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1月17日

1月17日、29年前に起きた阪神淡路大震災。
私は神戸市灘区青谷町にいました。
阪急王子公園駅から青谷川沿いを山に向かって登っていくと、西谷線のどんつきが青谷のバス停。(三ノ宮から阪急六甲までの2系統のバス路線)
その目の前のインド人が所有する7階建てのマンションの最上階で、揺れに遭遇しました。


ベッドの反対側の壁際棚の上に置いてあった電気スタンドが
就寝中の私目掛けて飛んできました。
無我夢中で頭から布団をかぶって、しばらく動けませんでした。
その時私が思ってのは「テポドンが飛んできた!」でした。
それまでに経験したことのある地震は、これじゃあなかったからです。
「爆撃だ!!」という感覚でした。
揺れが落ち着いて、着替えて、屋上に出てみたらあちこちで火の手が上がっている。
青谷町は、南北が狭く、東西に長細い神戸市内の坂の上の方にある町です。
7階建ての屋上は、海側の地と比べると、海側のマンションの15階くらいの高さがあります。
煙は上がっているが、それが火事だと気付くのに時間がかかった。
それくらい、何が起きているのかがわからないくらい、呆然としていました。
1階に降りると、インド人の青年が、「地面が浮いている!!」と叫びながらマンションに入ってきました。
意味がわからない。
テレビもラジオも、具体的なことは何も伝えない。
伝えたとしても、「地震が起きた」「何何区でおばあさんが転んで怪我をした模様」と、小さなニュースしか伝えない。
それが、17日の昼ごろまで。情報は本当に希薄でした。
携帯も普及していないので、仕方ないと言え、報道はお粗末だった。
現地の報道陣も被災していたのだから仕方はありません。

水は出ない、電気もガスも止まる、で、トイレも流せないまま。
あとで下の階の人に聞いたら、大便は紙に包んでゴミとして捨てていた、という。
そうすればよかった、と後で気づいたけど、2、3日はそのままでした。
自衛隊が給水車を出してくるというので、近所の消防署に並ぶけど、寒空の中、いつまでたっても来ない。
消防署の人に「いつごろ来るのか、連絡はないの?」と、詰め寄ったけど「わからないんですよ〜〜」と、ヘラヘラ笑われたこともありました。
何で笑うのか、笑うしかないのか、この人は被災していないのか???
怒りと絶望と混沌と。。。頭がおかしくなりそうでした。
知人が訪ねてきてくれて、何となく様子がわかったのが翌日。
ダンスの先生が市役所に避難しているというので、訪ねて行きました。
家に買い置きであったもの(ソックスやタオル)を色々持っていきました。
市役所の斜め向かいには、創価学会の神戸市部があって、大きな建物でしたが、被災者が市役所に集まっているというや否や、大量の布団類が運び込まれたそうです。
学会員の人も被災していたわけですから、情報はすぐ伝わるのでしょうが、
その動きは早かったです。組織はすごいですね。

もう一つの神戸で有名の組織は山口組です。
田岡組長の家には大きなポンプ式の井戸があり、そこを解放したそうです。
組員の人が、水を組み上げ、トラックで運んで街角で配り始めました。

あの時は、どんな組織の人たちも、善も悪も好き嫌いもなく助け合っていました。
その時のことを、今の与党政府である公明党はなんと思っているんでしょう??

現在の神戸市役所と学会の位置関係

何日か経ち、壊れた街を重機がやってきて更地にしました。
神戸は六甲おろしも吹くし、海風も吹く。
更地が広がると、とてつもなく彼方から、風が塊になって向かってきます。
それを体で感じた時、この中にはアスベストがたっぷり含まれてるよね、
子供たちだけでも、疎開させてあげられないのかな?と思いました。
親元を離れても、健康のために街が再建するまでの間、疎開もありじゃないか??と。

被災して仕事もなく、行き場のなくなった男たちは、パチンコ屋に行列を作り始めました。
女たちは、強かった!!
早速、ガードマンのバイトを始める主婦や中華屋の看板娘だったお嬢さんたち!!
男はしばらく絶望の淵に立ち、女は即座に生きる術を模索する。
典型的な光景を見ました。
もちろん、全ての男女がそのパターンではないですけど。

見たもの、聞いたのも、ここに書く何十倍もの記憶があります。

今日は、1/17当日。
半年後に神戸を去りました。地元ではないので、復興の熱量が私にはなかったのは、とても申し訳なく思いながら。。。

能登で地震が起きて、ボランティアの人たちの活躍に目を見張りながら、29年前の教訓で生かされてきたこと、全く生かされなかったこと、いまだに避難所が雑魚寝で、トイレに困ってるとか言ってること、たくさんたくさんたくさん。。。。脳裏に回らせながら。。

被災しても「自助だよ」と、冷たく冷たく言い続けてきた、自民党政治にさらに憤りを感じ、2024年1月17日を過ごしています。

合掌。。

※今日すぐ出したかったので、ほぼ校正はしていません。思いついたまま、書いたnoteです。








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