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家族の風景
こんにちは!ヒラパーです。
キッチンにはハイライトもなければウイスキーグラスもない。
そんな僕の家族の話し。
先日、お通夜に行ってきました。
突然の事だったので、急いで準備をしていたのですが冠婚葬祭(?)のマナーはいつまで経っても覚えられない。
年に数回しかないので覚えられなくて当然だと開き直りはするものの、両親に即電して色々と聞く始末。
僕の家族は、いつも懐が深いというか緩いというか、表現が難しいけれども、何でも相談に乗ってくれるし何でも嫌な顔をしないし最後まで信じてくれる。
そんなこんなでこの歳になっても冠婚葬祭の事で相談したりして、甘えてしまうのかもしれない。笑
昔から厳しいと感じた事が一切ないとふと気づいた。
大学生の頃だったか、京都市内の親戚のお家に立ち寄った際、父方のおばさんお二人に「正教くんの両親は本当に凄いと思うんだ」と言われた。
僕もそう思う。
母が保育士でもあったので、昔は自分の子供に対して保育士のような優しい口調で話しをされる事に対して「いつまでも子供扱いしないで欲しい」という思春期じみた感情が出た時期もあった。
しかし、大人になって振り返ってみると「あれをしなさい、これをしなさい」と口酸っぱく言われた記憶がほぼない。
自分自身が覚えていないだけかもしれないが。笑
大学卒業時に就職活動を一切しなかった時
就職せずにプラプラしていた時に地方公務員試験を受けたらと言われたので惰性で全く勉強もせずに試験を受けた時など
心配をかけたであろう事はいくつもあると思うが、いつも
「まあ、お前の事だでちゃんと考えとるだろう(丹後弁)」
と信じてくれていた。
この言葉を何回聞いた事かわからないぐらい記憶にある。
そんなこんなで育ててもらって、僕は自己肯定感がとても高くなったのかもしれない。笑
何でもやってみよう。何でもできる。そんな事をいつまでも思える大人になった。
そんな両親をとても尊敬している。ありがとう。
あ、唯一厳しかったなあと思う事があった。
うちは食事の時、絶対にこれだけは食べないといけないおかずを準備される。
これをクリアしないと次のおかずにいけないのだ。
夏はばあちゃんが畑でナスとカボチャを作っていたので、毎日食べた。
食べるまで許して貰えなかった。
お陰様で、兄弟3人ともナスとカボチャが嫌いになった。笑
ヒラパー
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