されないように防衛線を張ることは、相手を見にくくさせるものであり、相手も自然に防衛線を張るのである。
 カウンセリングを学んだり、コーチングを学んだり、心理を学んだりしても、自分の防衛線を張ってしまうと、相手を受け入れない。
 信頼関係が作れないわけである。
 「私は貴方の味方ですよ」と言いながら、壁を作っているのでは味方だという言葉に強みがなくなってしまう。
 まずは、自分が防衛線を張らず、相手に対して疑いではなく興味を持って向くことが、相手の心理を知ることになるのである。
 それが、コミュニケーションを豊かにする方法だと思う。

“言葉では強がっていても、態度や表情に疲れが見えてくることもある。船長は、クルーたちの健康を意識することも重要な仕事である。観察することは、怠ってはいけないことである。”


第92日目 ”海の男達は、熱い男達である。だが、表に見えて熱い場合もあれば、表では大人しく、その心の中では熱い場合もある。内も外も含めて熱い男達なのである。だからこそ、時には豪快に、時には繊細にと行動できるのである。”



 情熱ってなんだろう?
 辞書を引くと次のように書いてある。

 「ある物事に向かって気持ちが燃え立つこと。また、その気持ち。熱情。」

 何かに向かって気持ちが燃え上がることとあるが、今の世の中なかなか見当たらないのが現状ではないだろうか。
 情熱が持てないのは、未来が描けていないからではと僕は思う。
 情熱は未来のビジョンがあって、そこに向かえるからこそ出てくるものではと思う。
 こうなって欲しい!
 こうありたい!
 こうなれば最幸!
「じゃ、今こそ情熱を持ってやっていこう!」となるのではと思う。
 
 未来といっても何年後ということばかりではない。
 たった一時間後も未来である。
 つまり少しの先を見ることも未来であり、もっと先を見ることも未来である。

 じゃあどの未来のビジョンを描けばいい?
 それは、その時その時ですることによって決めればいいこと。
 あることでは一時間後の姿がビジョンになるし、あることでは数年後のビジョンであるかもしれない。
 数年後のビジョンが描ければ、目的がはっきりしてくる。
 その目的を分けていくことで、ゴールが設定できる。
 ゴールが設定できれば、そのゴールに向かっての目標が設定できる。
 目標とは、一番近い目指すポイント。
 その目標が見えれば、そこに向かえる。
 向かうための情熱につながるのである。
 情熱と言っても、熱く勢いのあるものばかりではないだろう。
 ゆっくりでも、落ち着いていても、心の中で「よし!やってやる!」という気持ちがあれば情熱といえるのではと思う。
 「あの人は熱い人だ!」それは目に見える情熱も含まれているのかもしれないが、表には出さなくても情熱を持っている人は沢山いるのだと思う。
 未来のビジョンを創造し、目的を定め、ゴール、目標を設定すること。
 そして、その目標に向かって何が何でも前進すること。
 それが、情熱だと思う。
 みなさんはいかがだろうか?

“何かに向かうことが出来るからこそ、熱い想いをもつことが出来る。船を進めるためには、この向かう先があることが大前提である。目標を見失ってしまっては、前に進めなくなるのである。”


第93日目 ”今の船には、オートパイロットが付いている。だから、大海原を進む場合は、任せている部分もある。だが、全てを任せてしまうことは、危険である。人間には機械に無い、感性があり、その感性が意外に大事なものだから。”



 ロボットの進化は目覚しい。
 もうすでにいろいろなところにロボットがいるのである。
 
 例えば、お掃除ロボット。
 時間が来れば、勝手に動き回り、しかも角や隙間のごみも掻き出しで吸い込むそうな。
 そして一通り掃除が終わると、自動的に充電するところまで戻るのである。
 
 ロボットの定義は、「人の変わりに作業を行うもの」
 つまり、コンピュータ上で、勝手に作業をしてくれるソフトウェアもロボットとなるらしい。
 最近は、機械的なロボットと区別するために、「ボット」という言葉が使われるようだが。

 さてさて、機械的なロボットのお話をしよう。
 一般的ではないところで、どんどん進化しているロボットがいる。
 体の不自由な人の関節のかわりになったり、力を倍増したりするパワードスーツ。
 災害地で被災者を自動探索するロボット。
 違う小惑星まで行って、その素材を取ってきた小惑星探査機「はやぶさ」。
 飲み込んで、お尻から出てくるまでに体の中の写真をとっていく、飲み込み型内視鏡「NORIKA」。
 料理店に行くと、自動的にご飯を洗って炊いてくれる「ライスロボ」。
チャーハンを自動で作るロボットもいる。
 車でも、危険防止のため自動でブレーキをかけるものまで出てきてる。
 ロボット技術の進歩は、すさまじいものがある。

 軍事用においては、さらに恐ろしいものがある。
 無人で飛んでいき、偵察したり、爆撃したり。
 ミサイル自体も自立していて、自分の覚えたターゲットまで障害物を避けながら飛んでいく。
 軍事施設の護衛用に空中停止しながら監視できるようなものまである。
 まさにロボットが国を守ることになるかもしれない。
 とても恐ろしいことである。
 なぜなら、それらを操作している人間は、遠隔操作しているから、その兵器を使って人を殺すことができるのだから。
 良心も咎める心も無い。
 まあ、内部告発情報を流す「ウィキリークス」で、漏洩した、アメリカ軍の惨殺映像を見れば、人の良心とか、咎める心はどこにいったのかと思える。
 だから、あまり変らないこともあるかもしれないが。
 映画の「ターミネーター」にならないように、できるだけ平和利用でのみ、使って欲しい技術である。

“GPSやオート・ナビゲータの役割は、クルーの労力を小さくするためには貢献している。だが、それだけになると使えないときに危険になるのである。だから、初歩の技術として六分儀や方位の見方はとても大事である。”


第94日目 ”航海の途中による国のことを知らないことは、安全とはいえない。ついこの前には平和な国だったが、今は戦争をしていたり、経済破綻していたりするかもしれない。常に、新しい情報を仕入れることは、とても大切なことなのである。”



 日本の経済はどこにいくのか?
 以前に、スマップの仲居くんが司会をしていた番組で、日本経済の先行きをシュミレーションしていた。
 これからどんどん円高株安が進むと、税収が下がり、国の赤字がどんどんふくらみ、破綻へと向かうというものである。
 
 預金封鎖が起きたら・・・・
 ハイパーインフレ(貨幣価値の超低下と物価の超上昇)が起きたら・・・・
 国民の財産は奪われ、ほとんどの人が資産を失う状態。
 とても、恐ろしいことがシュミレーションされている。
 
 「いやいや、日本はそんなことにはならないだろう。」
 そう、思いたくなるのも分かる。
 しかし、ありえることなのである。
 決して起こりえないことではなくて、起きてもおかしくないのである。
 日本の円高は、世界中でドルとユーロの信用が下がり、とりあえず投資家たちが円を買っているとい背景がある。
 それ以外では、他の国々の為替操作の影響も受けている。
 つまり、いくら日本が踏ん張っていても、世界の影響によって経済は変ってくるのである。

 現在、見えにくいところで政府の締め付けが始まっている。
 世界中にオフショアと言われる国々がある。
 これは、タックスヘイブンとも言われ、税金が安く設定されていて、金融センターの役割を果たすところである。
 日本の企業も、租税対策で海外法人化するところも多くあるが、これは違法ではなく、しっかりとした戦略であった。
 二重課税を防ぐため、海外法人はその国の法律の税金を納めればよかったが、今は日本の税金との差額を、日本国に収めることになるようである。
 タックスヘイブン対策税制の改正があり、どんどん締め付けが厳しくなり、結果的に海外法人のメリットが無くなっていっているのである。
 
 もちろん、日本の中で法人化して、日本に税金を納めることが一番ではあるだろうが、今の不景気の中、少しでも収入を増やしておきたいと思うのは、経営者として当然のことだと思う。
 ところがそのような改正があるということは、日本もどんどん厳しくなってきていることの表れかもしれない。
 僕は法人企業しないから、関係ない?
 いえいえ、こういった改正が、どんどん国民からの税収に近づいていくのである。
 消費税アップや他の税率アップも十分に考えられる。
 今の日本に、国の借金を返済できるネタはあるとは思えない。
 日本国民1億3千万人といわれているが、今後1億人を切って10年後には7000万人になるのではとも言われている。
 つまり、税金を納める人が少なくなっていくわけで、正直、厳しい状況には違いない。

 では、僕らはどうすれば?
 いろいろと考え方はあると思うが、長くなりそうなので、次号に続けていきたいと思う。
 よって、続く・・・・


第95日目 “船を運営するためには、お金が必要である。しかし、そのお金に価値がなければ使うことも出来なくなる。いろいろな国のお金を持つことも、お金を守ることになる。”



 日本の経済危機から、どんなことが考えられるか?
 現金や国内の銀行での預金は、貨幣価値の低下や預金封鎖を考えると、紙切れになる可能性がある。
 ジンバブエのように、10兆円札が出てくるかもしれない。
 
 例えば、貨幣価値が1/100になったとしよう。
 つまり、100万円が今までの一万円になった、千円札が10円になったということ。
 千円札を持っていっても、コーヒー缶が買えないのである。
 チロルだって買えない。
 だから、現金や預金を持っていても意味が無い。

 では、いかに対策を考えるか?何をどうすればいいか?
 これには、「こうすればいい!」という明確な答えはない。
 ただし、考え方を変えていくことで、なんらかの対策になる可能性は大きい。
 例えとして対策を考えていこう。

1:資産をお金で持つのではなく、“物”で持つ。

 お金があれば、土地を買う。金を買う。物を買うのである。
 物価は上がるわけだから、その時に売ることが出来るものであれば、高く売れることになる。
 ただし、売る相手がいることが前提ではあるが。

2:海外にお金を逃がしておく。

 これは、海外口座を作ったりして、そこにお金を外貨で置いておく。
 日本の銀行の外貨預金は、国内の金融庁の管轄であるため、他の銀行のように預金封鎖を受ける可能性がある。

3:海外投資で、運用する。

 海外にて外貨で運用することで、日本の法律から逃れられる可能性がある。
 つまり、日本の中に置いてあることは、対策にはなりにくいということである。
 もちろん、すべて100%ではない。

 おそらく、日本政府も何かの対策を打ってくることも考えられるが、海外の国々が絡むので、国内での法律だけでは縛りにくいということは言える。
 うーん、どうしていいかわからない・・・・だから、何もしない?
 実は、それ自体が一番のリスクとも言えるのである。
 とにかく一番おススメなことは、政府が何とかするのを待つのではなく、自分が経済を観察できるように学ぶことである。
 誰かに任せることが、一番のリスクになるということである。
 あなたのお金は、あなた意外に守る人はいないのである。


第96日目 “クルーの中には、楽器のうまいヤツや歌のうまいヤツ、踊りのうまいヤツが必ずいる。宴の時に、彼らが演奏したり、歌ったり、踊ったりすると結局、みんなで歌い、踊るのである。これは、最高のコミュニケーションなのである。”


 音楽。
 文字とおり、音を楽しむもの。
 聴いて楽しむ、演奏して楽しむ、歌って楽しむ、作って楽しむ・・・・・
 「歌えない。」
 「楽器弾けないし。」
 「そんなセンスない。」
 いえいえ、誰もが歌を歌えるし、手をたたくことやステップを踏むことも楽器といえる。
 そもそも、センスって誰がが決めるのか。
 そりゃ、プロになるのならばシビアにもなるかもしれない。
 アマチュアで楽しむのなら、別にセンスなんて関係ないと思う。
 
 ようは、「音を楽しめるか。」
 楽しめなければ、音楽ではなく音我苦になってしまう。
 耳で楽しんだり、声に出して楽しんだり、体を使って踊って楽しんだり。
 もちろん、歌がうまくなったり、楽器が自在に弾けるとさらに楽しくなる。

 また、まわりを楽しくさせることができる。
 自分が音を出すことで、周りの人の感情を揺さぶることができる。
 つまり、感動を共有できるのである。
 
 音はいろいろと表現できる。
 喜び、嬉しさ、楽しさはもちろんのこと、悲しみや悔しさ、怒りすらも表現できるのである。
 ただ、少しでもうまく歌いたい、少しでも感動を与えたいと思うのなら、ポイントあると思う。
 それは、「自己満足にならないこと。」
 どうだ、俺はうまいだろう!なんて思っていると伝わらない。
 感動の共有にはならないのである。
 歌い方のうまい下手や演奏の仕方のうまい下手ではなく、いかにこの音にかける想いを自分が感じ、伝えられるかだと思う。
 
 歌のうまい人は、この世にいっぱいいる。
 でも、その人の歌を聴いても、心に伝わる人は少ない。
 歌を聴いて鳥肌が立つときがあると思うが、このときはその人のテクニックがあったからではなく、心を揺さぶられたのだと思う。
 
 コミュニケーションでもいえることだが、自分に向いたまま、相手に発信していも伝わらないのである。
 相手に伝えたいと想うこと。
 相手に「聴いてほしい」と想うこと。
 この歌に込めた心を感じてほしいと想うこと。
 これが感動の共有につながり、鳥肌を立たせることができるのではと思う。
 だから、僕も音を楽しもう♪
 みなさんも、楽しんでください♪

“船長も歌え!といわれたとき、僕は絶対に断らない。下手でもいいから、歌ってほしいとクルーのみんなが思っているのだから。だからこそ、歌う。するとみんなの心がつながっていくのである。これが、船乗りの力となる。”


第97日目 “たまに、船首に立ってみる。すると風の音や船が波を切る音など、さまざまな音が耳に入ってくる。どれかに集中してみると、それだけが残って頭の中の世界が変わってくる。音だけで、これだけ楽しむことができると知るのである。”


 音を楽しむ方法は、何も音樂だけじゃない。
 自然の音も同じである。
 風の音、小波の音、せせらぎの音、草の揺れる音や、木々の間を抜ける音。
 これらは、時に安らぎを与えてくれるし、時には恐怖や寂しさを感じたりもする。
 
 自然の音だけでなく、街の中に流れる人工的な音も同じである。
 車の音、飛行機の音、信号機の音、人々の話声などなど。
 普段は喧騒と思っていたりするのだが、案外、そういった音がなくなると寂しく感じたりすることもある。
 
 僕は神戸の下町で育った。
 周りには、人がいっぱいいてとてもにぎやかだったし、町工場もあって、かなりの喧騒だったと思う。
 高校を卒業して、岐阜にある専門学校に行くため、寮に入った。
 その寮は、小さな山の中腹にあり、街は山の反対側だったので、とても静かなところだった。
 初めて着いて、部屋の中で一人、眠りにつこうと思ったときに、気がついた。
 今までは車の走る音や何かの音が聞こえていてうるさいと思っていたのに、ここに来ると音が無かった。
 最初、その音の無さに慣れることが必要だと気づいた。
 慣れてくると、山の木々を抜ける風の音だったり、虫の声だったり、案外、聞こえてきたのである。
 それが心地よさに感じるようになった。

 逆に、地元に帰ったとき、うるさく感じて眠れなくなることもあったぐらいだった。
 いまでは、アウトドアで山に行ったりするのでかなり慣れたが。
 以前、スキー場でバイトしたとき、夜の雪の中を歩くことがあった。
 風も無く、自分が歩く音以外には無音の世界だった。
 しかし、その時は寂しさや不快な感じではなく、まるで別世界に入り込んだような雰囲気だった。
 受け取り方によって、変わるのかもしれない。
 自然や社会との一体感になったり、違和感を感じたり。
 自分の周りの音も、楽しんでいきたいと思う。

“波を受けて進むとき、船自体も音をだす。この音に耳をすますことで、船の調子もわかってくる。長年付き合ってきた船だからこそ、語ってくれるのかもしれない。”


第98日目 “いろいろな船との交流が出来ることが、クルー達の成長にもつながる。だからこそ、港での交流は大事である。酒を交わし、語り合い、騒ぎあうことで、つながりを作れることをみんな知っているのである。”

 多忙な一週間を迎えることがある。
 ただ言えることは、それらのおかげで最高の一週間となったということ。
 そこには、やはり人がいたからこそ。
 人とのつながり、出会い、感謝、共感・・・
 それらがあったからこそ、最高の一週間となったのである。

 人間は、一人で生きているわけではない。
 いろいろな人と関わりあって生きている。
 ただ自分の欲望だけ、自分の望みだけ、希望だけでは関わりあえない。
 自分だけでなく、相手がいることだからである。
 自分の想いを伝えることも必要なことであるが、そのためには相手を知ることもとても大事なことなのである。
 相手を知ることで、その相手に“伝わる”言い方ができるのだと思う。
 相手を知るにはどうすればいいか?
 それは、とても簡単なことである。

 “聴くこと”

 相手に興味を持ち、相手を観察し、相手を知りたいと伝えることである。
そして質問することである。
 自分に興味を持たれて、いやな思いをすることは少ないと思う。
 するとお互いに興味を持ち始める。
 すると、お互いに向き合うことができる。
 お互いに向き合うことで、人間関係を築くことができるのだと思う。

 最初は“知り合うこと”
 それが、知り合いになり、つながりができることで友達になり、お互いに助け合える関係になることで仲間になるのである。
 さらに同じ志を持つことで、同士=同志となるのである。
 形だけでも知り合いを増やすことは間違いではないと思うが、さらにつながり合い、語り合い、志を共にすることで、本当に出来ることが増えるのである。
 だからこそ、これからも僕は皆を知り、語り合い、同志となって志を成し遂げたいと想う。

“目指す方向が同じであれば、違う船であっても助け合えるはず。だからこそ、つながりあうことが大事である。つながりあうことで百人力となるのである。”


第99日目 “たまには、写真を撮って記録を残しておこう。航海の思い出とともに、写真を使って語り合うこともまた楽しいものである。”



 昔から写真を撮るのが好きだった。
 今回は、僕のカメラとの思い出を書いていこうと思う。

 小学生の低学年の時、親父から一台のカメラをもらった。
 金属ボディーのミノルタのコンパクトカメラ。
 シルバーと部分とグレーのグリップの部分で、小学生の僕にはずっしりと重いまさに機械であった。
 フィルムの時代だったから、お小遣いで買えるのは基本的に白黒の安い12枚撮りのフィルム。
 ちょうど時代は、スーパーカーブーム。
 友達と一緒に、車の写真を撮って楽しんでいた。

 そして中学生。
 今度は、周りの子たちがポケットカメラを持ち始めた。
 僕のカメラは重かったので、とてもうらやましかった。
 そして、お年玉で買ったカメラがポケットカメラ。

 富士フィルムのポケットフジカ。
 これは、本当に手軽でいっぱい写真を撮った。
 友達との写真、風景の写真・・・・・
 このあたりから、だんだんと今撮れている写真に不満を感じ始めた。
 どうすればもっといい写真が撮れるのだろう。
 友達のお父さんが写真屋さんをしていたので、そこのウィンドを眺めていると一眼レフのカメラが並んでいた。
 テレビでは、宮崎美子さんのCMが流れていた。
 「今の君は~、ピカピカに光って~♪」
 宮崎美子さんが木陰で、ジーンズを脱いで水着になる映像は、中学生の僕には眩しかった。
 ま、この印象があったからかどうか(このCMは確かに好きでした)だが、このCMのミノルタのX7という一眼レフを買うことを決意した。
 そのために、お年玉と小遣いをためて、買う計画をたてていた。
 ところが、お金持ちの友達がその「ミノルタX7」を手に入れていた。
 うー、悔しい~。
 天邪鬼な僕は、X7をやめてライバルの新機種、「オリンパス OM-10」という一眼レフを手に入れた。
 レンズは標準レンズ一本のみ。
 今から考えると、一眼レフの良さはレンズを交換できるということなのに、そのころの僕には高価なレンズを買う余裕なんて無かった。
 それでも、今まで使っていたコンパクトカメラの写真と大きく違い、奥行き感のある写真に感動していた。
 その後は、専門学生時代に生活苦で一眼レフを手放し、バカチョンというようなプラスチックなカメラを何台か持った。

 次にきた衝撃があった。
 それは、デジカメの登場であった。
 まだまだ、長くなりそうなので、デジカメは次にすることにしよう。
続く・・・・


第100日目 “航海の写真を見直すと、思い出すことがいっぱいある。記憶の補助として写真があると認識できる。だからこそ、航海中の撮影はやめられないのである。”


 さて、話の続き。

 デジカメの登場により、また写真への興味がわいてきた。
 ただ、出たばかりのデジカメは、値段が高くてメモリーも少なく、パソコンとの接続もUSBじゃないから面倒な感じだった。
 だから、少し様子を見ながら、ある程度の価格がこなれたところで手に入れたのが、サンヨーのDSC-S560という130万画素のデジカメであった。
 電池は、充電式の単三電池で動作時間も短くて、決して使い勝手のいいものではなかった。
 だが、まだ周りの人が持っていない時代だったから、とても注目を浴びたのが印象的だった。

 デジカメのすごいところは、フィルムのように撮ったら終わりじゃない。
 つまり、どんどん撮りだめが出来て、消去も簡単にできるのである。
 しかも、パソコンを使って画像編集したり、保存したりできるのである。
 フィルムのように現像に出すということもなく、その場で確認できるのである。
 この進歩にはびっくりせずにはいられなかった。
 まあ、現像を待つというのも楽しみだったのだが、それ以上に得られるものが大きかった。
 その後は、ソニーのサイバーショット、サンヨーのザクティ(ムービーと写真と撮れる防水タイプ)、カシオのエクスリムとなったが、これらは今もすべて現役で使える。

 用途に合わせて使い分けているが、この次に衝撃的なものが二つあった。
 それは、一眼レフのデジカメとトイ・デジカメである。
 一眼レフのデジカメは、キャノンのkissX4というタイプだが、この性能は強烈に進化している。
 それまでのコンパクトデジカメは、ほんとにスナップ写真だったが、一眼レフデジカメは以前に使っていたフィルムの一眼レフ、オリンパスOM10を使ったときと同じような奥行き感がたっぷりの写真が撮れるのである。
 いや、表現力では桁違いな自由さがある。
 しかも、フルハイビジョンの動画を撮影できるのである。
 奥行き感のたっぷりある動画が、フルハイビジョンで撮れるのである。
 これには驚きとともに感動があった。
 だから、今のメインの愛機となっている。

 そして次の衝撃である、トイ・デジカメ。
 これは、おもちゃのようなデジカメということで、「トイ・デジカメ」と呼ぶものである。
 メジャーなメーカーではなく、液晶も無かったり、あっても小さかったりといった5000円から1万円ぐらいのデジカメである。

 これがなぜ衝撃か?
 それは、遊び心が満載だからなのである。
 まず、ほとんどその場で写真を確認できない。
 それと撮りながら遊ぶことが出来る。
 動画も撮れるものがあるが、8ミリフィルムのような映像になる。
 これは昔のフィルムの時代の疑似体験ができるのである。
 現像するまでの代わりに、パソコンで確認するまでの楽しみがあったり。
 見るまでのお楽しみがあるのである。
 それと撮りながら、動かしたりして遊ぶことも簡単にできるのである。
 高性能な一眼レフと超ファジーなトイ・デジカメ。
 まだまだ、写真の世界は遊びでいっぱいである。






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